今日は5月5日で子どもの日。
正直迷いましたが、広島の木原先生や同じく広島から来てくださった看護師の松本さん、平野さんとNICCOからの派遣の宗貞看護師にクリニックを任せ、1日ゆっくり過ごしました。
午前中に髪を切り、そして昼に巨大なイオンのショッピングモールに入ってマクドナルドで次男とご飯を食べました。
何気ない、マクドナルドの風景(本文とは関連ありません)
夕方、次男の亜久里君がふと、
「このホタテ食べたくない」
と言いました。なんか「ワタ」がついていてちょっとグロテスクに見えたんでしょうか。前は食べていたのに今日は、箸もつけず見ただけで、
「ホタテいらない」
と言う。
もう頭に来て、いきなり怒鳴りつけてしまいました。
「お前、なんやそれは!避難所の人が何食べとんのか知っとるんか!
朝パンだけで、夕方は冷めた弁当やぞ。炊き出しがあるときは暖かいものもあるが、みんなでつくったもんに子どもたち”それ嫌い”なんて言っとらんぞ。
お前はそこでなに贅沢言っとるんじゃ!」
言われた彼も驚いたかもしれませんが許せませんでした。家があって、食卓があって、座るイスがあって、ご飯を母親が用意してくれて、それ以上の幸せがどこにあるんじゃ!と思うと、見た目にグロテスクなホタテを見ただけで“嫌い”などと言う次男が許せませんでした。
とはいえ寝る時には
「さっきはすまない。言い過ぎた」
「うん、僕も安易でごめんなさい」
「いや、いろんな境遇の人がいるからな」
「うん、わかっている。僕もホタテ一個食べたよ」
「ありがとう」
僕の外来は、魂の叫びの外来です。受け止めようとしても受け止めきれないときもあります。でもここは地元の医師としてしっかり踏ん張って、ちゃんと聞いていかないといけないと思っていますが、意外なところで影響が出ているのも事実のようです。
でも、これでいいのだと思う。
普通に、そこにある幸せが愛おしく思えてくるからです。
日々の、何気ない「当たり前なこと」を幸せに感じられたらいいと思いました。
桑山紀彦
普通の事がどれだけ極上の幸せか、失って初めて分かった。テレビをみている皆さん、普通の事が普通にあるのが幸せだって知って下さい。って、言ってた小学生。普通にある時は分からんのよね。
心して、今、自分の周りにある‘普通’を大切にします。
桑山さんの、イラッ(-"-;)分かるけど、あくり君、ちょっと気の毒…
桑山さんも人間だしね…
リフレッシュしてファイト 一発!
今日は一日ゆっくりご家族と過ごすことが出来たのですね。良かったです。
髪を整えると気持ちもさっぱりしますね。男前が上がったことでしょう。
被災地の暮らしと被害を受けなかったところの暮らしの差は、まだまだ大きいですね。
心の傷はあまりにも深くて、乗り越えていくには長い年月がかかるでしょう。
せめて目に見える生活(衣食住)は一日も早く“普通”に戻るよう願っています。
日々、真剣勝負の診察を続けている桑山さん。ご自身の休息も忘れないでくださいね。
案じています。
はじめまして。
以前よりこちらを拝見させて頂いておりましたが
コメントさせて頂くのは今回が初めてです。
先生、ごめんなさい…。
息子さんは、どうしてホタテを食べたくなかったのでしょうね…。
私が小学生のとき、
社会科の授業でミイラの写真を見た後
給食にシワシワのソーセージが出てきて
それがミイラを連想させ
食べられませんでした…。
私が高校生のとき
腹部を切る手術の生々しい映像を見てから
ハムの類が食卓に上ると
手術の映像が思い出され
食べられなくなりました…。
私には1歳半の息子がおりますが
食事の後は
テーブルや床が毎回めちゃくちゃになります。
震災直後からしばらくの間は
1歳半の息子に対して
かなり本気で説教しておりました…。
みんな、人間なんですよね。
万能ではない、人間なんですもの。
大人も、子供も。
1歳半。
まだ体重10kgにも満たない小さな小さな息子ですが
