京都舞鶴の一日

 今日は朝から京都舞鶴の公演でした。

 こうして被災地を離れ、ステージの公演が徐々に本格的になっていくと、いろんな葛藤が出てきます。まずは「震災篇」で伝える内容が毎回違うので、その都度作り直して臨んでいること。例えば歩さんの写真が入ったり、漁師の正さんの話が入ったり・・・。Keynoteの順番が変わり、写真が増え、シナリオが変化します。
 ビデオ映像はもう既に全編ハイビジョンですが、今回はVer 2.0に変わりました。最初富士山が出てくるところは変わりないですが、その後1分以上にわたる閖上の空撮映像が始まります。そしてカクカクしないドリー映像がふんだんに盛り込まれ、納得のいく映像になってきています。
 こうしてステージ公演が変わるたびに新しい話が盛り込まれ、その都度Up-Gradeしていくのですが、毎回考えるのでかなり大変な作業です。しかし性格に、そして誠実に被災地のことを伝えるにはこういった細かいUp-Gradeが必要だと思っています。
 震災以降、いくつかのステージで生徒さんが騒いだり、笑ったり刷るのを目にするたびに落ち込んで腹が立ってきてはいますが、やはりそれは
「人の命の話を真剣にしているのになぜ真面目に聞けないのか」
 というところに意識が粋すぎて中高生に高いものを求めすぎているのだと思います。しかし、その都度落ち込むので結構びくびくしながらステージをやっているという傾向はあります。「みたい」ということで来てくださった皆さんの集まる自主企画や大人対象のみであればそんな心配はないのですが、「無理矢理聞かされている」状況下の中高生は大変です。
「そんな話聞きたくねえし
 という姿勢の生徒さんもいますので・・・。
 しかし今日の京都府舞鶴の日星学園高等学校は見事でした。背筋を伸ばしてみんな顔を上げ、ちゃんとこちらの話しについて来ます。ふざけたり茶化したり、場にそぐわない笑い声を上げたりなどというマナー違反は一切ありません。終わりの生徒会長の言葉も見事で、彼は一切の台本もなく、まっすぐと僕の目を見て見事な感想を発表してくれました。困難にあっても人間はあきらめず、かえって力を出すことがちゃんと理解されていました。
 夕方は自主企画で橋本さん率いる舞鶴実行委員会のメンバーによるステージでした。
 連休まっただ中である点や田植えの時期に重なったこの日程で、チケットがなかなか出て行かず困っていた橋本さんたちでしたが、見事にジンクス通り最後の1週間でチケットがどんどんはけてそれはそれは多くの市民の皆さんが来てくれました。
5/7-1
 なかでも市内の高校生が声を上げて募金をお願いしたり、司会者を決めたりと重要な役割を演じてくれました。遠く離れていてもやっぱりできることはあります。その根本にあるものはやはり、
「自分を知ろう」
そして、
「見てみないふりはしたくない」
 というものだと思います。
 これからも舞鶴の実行委員会の皆さんがいろんな形で被災地や「地球のステージ」と関わってくださると嬉しいです。
桑山紀彦

京都舞鶴の一日」への11件のフィードバック

  1. あったかい人のほうが、ぜったい多いと思います。日本が変わっていく…夢みています。…ぼちぼち…桑山さんっ!

  2. お疲れ様でした。震災の事をはじめ舞鶴の多くの方にメッセージが届いた事と思います。 話を聞けない子供達のいるステージもあるでしょうが、きっと何かを感じてくれていると思います。鋼の心を持って挑んで下さい。伝えて下さい。

  3. 騒ぐ生徒よりも、当たり前だけを与えて有難さを教えなかった社会環境を怒りたいですね。
    だからこそ、ステージの公演をやる価値があるのだと思います。
    舞鶴というと戦後の引揚げを思い出します。そういう地だから歴史的に人を大切にする風土が脈々と生きているのではないでしょうか。気持ちの良い公演が出来て良かったですね。

