かつてルワンダで、高校生と取り組んだ心のケア。虐殺の時代は5歳くらいだった彼らは大人になる課程で声を大きく、ルワンダの未来を語ろうとしていました。
ともすれば大人は今も水面下に存在するツチ族とフチ族の見えない緊張の中で口をつぐみがちなのに対し、臆することなく愚かな人種差別を批判し、ルワンダを良くしていこう!と語っていました。そんな中でみんなと創った曲が「Ejo Heza(よりよき未来へ)」という曲であり、最後の大合唱には涙したものです。
最近はそんな高校生の姿が気になるのですが、この災害に関して非常に前向きに取り組む高校生がたくさんいます。
先週は山形南校等学校のバレー部のみんながきてくれました。
4月はサッカー部がきてくれて大規模な泥だしや田んぼのゴミ拾い、赤い消防車の清掃作業をしてくれました。「サッカー部に続け!」とばかりにやってきたバレー部のみんなは、和子ばあちゃんの庭にうずたかくつもる瓦礫を払い、ビニールハウスの土を整備してくれました。もちろん赤い消防車もぴかぴかに磨いてくれました。震災から2ヶ月が過ぎ、瓦礫の撤去も大幅に進む今、「仕事がないんじゃないか」という懸念をよそに、まだまだ名取ではいろんな細かい仕事があります。今週末は合気道部が来たいと言っているし、サッカー部、バレー部も第2陣を送りたいとのこと。なんとなく震災の話題が少なくなっている今だからこそ、こんな高校生の動きが嬉しいですね。
そんな中、今日は我が岐阜県の高校のステージでした。
岐阜県立北高等学校は名門です。多くの有名諸先輩を輩出し、難度の高い大学に多くの人材を進め文武両道の名のある高校。まさに大垣には大垣北高校、そして岐阜市には岐阜北高校(そして加納高校)あり、という感じ。だから、30分も前からし~んと体育館に座って人を待つその姿勢は見事なものでした。
震災でなかなか時間がなく、会えないままであった母親が高山から会いに来てくれました。ステージを見たいという兄と母に「部外者は入れません」と拒否した、この16年で初めての対応をN教頭先生から受けて逆にびっくりしてしまいましたが、校長先生の計らいで母はステージを見ることができました。
1000人を超える生徒さんは身じろぎもせず、最後までついてきてくれました。特に最後の「震災篇」は彼らにとって今回の震災と津波が決して人ごとではないと思ってくれている証のように、より一層静寂さに包まれて受け止められていきました。このニッポンにおいて、すばらしい高校生に感動させられます。一地方都市であっても、立派な人格育成が現実のものになっている我が岐阜県の高校生に感謝しながら、ステージは終わっていきました。
そして、現在4年目に入る大垣北高校の伝統にならって、今回岐阜北高校でも終了後、生徒会主催で座談会が開かれました。
これは、3年前大垣北高校の初めてのステージが終わった時、そのあまりに聴く姿勢のすごさに感動した桑山が、居ても立ってもおられずふらふらと3年生のクラスに入っていったところ、たまたま数学の翠(みす)先生のクラスに入り込み、そこで非常に活発な意見交換ができたことが発端です。翠先生とはそれ以降のつながりで、ゴールデンウィークには名取事務所まで泥だしに息子さんと来てくださったほどの仲ですが、そんなオプションが岐阜北高校でもできたのです。
現代日本の高校生も真剣に悩み、考え、少しでもよりよき未来をつかもうと懸命に努力していました。やっぱりまっすぐな高校生はいい。こちらが励まされて背筋が伸びます。質問の中に、
「私たち、被災地に行けない高校生が、ここでできることは何でしょうか」
というものがありました。
「それはたくさんあると思う。まずは、被災地のことに思いを巡らせること。1日1回で十分。ふっとニュースを見たとき、寝るとき、ご飯を食べるとき、興味と関心を向けてくれたら被災地の人間としては幸せ。そして本来は人類をつなぐためにあるインターネットを駆使して、ブログなどの生の情報にアクセス。そして一言でいい“心配しています”“応援しています”などの書き込みをすることで十分被災地のためになります。それは間接的かもしれないけど、今ここにいて高校生として出来ることだと思います。やっぱり見て見ぬふりしない気持ちを現地に伝えようとする意志が大切ではないでしょうか。」
うまく伝えられないこともたくさんありましたが、名残惜しい北高校の生徒さんとの座談会は終わっていきました。
