今日は、青年海外協力隊の駒ヶ根訓練所の定期公演でした。
午前中の診療を終えて仙台空港から中部国際空港に降り立ちました。3月11日以前は、こうして頻繁に仙台-中部国際空港を利用してきましたが、もう今では1日1便しか飛んでいません。以前はANAだけでも1日6便飛んでいたのですが・・・。
そしてたどり着いた駒ヶ根訓練所は平成14年度1次隊の訓練生の皆さん対象からはじまったので、9年が過ぎた定期公演です。
今は震災篇を公演していますが、今日も訓練生の皆さんの素直な反応にこちらも励まされてきました。そんな中、訓練生の一人が言いました。
「私は、この震災で大変な時期に、この訓練所で訓練していていいのか、ずっと自問自答してきました。今、そこで助けを必要としている人が東北にたくさんいるのに、自分は海外の支援のためにここにいることが本当に正しいことなのか、ずっと悩んできました。」
真摯な言葉でした。
「でも、今日桑山さんが言った言葉、”今それぞれの人間が、必要とされているところで、予定通りの行動することが大切であり、それが被災地の人間としてありがたいことなんです”に救われました。そう言われることで、”そうだ、自分は今与えられている役割を果たすことが、広い意味で被災地に貢献することなんだ”と思えるようになり、楽になりました。」
例えば、今回の訓練を途中で止めて被災地の泥だしに来てくださったら、それはそれでありがたいことです。でも、逆に考えるとそれで訓練が中止されて、その人が例えば予定されていたザンビアに行けなくなったとしたら、そのザンビアで待っていたはずの人へ支援は届かなくなってしまいます。それは不幸なことではないでしょうか。
地球という単位でものを考えれば、ザンビアで支援を待っている人も、石巻で支援を待っている人も基本的に“困っている”ということで差があるとは思えません。だから、この二つの支援はできるだけ同時に行われるべきだと思うのです。
それぞれの人には「役割」があるはずです。もしもその時時間がある人は、その時間を使って石巻の泥出しに来てくださるとありがたいです。でも、青年海外協力隊の訓練所にいる人は、その時点で決まっている「役割」があるはず。その役割を果たすことが、地球全体のためであればザンビアのためになるし、ひいてはそれが被災地のためにもなると考えます。世界はいろんなところでつながっているはずですから。
大切なことは今自分ができる役割を果たすこと。それは、被災地に直接関わっていようがいまいがあまり大きな差ではありません。なぜならば被災地の人たちが目指しているのは「前と変わらない生活」ですから、それを日々維持してくださることが、僕たちの目標になると思うのです。
これまで通りでいようじゃないですか。そんな中で被災地への想いを向けてくださればそれだけですごいことだと思うのです。
桑山紀彦
訓練生の思いへの答え~「前と変わらない生活のためにそれぞれの役割を果たす」~簡潔でよく理解できる答えで私もすっきりしました。
目の前で死と直面した亮子さん。懸命に納得しようとする気持ちが健気に見えて泣けてきます。心が折れることなく前に進まれるようにお祈りします。
協力隊で海外に出て行こう!という志の皆さんだからこそ、自分の住む日本に災害が起きて、困ってる人がたくさんいるのに…と悩まれた事でしょうね。桑山さんの言葉を聞いて更に残りの訓練に力も入るだろうし頑張ってこられる事でしょう。 地球のステージ、更に、重要な役割を果たしている様な気がします。が、今まで通り、大切な事を伝えて下さい。
節電の首都圏。電車もクーラーを入れず、送風や窓を開けたりして暑さをしのいでいますが、最近は、通勤の満員電車の中、体調崩される方がいらっしゃり、電車が遅れ、遅刻しないか、ドキドキする日が続いています。
訓練生の素直な反応が響いてくる良いステージでしたね。鳴り止まない拍手、桑山さんと話したくていつもより長い列ができていました。
