今日は、静岡県静岡市清水区にある興津中学校でのステージでした。
もう5年目、今日はステージ5です。震災後ようやく会えた小口さん、中西さん。この2人のコンビの仕事はいつも気持ちよく、そしてダイナミックにステージをつくってくれるが故にいつも涙ぐんでしまいがちになります。
全国の音響さんにたくさん心配してもらっていますが、これから一緒にステージをつくっていくことで、協力し合える喜びがあります。
昨日の夜は東京駅に泊まりましたが、首都圏も大きく変化していると思いました。まず東京駅だけでなく、どこも薄暗い。びっくりします。節電が大々的に行われているわけですが、違和感なく、
「やればできるなあ」
と思いました。もちろん勘違い「有名人」の多い首都圏ですから新宿とか六本木に行くと、「奢れるもの」はたくさんいてそんなところは昔同様電気も光光だとは思いますが、いつか「久しからず」となるでしょう。
福島の原発の影響を受けて首都圏は暗い雰囲気の中にありました。そしてまだ夜の11時だというのに人の姿がまばらで、ずいぶん早く帰っているんではないだろうか、と思いました。
もちろん基本的に被災地に暮らす人間としては「自粛反対」の立場です。これまで通りやるべきことをやって、自粛なんて雰囲気に圧されないようにしましょうという姿勢ですが、この人通りのなさは少々びっくりでした。首都圏の皆さん、自主的な自粛ムードなのでしょうか。
そして最近宿泊しようとすると必ず、
「少し広い部屋にしておきました」
とか
「部屋をアップグレードしておきました」
という感じが多いのです。これはおそらくこちらの住所が「宮城県名取市」と言うことで、
「被災地から来た人たちだ」
となって、親切にして下さっているのではないか、と思うのです。こんな所には首都圏の皆さんの優しさを感じます。自分たちの身の回りでできることをやろう、と思っているのだと感じました。
要所要所でエスカレーターが止まっていると、荷物の多い「地球のステージ」としては辛いものがありますが、やっぱりそこは「歩けばいい」のだと思います。それは自分のためにもなるはず。
「奢れるものは久しからず」
の精神で行きたいと思っています。
そして興津中学校です。
よく聴いてくれました。すると本当に泣けてくる。最近ずいぶん脆くなったなあ、と思います。ちょっとでも真面目に聞いていない生徒がいるといきなり反応して落ち込みが激しくなりますし、ちゃんと聞いてくれる生徒ばかりだと逆に泣けてくるんです。ずいぶん喜怒哀楽が激しくなっているなあと感じるときです。おそらく心がむき出しになっているので、感じ方が敏感になってしまっているんでしょうね。
これまで通りのタフな「地球のステージ」でいたいのですが、なかなか不安定な要素が消えていきません。でも、本当は聴かない生徒がいても、それは自分のせいだと思うべきだ、と思ってやってきたのですが、赤い消防車の歩さんの話の時に笑い声や私語があると、どこかで自分のせいではない、人の心をわが身に感じることのできない困った生徒だ、と思って腹が立ってきます。幸い、これまで2校くらいしかなかったので、あまり気にしないようにしていますが、これからどんどんステージが入ってくるので、その都度に詰まったりしないようにタフにならないといけないですね。
興津中はまた来年、今度は6番で呼んでくださるようですが、震災と津波から1年という復校の話ができるといいと思っています。
桑山紀彦
お疲れ様です。中学生って、難しいよね。でも、しっかりと伝えて下さい。聞いてないようで、以外に聞いてたりするし。ステージで子供達に送る、桑山さんのメッセージ 大好きです。
福島から電気をもらってたなんて事知らなかった人が多い東京。計画停電の時は23区はほとんど関係なく、多摩地区からすると、「なんでやねん!」って感じでした。今日は雨、電車の中がきついじゃろうな。私は体調崩して仕事休んだから分からんけど、子供が言ってました。開けてた窓、雨が降り始めて、閉める様放送が入り、閉めたら、暑くて、汗が吹き出たと。
明日も、思いが伝えられます様に。
自主的な自粛ムードというよりも、経済団体の働きかけで全企業的に省エネが浸透しており、計画停電の延長で自主節電が続いているので暗いのだと思います。先日、京都の甥っ子から「東京へ出張して帰ったら京都駅構内がまぶしくて驚いた」と聞きました。
夜の街の静けさは自粛というよりも、企業主導の自粛の最中と大災害の渦中に、遅くまで飲み歩くのは気が引けるから、ちょっと飲んで早めに帰ろうか・・と言った人が大半の様な気がします。
悲観的な見方ですが私の実感です。
どんな雰囲気であってもステージ公演は続けてください。四街道の総会を楽しみにしています。
日々のステージお疲れ様です。
計画停電、さまざまな自粛はまさに全国で東北の復興を応援してもらっていると感じます。
昨年の夏のような猛暑になった場合、人命に関わる事態に備え今から節電に慣れていることは必要不可欠と思います。
被災地で診察を続けられている桑山さん。感情の脆さとおっしゃられますが、強いからこそできるステージと思います。
多くの犠牲者のことをお聞きになり、受け止められ、生きる力を気づかせて下さっていると思います。
歩けばいい 良い言葉ですね。
気持ちの良いステージで良かったですね。
桑山さんのむき出しの心が傷を負わないように祈るばかりです。
駅のエスカレーターは混雑時を除いて停止しているところが多いようです。
エレベーターは動いている駅がほとんどなので、時間に余裕があったら探してみてください。
この夏に突然停電しないように計画的に節電を進める必要があります。
生活の見直しも兼ねて個人の住宅も節電を工夫しなければ、と思っています。
自粛しているつもりはないけれど、まだ 普通には 戻れないような・・
でも 被災された皆さんにたくさんのこと教えていただいた。
今まで普通だったことが ほんとうは 大切なことだったと・・
桑山さん 飛騨高山のソファーでひと休み出来れば いいのにね。
大荷物の時の階段のしんどさ!