大垣北高校は今年4年目。加納高校(岐阜市)は2年目。どうか岐阜北高校も今後毎年公演になりますように・・・。
そんな中、お隣笠松町で毎年公演になっている河合さん(笠松町文化協会)といつも組んでいらっしゃる福田恵さんが募金を直接手渡しにいらっしゃいました。ある企業主の方からは実に多額の、そして個人やグループで集められた多くの支援金をいただきました。これから子どもたちの心のケアが本格化していきますが、直接的に使うことを約束して受け取らせて頂きました。遠く離れているかもしれない岐阜県だけど、ものすごく「近い」と思います。多くの岐阜県人が被災地に心を向け、「隣人なんだよ」と伝えてくださいました。
桑山紀彦
実のあるステージになったんですね。高校生が真剣にステージに集中している姿が目に浮かびます。
20日、東京のオペラシティで岩手の高校3年の女の子が招待されます。流された自宅前で海に向かってトランペットを吹いていた写真が掲載された女の子です。獣医になりたかったけど、震災後 救命救急医になりたいと思うようになったそうです。若い力に期待。今時の若い者は…なんて言わせない働きをしてくれるでしょうね。悲しい事がたくさんあるけどやっぱりこの震災にも意味があるんだよね。
桑山さん 今日は貴重なお時間を私に使っていただき本当にありがとうございました。
岐阜北高校の先生方のご好意で校長室で桑山さんにお会いして みんなから預かったお金を直接お渡しすることが出来てとってもとってもうれしかったです。
大変な毎日を送ってみえる桑山さんなのに 逸併のことを真っ先に聞いてくださり 大学2年になったことまで覚えていてくださりうれしいやら驚きやら!
逸併にはすぐにメールをしました。
彼も喜んでいました。
お伝えしそびれたこと お聞きしたいことが色々ありました・・・。
また連絡させていただきます。
まずは今日のお礼まで・・・。
笠松のみんなが 岐阜のみんなが寄り添っていきます。
これからもずっと!!!
今回、初めて桑山先生の地球のステージを拝見させていただきました。
今まで見たことのないような発表でしたが、とても分かりやすく先生の外国での経験やそれに基づく教訓を学ぶことができました。
また、興味もあったので座談会にも参加しました。実際に間近で先生と話すと、先生が思っていらっしゃることがとても身近に感じることができて、特に人の生き方について深く知ることができました。
見てみぬふりをしないこと・・・難しいですがとても大切な事だと思いました。
また地球のステージを見る機会があればいいなと思っております。今回は本当にありがとうございました。
あちこちの学校での公演を見せていただいた中で気がついたことがあります。
きちんとしてすがすがしさを感じる学校と、何時までもざわついていて一緒にいても落ち着かない学校がありましす。
すがすがしい学校は、会場の入口を入る時から違います。受付をされている先生や父兄または市の職員の方々の来場者を迎え入れる姿勢がまるで違います。温かく歓迎されているといった感じです。生徒の入場も整然としており押しつけられた感じはありません。
これは、日常的に指導者が生徒たちに人として接して上手に信頼関係が出来る校風を作っているからだと思います。
例えが悪いですが、汚れた道路には平気でゴミを捨てられますが、清掃の行きとどいた道路にはゴミは捨てにくいので結果として、マナーの向上に役立つのと同じです。
何かを置き忘れてきた日本の社会にあって、よい校風を作れる先生は、子供の教育に「地球のステージ」が役に立つと理解出来ているのです。
だから、ざわついた学校こそ「地球のステージ」をやる必要があるのではないでしょうか。
忙しすぎる桑山先生が、なぜ頑張れるか?いつも不思議に感じていました。
ご本人の大変な努力と気力を笑顔に置き換えられ、すごいなと思っていましたが、今回のステージのように先生方生徒さん達全員が真剣に桑山先生を信じ、受け入れ応援される気迫も大きな力になっているのでしょうね。
被災地の皆さんへの暖かい励ましに感謝します。
昨日震災の心のケアを語り合う場に参加しました。
他の人の言葉で自分の心に気づいたと人、共感し自分だけが特別落ち込んでいるのではないと思った人。
私は震災以前に心が弱っていた人は、回復に時間がかかると感じました。
