今日も江里ちゃんの家に行き、大切なものを見つけるべくがんばりました。
お母さんにしてみれば、自分の家のものを他人に見られるのはあまりいい気はしないと思う。でもやっぱりここは男手が必要です。今日は泥でこびりついた食器棚やキッチンボードをこじ開けるためのバールを持参して、江里ちゃんの家に臨みました。
一階が水没した江里ちゃんの家。キッチンボードはひっくり返っていますが、何とかバールで開けると中から大切なものが出てきます。まずは、食器類。ラーメンどんぶりやうどんどんぶりは貴重です。家族の分だけ枚数が確保できていると、なぜか嬉しくなるものです。大きい皿は、今後買うにしてもかさばるのでこのチャンスに集めました。泥をはらうときれいな白い磁器の肌が見えて、ホッとします。江里ちゃんの一家がここでこの食器を使いながら、平和に食事していたときの光景が目に浮かんでくるのです。
そんな中におばあちゃんのそろばんを見つけました。今では珍しい下5玉のそろばんです。おばあちゃんが「見つかるといいなあ」といっていたものが見つけられてことのほか嬉しかったです。
そして江里ちゃんの成人式の写真も見つかりました。おばあちゃんと一緒に晴れ着で映っている江里ちゃんです。まだ3年前の出来事ですが、こうして津波にさらわれかけていた写真に出逢うと遠い出来事のように思えてきます。お母さんもまた一つ一つの想い出をたどりながら、いくつかの品物を集めてきてくれました。家族の歴史が詰まった家。もうじき取り壊しです。最後に表札を外しました。コツコツ削ると無傷で取り出せたのです。
「またこの表札で家を造りましょう」
「んだね~!」
お母さんが張り切って答えます。江里ちゃんのお母さんは本当に前向きです。何せ目の前のみやぎ生協閖上支店の職員でしたから。もののとらえ方が前向きです。
「本当につくれるかな~」
江里ちゃんはちょっと消極的です。でもお父さんが命をかけて残してくれた表札ですから、大切に。天国のお父さんもきっと「これでいい」と言ってくださっていると思いました。
夕方からは増田西小学校で炊き出しでした。
サラダ隊
桑山も張り切ってバンダナ巻いてみたんですが、どうもしっくりと来ませんね。きっと頭の形が変だからかぶり物がに会わないんです。それでも、新鮮なサラダを皆さんに提供していると不思議な気持ちになります。それは、
「やっぱり助け合い」
という気持ち。当たり前なのですが、サラダを提供する僕たちは同じ被災者です。でも、やっぱりやれるものがやれることをやることが重要なんでしょうね。被災の程度には確かに差があります。でも、考えてみると避難所で暮らす皆さんも大変だけど、一方で相変わらず湾岸に暮らす私たちにもいろんな不都合があります。
防風林がなくなったことによる強風と、きつい泥とヘドロの臭い。舞い上がる(打ち上げられた)海の砂の嵐。そして強い余震が来ると「逃げないといけない」環境。
これらには考えてみると避難所とは違った苦労があります。だから、苦労比べではなく、お互い同じ街に暮らすもの同士だから、できることをし合えればいいのだと思うんです。
それにしても、サラダを介して会話できることのうれしさ、そしてお互いの気持ちのやりとりはやっぱりいいです。子どもたちも長引く避難生活だけど前向きさを失わないでやっています。ただやっぱり口が悪くなっていますね。どこかでびしっと言わないといけないと思っています。もちろん見えない将来に不安になっているところもあるとは思うけど・・・。
明日は、また1日外来です。
桑山紀彦
色々な宝物が見つかって、見つかった時の様子が、会った事も話したこともない、皆さんですが、目に浮かぶようです。おばあちゃんのそろばんは年代物ですよね。
桑山さんのバンダナ姿の写真、見たかったなぁ。いつもまいてないから見慣れんだけじゃと思うよ。 えりちゃんへ 保育関係の物なら同業者の私の所にたくさんあります。
私は、明日から金曜日まで、満員電車に乗って行き、頑張ります!
どんぶり、写真、そろばん、表札、シクラメン・・・家族の思い出の品を集めてそれを握りしめて、前を向いていくんですね!
