スーザンの勇気

今日は活動3日目。はりがねの人生でした。

どんな人生が語られるのか、スタッフもさすがに3日目になると涙への受け止め方が分かってきたのか、余裕を感じました。困難な人生であれば涙を持って語るのは当たり前なんだ、という理解。子どもが両親の死を語って涙を流すことに最初はかなりの戸惑いがあったけれど、「それでいいのだ」という理解を持ちながら寄り添うことができるか、そこがファシリテーターとしての腕の見せ所です。

 

しかしやる気のあるファシリテーターはついつい乗ってくると「先生」のようになってしまい、「教育」してしまいます。

「こんなふうに考えるといいんだよ。」

「こんなふうに理解するといいんだよ。」

という「指導」に変わっていった瞬間、心理社会的ケアでなくなります。あくまで「内的な気づき」を促すのが心理社会的ケアの重要な部分です。

これからMPJのスタッフは、もっともっと学んで「指導」ではない「気づきの促し」をいっぱい引き出せる人材になっていくことでしょう。

さて、今日の主人公はスーザンでした。

いつも真っ赤なTシャツを着てピンクの十字架を下げているスーザン。英語もうまく表現の力も十分です。今日は彼女の人生の軌跡が語られました。

「私が生まれた頃のスーダンはまだ平和でした。学校にもちゃんと行ける環境だった。でも小学校の高学年になることから急激に戦争が激しくなっていきました。学校にも行けず、学びたい私はほんとうに哀しかった。

そしてスーダンを離れこのウガンダに来てほっとしたのも束の間、父が亡くなりました。私を支えてきた人が亡くなってしまったのです。また学校に行けなくなってしまいました。けれど私たちを支援してくれる人々にに後見人を紹介してもらい、今はなんとか学校にも行けています。

将来は…。教会のシスターになりたいと思います。神様に仕えたい。だから、私の人生のこの端の方は少し上に向かっています。

私は努力してこの困難を越えていこうと思います。」

みごとなプレゼンテーションでした。現在17歳、スーザンの人生です。

このスーザンの「負けない」宣言に刺激されたうちのファシリテーターはがぜん「先生」となってしまい、人生を説き、神を称え、努力を強調していました。

心理社会的ケアにおいては、ファシリテーターが人生を説くことはあまりありません。それは先生たちの領域だからです。こんなスーザンの発言を受けて、

「じゃあ、あなたはどう思う?」

と、他の子どもたちに聴いていってくれるといいなあと思いました。明日の朝のミーティングで、うまく伝えられるように頑張ります。

お父さんの棺桶を包む紫の衣を描くベティは、今日もはりがねの人生でちゃんと自分の人生を語りました。どんな困難があっても最後は拍手でその語った勇気を称える仲間たちに包まれて、笑顔が光っていました。

明日は音楽ワークショップです。

桑山紀彦

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