震災後、
とても大きな存在に感じました。
こんなに小さくても
一緒にいると
心強いんです。
一人じゃないって
とっても安心できますね。
被災地の方々はじめ
傷ついた多くの皆さんの心が少しずつでも癒されますよう
心よりお祈り申し上げます…。
桑山さん…本音でいいますが…桑山さんは被災されてないからこそ、今のことができるんです。だから、桑山さんが使われているんです。桑山さんが被災されていたら…今のようなことはできません。山形から来て、そこに来て…それは被災された人と関わることができるために呼ばれて来てたんです。重々おわかりのこととは思いますが、それが桑山さんの「使命」です。桑山さんの「命」はそのために「使う」んです。
力まずに…そのままでいいですよ。桑山さんは、それ以上でもなく、それ以下でもないのですから。被災して犠牲になられた方はまさに「犠牲」になられたのです。被災してない人たちが一番大切なことに本心から気づくために。「普通であること」がどんなに素晴らしいことなのか…。だから、被災してない私たちが、それに気づいて実際に行動を起こさないと、被災した方々の苦しみは何の意味もなくなってしまうでしょう。
だいそれたことかもしれませんが…皆さんの苦しみのおかげさまで、日本はこんなに素晴らしい国になれました1といえる日が来ないと…苦しい、悲しいだけでなく…みんな死んでしまいます!
桑山さん…そのままで…そのままで…。
光は射しています!
マックでの写真…2月に名取に行った時に、息子との待ち合わせの時に座った同じテーブルでびっくりです。
息子さんにも理由はあったのでしょうが、ちゃんと先生の心も理解出来ていて安心ですね。
先生の心にも休息がありますように…祈っています。
支え合って人になる。
桑山さん支えてばっかりだと 倒れるよ!
時々は もたれかかってください。
じゃないと本当に倒れるよ!
今日は北九州は数日来の黄砂も収まり、
晴れた青空のもと
こどもの日の地元の緑地公園に出かけました。
家族連れで一杯の花一杯の公園は
美しく明るく
当たり前の日常に満ちていました。
まさしく
桑山さんが目にされた
イオンモールの光景と同じだったとおもいます。
今日は友人とそのお嬢ちゃんと一緒に出かけました。
四つ葉のクローバーを探した春の一日でした。
友人は
本当なら大学生になっているだろう
かわいい女の子のママでもありました。
その女の子は
何の前触れもなく
クリスマスの朝急性脳疾患で倒れ、
3週間後にはお空に旅立ってしまいました。
11才でした。
当時の私にできることは
ただただ寄り添うだけ、
来る日も来る日も寄り添うことだけでした。
時が流れ、
数年後に友人のお宅に
新しい家族が誕生するころに
やっと立ち直りの兆しが見えてきたように思いました。
今日カフェでコーヒーを飲みながら
友人にあらためて
その頃に私たちと
一緒に過ごした時間があったから
今日のように
穏やかな当たり前の暮らしを喜べるようになったと
言われました。
地球のステージの応援チームの皆さんは
悲しみへの理解のあるかたがとても多い気がします。
今回のようにコミュニティで支え合うには
あまりに大きい被害では
桑山さんが名取の医師としてのお役目(使命)を
果たされるために私たちチームでもできることがあれば
肩の荷のホンのはしっこを担わせていただきたいです。
それと
桑山さんもマックでお子さんとの休日や、
ご家族との食卓を囲まれる時間も楽しまれてくださいね。
子どもの日の各地の様子をニュースで見ました。ふと、桑山さんのブログで知った亮子さんを思い出していました。大切な人を亡くされた方々、避難生活の方々のお辛さ、苦しみは、まだまだ続いていますね。少しずつでも癒される時間が増えていってほしいと心から願っています。
お仕事の後にはどなたにも休養が必要だと思います。ボーッと何もしなかったり、日常の環境と違う場に身をおいたり、家族と過ごしたり。どうか皆さま、休養なさってくださいね。