今回はご家族に深刻な犠牲があった方は、お出でになりませんでしたが、まだ人に合い話せる段階ではないのかもしれません。
初めてのことなので、今回は自分の心の確認のためという感じでした。
少しづつできることやってみること大事ですね。安心して語り合える場は、必要だと思います。
お母様とお兄様に再会出来て良かったですね。お母様も安心されたことでしょう。
頼もしい高校生とのステージ。魂の交感がライブステージの醍醐味ですね。
岐阜で元気をいっぱいもらってとっても嬉しいです。
昨日は久しぶりに会うことができ、本当に安心しました。毎日のブログで元気な様子は伝わって参りますが、やはり実際に会って話し、握手をし、ハグすると違います。
優子さんも少しお疲れのご様子でした。どうぞスタッフの皆様の健康にも十分に留意してあげてください。
それと、私がステージを聴けなかった(と言うより当日は受け入れ態勢を整えておいてくださっていたにもかかわらず、私が穿った解釈をして「聴かなかった」)ことについては、学校管理の一翼を担う重責にあり、かつステージ実施の詳細をご存じなかった教頭としては仕方のない対応だったと思っております。彼とは長年の友人でありますが、友としての情にダラダラ流されるのではなく、職務に厳正にあたる態度は評価に値するものです。そういった彼を教頭に迎えての岐阜北高校は益々発展することでしょう。
またのステージを楽しみにしております。
遅らばせながら・・・・
僕の勤務する定時制高校に「親の会」というものがあります。保護者会でも父兄会でもありません。正しくは「不登校生徒を持つ親の会」というのが正式名称ですが略して「親の会」と呼んでいます。この会に参加した親があるときこんなことを言いました。「世間の人に話を聞いてもらっても、お宅は大変ですねえ、というだけで、こちらの苦労をちっとも分かってくれない。所詮、他人事なんですよねえ。その点、親の会に来ると、わたしは元気を貰うことができるんです。登校できない子どもは内の子だけじゃあないって分かるし、私たちの苦労に他の親御さんに共感してもらえるし、やはり、同じ経験をしている人でないとこの苦労は分からないと思う」おかあさんはそう云います。
大変な思いをしているのは自分一人じゃあない、苦労しているのは自分一人じゃあない、他にも同じような事で苦しんでいる人がいる、そういう人たちと言葉を交わすことにより、話しをすることにより、苦しみや悲しみが薄らぐようなのです。不幸を抱えるのは自分一人ではないということを知って、より「強く生きられる」のではないでしょうか。
僕の素人考えですが、「夫を亡くした妻の会」、僕はいいと思います。
和歌山 中尾
はじめまして。高橋と申します。
2年前までNICCOでインターンしていました。
私は福島県福島市の出身です。原発や津波の被害もありましたが、幸い実家は内陸部でしたので助かりました。
震災直後は気持ちが虚ろで、現場に行きたい気持ちばかりがつのり、4月上旬に実家に帰り無事を確認した後も被災地を援助したい気持ちがずっとありました。
しかし、自分は社会人としてそのような長期休暇も許されず日々の仕事をしないといけないこともあり、なかなかボランティアとして福島の助けになる事が出来ません。
そのような毎日が続いていくと、自分でも無意識に震災救援にいけない理由を探していたりします。
「ボランティアに行かなくても毎日をやさしく精一杯過ごすことが大切」と桑山さんはおっしゃっていましたが。その言葉を"行かない理由"として使おうとする自分がもの凄くいやになったりもします。自分は東北出身ですし、長い支援が必
要な災害だった事もあり長期的な手助けが何か出来るか考えてはいるのですが…。
まとまりのない文章でスイマセン。
とにかく、今は両親にはなるべく連絡を取って心配事を取り除いてあげる事しか出来ていません。
高橋さん 一生懸命働いてください。
自分を 責めないでください。
そして ご家族を 気にかけてくださいね。
私は 今日 親子教室に仲間とボランティアに 行きました。
3才児の子どもたちはしっかりとお話や絵本を聞いたり手遊びしたり 一緒に楽しみました。
一つ残念なのは、最初から お母さんの 二組四人がペチャクチャと。
私の得意なエプロンシアターで こちらに顔を向けてもらおうと ファイトがわきました。
桑山さんのプチ!が 少し 理解出来た一日でした。