去年の渡米直前に広島~山口~京都と一人で移動した時のことを思い出しました。
小さな駅には、エレベーターもエスカレーターも無くて当たり前。
田舎は、まだ、手伝ってくださる方もあって、本当にご親切が身にしみたのですが、ちょっと都会だと誰一人見向きもしません。 ちょっとしたスロープもなかったりします。
「海外からの観光客も多い町だから、きっとバリアフリーだろう」と思い込んだ私が「田舎者」でした・・・。
札幌も、そこそこ都会なんですが、困っていたら必ず誰かが助けてくれます。
北海道人が、人なつっこいだけなんでしょうか?
階段を歩くのは平気ですが、端を歩いていても、ゆっくりだと「邪魔だ! どけ!」というような勢いで押される、あの首都圏の世知辛さ・・・これを機会にちょっと変化があるといいなぁ、と思っています。
和歌山震度4
今朝起きてみると天気予報の通り雨が降っている。それも雲が下界まで降りてきて曇の中にいるようだ。
車の運転に気をつけなければと駅まで運転していると、道路情報の掲示板に霧のため59キロ規制と出ている。そうなんだ、この薄曇りは霧が発生しているのかと知らされる。確かに、雨にしてはやけに小粒の雨だなと思っていた。霧と分かりフォグランプを付け慎重に運転する。
フロントから霧の和歌山が見える。普段見慣れた風景も趣のあるものに見える。風情のある風景を見ながら車を走らせていると、こんな中国詩を思い出した。
「水村 山郭 酒旗の風 (すいそん さんかく しゅきのかぜ
多少の楼台 煙雨の中」(たしょうのろうだい えんうのなか)
晩唐の詩人、杜牧の詩の一説である。
和歌山も自然に包まれ詩情あふれる土地になるのかなあ、あらためてわが故郷を見直した。
自然は不思議なものだ。昨夜、和歌山北部を震源とする震度4の地震があった。マグニチュードは3程度であるが、震源が浅いため、和歌山市では震度4を記録した。震度4とはかなりの揺れである。震災の影響がない和歌山県民にとって、被災地で続く余震の恐ろしさをあらためて体感できたのではないだろうか。各地の震度は海南市で震度3、わが日高町は震度1であった。
自然は時には人を感動させるが、時には人を苦しみや哀しみのどん底に陥れる。
我々は、せめて、人為による、悲劇だけは避けたいものだと、霧の中を走りながら考えていた。
和歌山 中尾
節電は、やはりこちらでは課題になっていますよね。
いろいろ今から考えなくてはと思います。
人間は我慢できても、我慢が出来ない小動物のことも考えなければ・・・保冷剤で乗り切るかとか。
家に帰るのも、自粛というよりは、不安なんだと思います。
東京では多くの帰宅難民の方が出ましたし。
家族と一緒を、考え直す良い時間でもあったのかもしれませんね。
不真面目な生徒、腹が立つよなぁ。
腹は立ててもいいけど、落ち込むのはやめましょう!
ところで桑山さん、最近、漢字の変換ミスが多いぞ…
疲れてるのと違う? 休もうよ!
昨年の同窓会は高山でした
列車を降りたら
大きなトランクを持ってる外国人数人
見事に高山駅についた特急ひだ号は
バリア有りでした。
持ち上がらないようなトランクを
力づくで
ゴトン!と
無理やり引きずって運んでました。
国際的な観光地なんだから
バリアフリーにしてほしいなぁ。
新幹線の乗り降りも
多少段差があって
しんどいと思うのは
私だけでしょうか??
実は私も以前
昔よく歌った曲を
カラオケで歌った瞬間に
涙が止まらなくなったことがあります。
その曲には嫌な思い出はないのですが
その曲を歌っていた合唱団のコンサートを終えて
いろいろあって(人間関係)
悩んで相談して泣いて泣いて
その合唱団をやめてきた仲間10数人と
新しく違う合唱団を設立して
楽しく歌っていたのです。
頑張ってコンクールに出て
優勝して
打ち上げに出かけたカラオケで
うっかり以前コンサートで歌った曲を歌ったら
泣けて泣けて…
優勝して
とてもうれしい気持ちの時だったのに
その歌のイントロを聞いただけで
以前のコンサートの場面が浮かんできて
いろいろな気持ちが浮かんできて
泣けて泣けて
忘れていたはずだったのに
心の中に傷が残っていたのですね。
もう何年か経ってた時でした。
震災の大きさと
私たちの合唱団分裂の事件とは
比べちゃ申し訳ないですけど
心の中の重さって
いつまでも残って
不意によみがえってくるのだなぁと
先生のブログを見て
思い出しました。
先生や皆さんの
心の中の重しが
泣いて話して泣いて泣いて
そうするうちに
きっと軽くなっていくと思います。
いつか
青空のように
すっきり晴れて
鼻歌、歌いたくなる日が
きますように
祈りながら
愛知で
歌っています。