しかし、紀くん!たまには、ゆっくり体を休めることをして下さいね。君のやっていることは、君にしかできないことばかり。復興はきっと長期に及んで進んでいくから、ここらで一旦体も心も休めて下さいよ。もっと近くに住んでいたら、肩でも腰でももんであげがられるのになあ。添い寝だって・・・(笑)
桑山さんの行動力には、ほんとうに 頭が下がります。いつもブログを拝見していると 心を打たれる事ばかりです。桑山さんの活動を 娘の小学校の子供達に教えてあげたいです。「私も 一歩 行動してみないと!」ひとり 鼻息荒く 考え中です。
破壊された家での宝物探し。きっと、無念の記憶とうれしい発見がない交ぜにあるのでしょうね。
2か月前までは日常的意識としてあったものが、急にかけがえのないものに変わる。我が家は何事もなくこれでいいのだろうか?と、なんだかとってもせつない気持ちになります。
テレビでは瓦礫の山ばかりが目につきますが、粉じんや臭いなどの環境汚染はかなりのものですね。
心のケアと同時に健康被害の拡大が心配です。
桑山さん、力仕事、ご苦労様でした。
皆さんの大切なものを一つ一つ大事に抱えて家を後にされたと思うと、とても悲しい気持ちです。
みやぎ生協閖上店にお勤めされていたお母さん。前向きな理由がわかりました。
地域に暮らす人どうしが助け合えるのが、一番だと思います。
子どもたちも相当ストレスが溜まっているようですね。
また、サッカー大会を企画してみては?
ミステリー・ホームレス歌人
ホームレスという名の歌人。これはあり得ることなのだろうか。
かつて寺山修司(劇作家・詩人)は「あなたの職業はなんですか?」と、問われると「私の職業は、寺山修司です」と答えたという。その寺山がホームレスに「あなたの職業はなんですか」と尋ねると、「私の職業は詩人です」と答えても不思議ではないといっている。しかしこれは寺山の想像である。
現実に「詩人」、いや「歌人」がホームレスの中にいたというのは驚きである。
(柔らかい時計)を持ちて炊き出しのカレーの列に二時間並ぶ
(ホームレス)公田耕一
この一首が朝日新聞短歌欄に載った。2008年十二月八日の紙面である。
それを皮切りに十二月中にもう一首、さらに2009年一月五日二首、十九日、二十六日それぞれ一首づつと矢継ぎ早に掲載される。
朝日短歌欄は、毎週、二千五百首から三千首の作品が寄せられる。これを四人の選者がそれぞれ十種ずつ選び毎月曜日の朝刊に掲載する。
大変な難関であるが毎週のように登場する(ホームレス・公田耕一)に世間の眼は注がれた。当の朝日新聞も事態が大きくなるにつれ「ホームレス歌人さん・連絡求む」という記事を社会面に載せたりもした。投稿葉書にはホームレスとしか書かれていないため、連絡が取れずにいることを明かしながらホームレス歌人の実態を知りたいと思っていたのである。このことは後に天声人語にも取り上げられる。
鍵持たぬ生活に慣れ年を越す今さら何を脱ぎ棄てたのか
パンのみで生きるにあらず配給のパンのみみにて一日生きる
日産をリストラになり流れ来たるブラジル人と隣りて眠る
ホームレスという日常を、切々と哀感をもって力強く歌に詠み込み、多くの読者の共感を得る。しかし、ホームレス・公田耕一がいったい何者なのかは分からないのである。
僕が好きな一首。
百均の「赤いきつね」と迷いつつ月曜だけ買う朝日新聞
月曜日は朝日新聞に短歌が載る日である。
ホームレス歌人・公田耕一を追うドキュメント「ホームレス歌人のいた冬」は圧倒的なドラマで息をもつかせず僕を横浜のドヤ街に誘い込んでいく。
作者三山喬はいう。
「私が探し求めたものは、結局のところ、苦しみのなかで自らを真摯に見つめる心だった」
謎の歌人を追いながら、この言葉を自らに問いかける。
三山喬著「ホームレス歌人のいた冬」(東海教育研究所刊)
和歌山 なかお
「クローズアップ東北~密着!被災者の心救う心療内科医~」を拝見しました。
夫の実家でDVDに録画して送ってもらいました。
津波の映像は何度見てもぞっとします。本当に信じたくない光景です。
今までブログに登場した方も何人か映っていて声を聴くことが出来ました。
江里ちゃん、職場復帰したんですね。前に向かって歩き出していて良かったです。
優子ちゃんと明ちゃんもちらっとさりげなく映っていてうれしかったです。
なかなか閖上には行けないけれど、気持ちの上ではより身近になりました。
皆さんのご健康を祈っています。
昨日肩もみサラダ隊に参加させていただいた学生です。
4回子供たちと過ごしましたが、一番小さい子を誰が実の兄弟?と思うほど、みんなで良く面倒見ていて、子供なりに良く頑張っていると感心しました。
その一方で、どう見ても痛みしか感じられない、互いに痛めつける様な遊び方をする。そうかと思うと、おんぶ・だっこをせがむ。etc
悪い言葉を使ったりしながら、一見前向きに元気そうですが、避難所生活で疲労困憊している大人を気遣いながら、様々な不安を心に押し込めているように感じます。
帰り際に言った「俺、もう疲れた・・・」の言葉が心に残ります。
今は、一緒ですが今月末には避難所が閉鎖になり、遠くの町に住む子もいるようです。
大変なのは、これからかもしれません。