お母さま お兄さまとお会い出来て ハグできて 良かったですね。
岐阜北高校で、司会を担当させていただきました職員の浮田です。本当にお忙しい日程の中、「地球のステージ」の公演をありがとうございました。また、お食事もとっていただけなくて申し訳ありませんでした。そんなお疲れの中、放課後の座談会にまでご出席いただきまして大変感謝いたしております。生徒たちの反響は、大変なものでした。あるクラスの生徒の感想を全部見せてもらいましたが、ほとんどの子が、最後の行まで感想がビッシリ書いてあって、中には「感想用紙の行数がこんなに少なく感じたのは初めてです」と書いている子も…。(「行からはみ出さないように書かなくては」、と生真面目なんです。)もちろん、はみ出して、書いている子もたくさんいました。文化講演会というと、やや後ろ向きの気持ちで参加する子が少なくない中(もちろん事前に「地球のステージ」の若干のコマーシャルをしてはおいたのですが…)、ですから今回も公演前の生徒たちの雰囲気もやや固い感じがあったのではないかと思います。でも、公演後は、全く表情が変わっていました。感想も様々なものがありましたが、一言でいうと、生徒たちの価値観・世界観が大きく揺さぶられたようでした。放課後の座談会も、実は生徒会役員の中には前日まではずいぶん後ろ向きの発言をしていて役柄上参加した子もいたのですが…(桑山さん、申し訳ありません)、その子が、手を挙げて質問をしていたので、こちらはびっくりしました。今回、特別活動部の職員を中心に「地球のステージ」の準備をしてきましたが、桑山さんに気持ちよく公演していただけたか心配しています。個人的には、来年「地球のステージ」2が岐阜北高校で公演されることを願っていますし、生徒たちの感想にも「また続きを聞きたい」というものが沢山ありました。もし、そういうことになりましたら、どうぞよろしくお願いします。また、職員室に戻ると先生方の感想として、「桑山さんはあんなに頑張って、体とか大丈夫なんだろうか。」と口々に語ってみえるのを聞きました。私も正直心配です。どうか、お体を大切にされて、またお会いできる日を楽しみにしています。今回は、ありがとうございました。
岐阜での公演、お疲れ様でした。
先生が 大垣北高校でのことを いつもお褒めくださり、
保護者として3年間 公演を聴かせていただいた私は とてもうれしく思います。
息子は卒業したので、残念ながら 4回目の公演を聴かせていただくことはできませんが、
先生が 3年間蒔かれた、そしてこれからも蒔いていかれる種は、あちらこちらで成長していくことと思います。
事実、私も先日 所属する会の活動で 地球のステージスタッフの方にお世話になりましたし、
今も 自分たちで出来る震災支援は何かを考え続けています。
そして、いつか私の町で 地球のステージ公演をしていただけるように、
私は私なりの 種まきをしていきます。
地球のステージのブログ、そして皆さんのコメントは、
私にとって、生きる力となっています。
くれぐれも 皆さん お体ご自愛ください。
紀くん、君は本当に多くの人たちにとっていいことをしているね。君の志の高さにいつも感動しています。優子さんも体調は大丈夫かな?明子さんも本当にお身体大事にしてくださいね。
私は大垣北高の3年なのですが、岐阜北高校でも講演されたんですね!同じ岐阜県の高校で桑山さんの地球のステージが広がっていて嬉しく思います。
今回の地震で桑山さんも被害を受けたとお聞きしました。
どうか桑山さんの笑顔と優しさで被災者の方々の心を癒して下さい。私も出来ることなら東北地方へ行ってボランティアをしたい気持ちでいっぱいです。けれど、今出来ることは毎日精一杯生活すること、頑張って勉強することかなと思って今自分に出来ることを頑張ってやりたいと思います。
桑山さんのいつもの笑顔を宜しくお願いします!
北高のものです。
お忙しい中、あのようなすばらしい講演が見聴きできたこと嬉しく思います。僕は、昨年、中学で、1のほうを見せていただいたのですが、その時もとても感動したのですが、今回の「震災篇」は考えさせられるものが、とても大きかったです。今の自分に何ができるだろうと考えたときにやっぱり今の生活に感謝することが大切なのではないかと僕は感じました。
このような状況でまだ予定は立てられないかもしれませんが、来年もお会いできると嬉しいです。