スーザンの人生

南スーダンの内戦は2016年に停戦協定が破られて以来激化し、隣国ウガンダをはじめ周辺国への難民の数は実に150万人を超えています。

現在滞在中のウガンダ北部がまさにその流入した難民の皆さんの居住区で、ゾーン1から5までに分かれており、ものすごい数の難民の皆さんがウガンダ国内に暮らしています。しかし、ウガンダは現時点においてもっとも難民を受け入れ、非常に丁寧に対応している超有名な国です。何しろ逃れてきた南スーダン難民の皆さんに対し、選挙権以外の全ての権利を保障してきました。つまりそれは場合によっては土地も所有できるし、お店も営めるのです。もちろん銀行の口座だって作れるし、会社を興すことだって、車を持つことだってできます。でもそれはごく一部の難民の皆さんのこと。多くの南スーダン難民の皆さんは農民です。

だからウガンダは驚いたことに最初は50メートル四方の土地を与え、開墾を促しました。現在は減りに減って5メートル四方にまで下がっていますが、それでもウガンダは南スーダンの人々に開墾を奨励してきたのです。そしてもともとのウガンダの農業従事者との協働結社なども盛んに作り、この北部の開墾に努めてきました。それは一つに開発の遅れていた北部を、この機会に難民の皆さんと共に開墾していこうという思惑もありますが、何より難民を排除しないその姿勢が国際社会からも高く評価されている。それがウガンダという国です。

見渡す緑の大地に拡がる無数の村。それはほぼ全てが南スーダン難民の皆さんの居住地です。しかし農業を促すことによって自給率を高め、なるべく負担のない形で難民との共存を目指しています。だから今回はゾーン4の中の学校を舞台に心理社会的ケアを展開していますが、とてもやりやすい状況です。ウガンダ人が積極的に評価してくれるからです。

どこかの国も見習った方がいいと思うほどの思い切った対難民政策をひくウガンダ。実際に来ることによって、そんな側面が見られて本当に良かったです。

そんな中、今日はスーザンの家を訪問しました。

ゾーン3の中にあるスーザンの家、ニコニコと笑顔で先導するスーザン。そして、

「これが私の家!」

といって紹介してくれたその家は、小さな小さな一坪(約2畳)の家でした。実はとても驚いたけれど、ここに暮らすスーザンに失礼があってはなりません。すかさず、

「すごい素敵な家、キュートだね!!」

といいましたが、実は泣きそうでした。ここにスーザンは一人で暮らしているのです。両親を殺害され、兄妹も行方不明でたった一人このウガンダに逃れてきたスーザンは、この家とわずかな勉強道具が財産の全てなのです。家財道具などほとんどありません。

 

「とっても親切な隣のおばちゃんが助けてくれてるんだ。だから安心。ご飯は時々配給がなくておなかすくけど、それはみんな同じ。とにかく隣のおばちゃんがいい人でほんとに助かってるんだよ~!」

これが、これがたった一人で生きている17歳の姿です。17歳だけど学校では小学校6年生。どれほど過酷な人生を生きてきたのでしょう。それでも、彼女には夢もあるし、希望もあります。

日本に生まれ、何不自由ない中で育っても道に迷う高校生がいます。スーザンのことを考えて元気に、前向きになってほしいと思います。

その一方で強い意志があっても戦争に巻き込まれ、こんな過酷ない人生を歩んでいる17歳がいるけど、夢と希望はちゃんと持てています。

プレゼントのTシャツ(島根県益田実行委員会特製「地球のステージ」ロゴいりTシャツです!)、タオル、ボールペンを大切そうにしまい込み隣のおばちゃんに渡します。「前にね、私のものを取っていく人がいたんだよ。もうがっかり。だから大切なものは隣のおばちゃんに預けてるんだ~。」

そう笑うスーザンは確かに17歳の笑顔でした。

そこには過酷だけど、自分の人生を自分なりに決めて歩んでいこうとする人間の強い意志を感じました。

スーザンに大いなる明日が来るために、私たちができること。それは世界の出来事に興味と関心を持ち続けることと、この日本という平和な国において与えられている「チャンス」というものを逃さないで、ちゃんと自分らしく生きていくことではないでしょうか。

桑山紀彦

コメントを残す

あなたのメールアドレスは公開されません。必須項目には印がついています *