清々しい彼らに、協力隊OGとして、元スタッフとしても、誇らしい気持ちと、10年前の二本松でのステージの感動でいっぱいになりました。
『固有名詞の出会い、見てみぬふりはしない…』とつぶやいていた青年。彼の目は決意に満ち、輝いていました。
『やってあげる』でなく、『やらされる』でもなく、『やりたいからやる』。その中に役割ができてくる。
桑山さんの行き方そのものの、熱いメッセージは、確かに彼らに伝わりましたね。
夫は、『桑山さんは被災者だけど、復興者だよ。桑山さんが生きててくれて良かった。』と言います。
伝えてくれる桑山さんに感謝します
ありがとうございます
これからもよろしくお願いします
6年前、病院からの父の容態の急変の電話に急いで駆け付けた私たち家族が病室で見たものは、父の上に馬乗りになって人工呼吸をする医師の姿でした。「もう20分以上もやってます。」とその医師は私に止め時を催促するような口振りの言葉を発しました。すぐさま私は携帯電話であなたと連絡をとり、人工呼吸を続ける医師の耳元に携帯電話を押し当て、あなたとその医師との直接の会話が始まりました。それからどれくらいが経ったでしょう。「弟さんが電話を代わってくださいと仰ってます。」で電話口に出た私にあなたが「にいちゃん、もう駄目だと思う・・・。」
父の突然の死去で急遽帰郷したあなたに私が何よりも聞きたかったことは「親父は苦しまずに逝けただろうか。」でした。「一瞬で、苦しむことはなかったと思うよ。」
これらの「最終コール」、「苦しみはなかった。」とのあなたの言葉によってのみ私は救われました。
「納得に関わること」、言葉を換えるならば「納得を後押ししてくれること」は、あなたが医師として、人間として、善き隣人として、「同感」者として、そして科学者として全幅の信頼を得ているからこそできることだと思います。
尊い仕事に就けましたね。立派な仕事をしていますね。
組み込まれていた 地球のステージ
必要とされていたんだと 改めて思いました。
訓練生の方々も 桑山さんの想いと共に世界中に飛び立って行かれることでしょう。
亮子さんお辛いでしょうね。もしも 私があなたと同じ経験をしたらと思うと・・・
桑山先生にいっぱい いっぱい お話してくださいね。
亮子さんの想いに胸が痛みます。
苦しまなかったのだろうか?その時、傍に居られなかった悲しさが溢れていますね。
桑山さんの一言で亮子さんが「納得」できて心の整理ができるんですね。
きっとこれからもどなたかに問われることがあるでしょう。
灯台の灯りのように桑山さんの存在は大きいですね。
診療では大変な思いをされることも多いと思いますが、よろしくお願いします。
一に雷、二に注射
新緑の季節となり木々のみどりが美しい。
我が家の庭にも草花が、というより雑草が所狭しと萌えだした。というと聞こえはいいが、鬱蒼とした汚い庭へと変わってきている。そこで、こころを決して庭の草刈をすることにした。先週の日曜日のことである。
ひ弱な僕は、日中は暑いので、夕方四時ごろから取り組み始めた。体を労わりながら、汗だくになって、あちこちと雑草の中を邁進し、背丈ほどにもなった雑草と格闘をした。
一時間半でほぼ刈り終えたので、一段落して休むことにした。そのころには、ひ弱な体はくたくたになっていた。
夕陽を見ながら体を玄関の前に横たえ、自分の体の様子をみる。息は、はあはあ、体からは、汗が止めどもなく出ていた。ただ、こころよい疲労感が体を包んでいた。田園風景の中に沈む夕陽は美しかった。しかしである。
その夕陽が我が体を温めている。少しずつ体は楽にはなってきているが、体温は下がろうとはしていない。休んでいるからクールダウンできるだろうと、そのときは考えていた。
バカだなあ。そんなことは結局なかったのである。
金曜日になっても、熱気が抜けなかったのである。熱中症になったことは間違いない、そう思った。さっそく医者に行った。
