江里ちゃんの家

 今日は午後から江里ちゃんの家に行きました。

 江里ちゃんの家は閖上2丁目。一階部分が津波に襲われもう住めない状況になっています。その家が、そろそろ撤去されることになってきたので大切なものを取りに行くことになったのです。お母さんとおばちゃんも一緒に行きました。
 江里ちゃんの家はずいぶんとお金がかかっており、立派な柱がびくともしないで踏ん張っていました。だからものすごい勢いで津波が襲ってきたのに、家のフレームがゆがんでいないのです。
「お母さん、立派な家だ。土台がしっかりしてる」
「そうなのよ、だからふとね、住みたくなるんだ」
 そう答えたのはおばあちゃんでした。
「ワシが仙台からここへ引っ越してきたのはもう何年も前だなあ。知り合いもいない閖上に来たから最初は寂しくてなあ。でも閖上の人たちはみんないい人たちだったからすぐに友達ができたんじゃ」
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お母さんとおばあちゃんが、大切なものを見つけました。
 おばあちゃんは水没して泥だらけの自分の部屋に入っていき、何かを見つけたようです。
「せんせ、この引き出し開くかのう」
 それは泥で固まっていましたが少し工夫をすると開きました。そこには身につけてきたネックレスやブレスレットがあったのです。
「いかったや~、これ見つけてこれは想い出の品だものなあ」
 そういっておばあちゃんは大切そうにその装飾品を持って帰りました。このままあきらめて家に来なかったら、それは重機でつぶされていたでしょう。良かった、今日ここに来て。
 一方の江里ちゃんは居間でじっと何かを見つめています。お父さんのコレクションの棚でした。
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お父さんのコレクション棚
「お父さん、プラモデル好きでね、いっぱいつくってたんだ。これみんなお父さんがつくったものなの」
 そういいながらじっと居間を動きませんでした。
「江里ちゃん、持って帰りたいものはみんな持っていこうよ」
「うん、でもいいの。本当に大切なものだけで。今借りてる部屋は狭いから全部は持って行けないしね」
 持って行こうと思うと、みんな持っていきたい。中途半端に持って帰ることがかえって辛いのです。だから、本当に大切なものに限定して持ち帰ろうとする気持ちが伝わってきました。
 僕は、そうして江里ちゃんの家の中をぐるぐる回りながら、江里ちゃんやお母さんが持ち帰りたいものを集めては袋に入れていました。あっという間に一杯になってしまった袋でしたが、どの品物もその家族の想い出が詰まっています。でもそのすべての想い出に線を引かなければならないのです。どこで線を引くのでしょうか。どの品物は持ち帰り、どの品物は持ち帰らないのでしょうか。でもそれを今決めなければならないのです。なぜすべての想い出の品物を持ち続けられないのでしょうか。それは家が津波に襲われたからです。そこを分岐点に江里ちゃんは残せるものと残せないものの選択をしなければならなくなったのです。
 人はこうして試されていくんでしょうね。
 その試された末に、人が強くなれるとしたら、津波にも意味があったと言えるのかもしれません。
 人は失って初めてその価値を知るのかもしれない。でも、お父さんの想い出の品を取捨選択しなければならない姿を見ていると、本当に辛いものです。
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「ここが、お父さんが発見された場所なんだ」
 江里ちゃんがぽつりと言いました。
「お父さんね、隣の家の瓦礫の中で発見されたの」
 江里ちゃんは、そんなことを僕に伝えてくれるまでになりました。でも、だからといってすべて超えられているわけではありません。これからも長い付き合いの中で江里ちゃんの気持ちが今よりも落ち着いていくことを願いながら、4人で家をあとにしました。
「また来るからね~」
 江里ちゃんは家に向かって語りかけました。
「うん、また来ようね」
 次は来週の日曜日です。
桑山紀彦

江里ちゃんの家」への5件のフィードバック

  1. 生きていて、色々な事があるけど、みんな意味がある。と、何かで読んだか聞いたかしたけど、でも、辛い。お子さんをなくされたお父さん、お母さん。親をなくした子供達。どんな場面を見ても意味があるなんて思えんけど…でも一つ一つ乗り越えた先には、何か意味が見えて来るんかねぇ…

  2. NHKスペシャルで「巨大津波」を見ようとしたときのことです。連休で関東から帰省していた子供がいった。
    「このテレビ見ないでほしい。他の番組を見ようよ」
    「どうして」と尋ねると、「関西と関東では震災の感覚が全然違うね。私たちはまだこのような番組を見る気にはなれない」
    さらに尋ねると
    「関東では、いまでもガソリンは20リットルと規制されているし、ヨーグルトも一家に1個だし、余震も続いている。震災の影響がまだ身近にある。だから震災関連のテレビ番組を見るのはまだ辛い。関西はやっぱりのんびりしているね。こちらは震災の影響がほとんどないから、人々の会話のなかにも、関東以北の人とは全然違う無神経な言葉が見える。だから私なんかには、まだ、津波のスペシャル番組なんか見るこころの余裕はないんです」ぴしゃりとそう言われてしまった。僕がリモコンを持ってうろうろしていると、ぱっとリモコンを奪い取りチャンネルを「お笑い番組」に変えてしまった。
    「こっちの法が面白いよ」そういって微笑むのである。
    関西と関東。
    関西と東北。
    震災のこころの痛手は、それぞれの地域によって大きく違うと、我が子どもの帰省によって知らされたのである。
        和歌山   なかお

  3. 被災しなければ、おそらくあまり意識しなかった筈のプラモデルが、思い出の品になってしまうなんてせつないですね。
    シクラメンも、きっと大切にされているのでしょうね。
    少しずつ乗り越えてゆく力を信じたいです。

  4. 人は常に判断を迫られて生きている。いつも試されている。しかし、どうして、江里ちゃんにこの試練を与える必要があったのでしょうか?って思ってしまいます。あまりにも大きな試練・・・。江里ちゃんはじめご家族の皆さんが、少しずつ乗り越えていかれることを願っています。

  5. 家の中、滅茶苦茶になってしまいましたね。もう住めないなんて…。
    選択の判断を迫られるのは大変辛いけれど、思い出の品が見つけられて良かったです。
    きっとこれからの支えになってくれることと思います。
    昨日は日曜日で、肩もみサラダ隊が活躍されたそうですね。
    お休みの日にお疲れ様でした。
    避難所の皆さんはさぞ楽しみにされていることでしょうね。
    くれぐれもご無理をなさらないよう気を付けてご活躍くださいね。

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