  4. 震災後間もなく2カ月になろうとしています。
    あっという間に過ぎました。
    桑山さんが診察される患者さんは、未だ震災のショックの苦しさを抱えておいででしょうね。
    支え続ける桑山さんが伝えたいことを、真剣に受け止めて下さった京都の皆さんに桑山さんの思いが伝わったと思います。
    いつも全力で向かわれる桑山さんのやさしさ、あたたかさ応援しています。

  5. 震災で大変な中、舞鶴まで来ていただき、本当にありがとう
    ございました。水嶋校長先生とは、長男が小学校時代の恩師で、卒業後も何かと気にかけていただき「ステラソル」のメンバーに声をかけていただき、今回、桑山先生とお会いでき
    子どもを通じ、こうして知らない世界を知ることに、改めて人の出会いに感謝しています。
    福島・福島原発と言わない位のマスコミです。
    自分の名前を言われているようで・・・・つまり主人もその係わりで、仕事をさせていただいて、生活が成り立っています。私自信、とうに還暦を過ぎ、やっと、力まず、思いが
    倒れたままに、人生を歩む、すべを少しですがわかった
    ような感じで過ごしていました。
    あなたがいるだけで・・・・・こんな人になりたいと先生のライブで、自分と向き合いました。
    来年の、子ども達との「劇」心より楽しみにしています。
    何度も、ありがとう・ありがとう・ありがとうございました。

  6. 私もあなたを愛して、私にこれらの努力に感謝し、私はあなた私と一緒に願って世界の人々を助ける

  7. 京都でのステージでは桑山さんのメッセージは確かに届いたようですね。
    実行委員会に集った高校生たちも大活躍してくれたのがとてもうれしいです。
    こうしてまた、全国にステージが広まっていくのですね。
    都度の更新などしんどいことも多いと思いますが、桑山さんにしか語れないことです。
    思いの丈を込めたステージを早く見たいです。

  8. 日星高校(日星学園でなく聖ヨゼフ学園日星高等学校です)でのステージ1の公演、そして市民会館でのステージ2本当にありがとうございました。
    午後も夜も2回も桑山さんのメッセージを聴くことができ感激でした。歌と言葉に心をゆすぶられ、また、生徒たちのがんばりに、励まされ、勇気をもらった一日になりました。
    公演の時は、はらはらどきどきです。
    昨年秋「風のかたち」(伊勢真一監督)の映画とトークを計画し、監督にきてもらって上映したときのことです。
    淡々と流れる映像に想像力がついていけず、となりとしゃべったり、監督の前を平気でぱたぱたとトイレに立つ(一部であれ)「心ない生徒」に本当に情けなくなったことがあります。桑山さんが以前のブログに書いておられるようにそうした生徒になすすべももたない我々教師の無力。
    もちろん、学校での公演というものは、生徒にとっては「授業」と同様、あてがいぶちでしかないのも事実ですが、それだけでは片付けられないものをやっぱり強く感じます。
     そうした生徒の姿は、やっぱり私たちの日頃の「教育の成果」以外の何ものでもなく、自分が掲げた教育目標「人と共に 人のために」がしらじらしく、唇をかんでいました。
     伊勢監督は、私の立教大学当時の友人で、その縁で、東京から舞鶴へきてもらった。だからこそよけいに恥ずかしく情けなくつらかった。
    「作品は、自分の子どものようなものなんだ、聴けないなら帰ってくれ!」と映画の後で語った伊勢監督の言葉はそのまま私につきささりました。
    そして、「次に来てもらうときには、ちゃんと伝わる生徒、ちゃんときける学校にするぞ」と決意していました。
    そんなことがあったから昨日の「地球のステージ」日星公演も少しドキドキ。保護者や一般の方もいらっしゃるし。
    けれど、そんな私の勝手な杞憂を越え、昨日の生徒たちは、桑山さんのメッセージを本当に心でうけとめて聴いていました。
    1年たって生徒が入れ替わったことは大きな変化ではありますが、生徒はちゃんと受け止める力をもっているって確信をもつことができました。
    それは、桑山さんのメッセージにあったように「人ごとにしない」「見て見ぬふりをしない」それが「我がこと」にすること。
     本校の生徒も、それぞれの人生をかかえ、親の苦労を感じて学校に来ています。時にはかっこつけたりつっぱったりしなくちゃならない辛さもあるのだと正直思う。だからこそ、曇りのない心を向けたとき、そうした自分の歩んできた人生と桑山さんが見せてくれた世界の現実、子どもたちの笑顔。そして被災地で「がんばる」人達の姿が、シンクロし、メッセージをストレートに受け止めることができたんだと思うのです。
     桑山さんの歌と言葉が、生徒の心をひらき、若者らしい清々しいまっすぐな姿をみせてくれた時間ではなかったでしょうか。私もいっしょに涙していました。
     私たちの仕事は、そうした出会いと世界に目を開き、社会の現実にふれる機会を準備すること。そのための勉強であり、そのための進路です。
     