「どうやら、熱中症になったようです」医者に言った。
「食欲はありますか」医者は訝しげに僕を見てそういう。
「食欲はあります」
「熱はありますか」
「三十六度です」「平熱ですねえ。下痢はしていますか」
「ありません。いたって快便です」
「それなら、熱中症ではありませんねえ」
「でも、先生。体がほてって、熱いのですが」
「それは、気のせいじゃあありませんか。草刈と夕陽、そう思っているのじゃあないです」
「そんなことはありません。草刈りからもう五日もたっているのにそれでも体が暑いのはやはり熱中症に違いありません」
「そんなことはないと思いますがねえ。大丈夫ですよ。もし気になるなら、念のために血液検査でもしてみますか」
「これは、熱中症です。もし違っても、何かの思い病気に違いありません。検査して病気を見つけてください。ぜひ、お願いします」僕は自信を持ってきっぱりと言った。自分の診断には自信があった。これは、間違いなく病気だと。しかし、一つ大事なことを忘れていた。
医者が言った。
「では、注射をします」
「えっ、なんですって。注射ですって」まさか注射するとは思いも及ばなかったのである。バカだなあああああ。
医者は淡々とした口調で言った。
「血液検査ですから注射をするのは当たり前です。血液を採取しますので」
それは困る。こころから、そう思った。
「注射は困ります」キッパリと言った。
「詳しい検査は、血液検査をしないと分かりませんので。詳しく調べるのじゃないのですか」
「それは、そうなんですが・・・・・」
「それじゃあ、検査やめますか。あなたは体が熱いのじゃあありませんか」
「ええ、そうなんですが・・・」僕は黙り込んでしまった。
世の中で、一番怖いのは「雷」。二番目に怖いのが「注射」である。なぜかというと、あの注射の鋭利な針が身に刺さると思うと、怖くて堪らないのである。もう泣けてくる。どうしよう。さんざん考えた。最後に、「お願いします」と小声で言った。
「検査結果は明日分かりますから、明日また来てください」
僕は、目を瞑り、意を決して腕を差し出した。心の中では「怖いようーーーー」と大声で叫んだ。
翌日、検査結果を聞きに病院に行く。医者は勝ち誇ったように言った。
「淡白、正常、肝機能、正常、すい臓も腎臓もまったく正常です。白血球異常なし、ヘモグロビン正常、血小板異常なし。どこも悪いところなし。どこにも以上は見当たりません。あなたまったくの健康体です」
医者はいわゆる「どや顔」でぼくを見た。
とほほほ・・・・・。あんなに怖い思いしたのに・・・。なんということか。
、あの、勇気と決断はなんだったのだろうか。
そこで、世間の人に言いたい。世の中に「雷」と「注射」が無くなればいいのにと。
病院から帰る道すがらそんなことを真剣に考えていた。
和歌山 小心者のナカオより
「身近な日常生活の中で役割を果たすこと」が大切。
当たり前のことなのに なぜか心に沁みました。 ありがとうございます。
お兄様のコメントに感動しました。
優しく温かく包み込んで「立派な仕事をしています。」と弟を褒めてくださるお兄様の存在は大きな励ましですね。
オスロはさわやかな快晴。
空気はひんやりしていますが、陽射しは元気です。
早朝3時ごろ 鳥のさえずりと共に夜が明け始めます。
いつもお兄さんのコメントに感動しています。遠く離れた弟を賞賛する言葉や励ます言葉に自分は涙を流すことがあります。すばらしい兄弟愛ですね。25年以上、桑山君のご家族との様子を傍らで見てきた人間として、ご両親を大切に思う気持ちや態度は、いつもお手本として、いや・・・あこがれに近い気持ちで思ってきました。お父様が亡くなる直前、桑山君は愛知万博での講演でしたね。その時、ご両親と一緒に地球のステージを見たのを思い出します。いつかお父さんとゆっくりお話したかったです。桑山君とお兄さんを育てた秘密を今度ゆっくり高山のお母さんに伺ってみたいです。