     さて、私が地震を知ったのは、学習旅行で2年生と韓国に行っていたときのこと・・携帯がつながらないということからどうやら日本で大変なことが起こっているらしい。ということからはじまり、ホテルのテレビで大津波の被災にあった「日本」を見ていました。明くる12日、帰国の飛行機がとべるのかどうかの心配を生徒たちと共有し、関空に戻ったとき、友といっしょにこうして生きて帰ることができた幸せを生徒たちに話しました。
    14日の月曜日、すぐに全校集会をひらき、東北で同じ高校生が亡くなったり被災に遭っていることなどにもふれながら「共にあること」を誓いました。生徒会長も「私たちにできること」をやろうとよびかけてくれました。
    早速、生徒会による募金活動が始まり、いっしょに駅に出向いていきました。通り過ぎる人の半数以上の人が募金をしてくださり、人の温かさを生徒といっしょに感じることができました。生徒会のメンバーは、合格者登校日に新入生にも訴えをするなど積極的にの取り組んでいきました。
     私も、終業式では、甲子園開会式での野山選手の選手宣誓の映像を流し、「わたしたちに今できること」をいっしよに感じてきました。
     年度が変わりましたが、入学式や始業式、そして「復活のミサ」では、「被災地のための祈り」と黙祷ではじめました。ほんとうに水をうったような静寂から始めることができました。これまでは、語っていてもすっと気が散っていくようなどこか空気がもれる感じをもどかしく思っていたのですが、震災以降は、やっぱり人は変わります。
    「「祈りの力」・・・心を向けることができるならば、遠くにいても心をよせることができる。そうした感覚を

  9. コメント長くて途中できれました。すみません。
    「「祈りの力」・・・心を向けることができるならば、遠くにいても心をよせることができる。そうした感覚を味わっています。
    こうした気づきとチャンス、そして勇気をいただいた桑山さん、スタッフの皆さん、舞鶴でやろうよってよびかけてくださった橋本さん、協力していただいた多くの皆さんに感謝申し上げます。
    私たちも、勇気をもって共に歩んでいきたいと決意しています。生徒のがんばりも情報発信しています。のぞいてくださいね。(日星高校ブログで検索ください)
    ありがとうございました。

  10. 良いステージになってよかったですね!
    こういうのって元気がもらえますね。
    今週の土曜日、私も教室の中学生の生徒を連れて
    もりの会の公演に行きたかったのですが
    チケットを入手できず、、、
    とても感性豊かな生徒さんなので、是非みせたかったし
    毎回新しくなっているというステージを
    私も拝見したかったのですが残念です・・・
    完売のチケットは、関心の高さを物語っていると思います。
    いいステージになることをお祈りしています。

  11. 舞鶴にいらしてたんですね。舞鶴の高校生たちが、きちんと聞いてくれてよかった。テレビも一部ですが、見ました。ブログもほぼ毎日、見ています。

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