私はテレビで観た桑山さんのみなさんへのお声かけやさすって差し上げる手が印象的でした。桑山さんの魔法の手で、亜久里君もいつもより多めにハグしてくださいませね。
桑山さんの心のケアは誰がやるのだろうか?と思いながらブログを見ています。
でも世界中に心の通い合う人々が居るから大丈夫ですよね。
その分、桑山さんでないと出来ないことに力を注いでください。
亮子さん、「地球のステージのアルバイト」やってくれるといいですね。
亜久里君、異常と普通の境目にいてひとつ勉強しましたね。
太平に慣れきって忘れていた「人の有難さ」「物の有難さ」「自然の有難さ」を反省を込めて思い返し「普通の有難さ」を痛感しています。
厳しく辛い現実の魂の叫びを、受け止め続ける桑山さんの大変さを体で感じる言葉でした。
自然の怖さ被害の大きさによる、人の心身への大きなダメージの回復は、相当の時間を要することになるのでしょう。
悲しみの中で生きることは、常に辛いです。
たくさん泣いて泣いて自分を抱きしめてまた泣いて。
ふと気付くと本気で心配してくれている人達が、暖かく見守ってくれていた。
そして半歩進んだ自分がいました。
時には進んだ分以上戻ったり、つきまとう寂しさと不安との葛藤。
いつの日か亮子さんや今心の闇を抱えている人達から、悲しみの涙が消え、ご自分の人生を大事に思える日が来ますように祈っています。
桑山さんに支えられている人達はたくさんいます。本当に感謝しています。
息子さんに謝ることができる、素晴らしいお父さんですね。
桑山さん、どんどん吐き出してください。桑山さんの心にいっぱい広がる魂の叫びを、このブログに吐き出してください。
今まで使命感で、お休みもとらず診療にあたられた桑山さんも、ようやくご家族で休日を過ごす気持ちになれたのですね。嬉しいです。
桑山さんの心にのしかかる『気持ち』をブログに『書く』事が、桑山さん自身の自然治癒になっているのかもしれませんね。
私たちが聞いていますよ。桑山さんの心の叫びを受けとめていますよ。
被災地から遠く離れている場所に住んでいる私ですが
家族でショッピングセンターに行って
楽しそうな子供たちや家族、わがまま放題のわが娘を見ていると
被災地のことを思います。
このブログで知ることとなった様々な方々や
クリニックで働いていらっしゃる皆さんのことを。
息子さんに怒鳴ってしまったこと、私は良かったと思います。
同じ時間を共に生きた人間としての言葉は
今も、長い時間がたっても
悪い残り方はしないですもの。
何気ない日常が胸にくること、ありますね。。。
桑山先生、僕はカウンセリングのことはよく分かりませんが、精神科医や臨床心理士が、クライアントの話しに同感しすぎた結果、自らもこころを病んでしまうということをよく聞きます。病原菌だけでなく、こころの病も感染するということをよく聞きます。
普通の生活を普通にできるできる僕たちが、津波で家族を亡くしたした人の悲しみがどれほど深いか知ることはできませんが、そういう人たちの苦しみ、悲しみを受け止める桑山先生が病気にならないか心配です。
避難所には多くの不幸、多くの悲しみが満ちていると思いますが、桑山先生が病気になってしまってはその人たちが、立ち直ることができません。それには、桑山先生もこころのうちを吐き出すことが必要でしょう。
僕は、なにもできませんが、このブログで桑山先生が吐き出された言葉をしっかり読み取りたいと思います。
しかし、僕が毎日書いているコメントは勝手なことばかり書いていますが・・・・・。ごめんなさい。これも、僕のこころの吐き出しかも・・・・・・。
和歌山 なかお
桑山先生へ☆
大好きな羽田空港より、大好きな仙台空港近隣へ越してきて…まさかの大津波に襲われました。
看護学生の姪が、桑山先生の講義を何度か聞いてたことで
先生のクリニックを知りました。
亮子さんのこと…
先生のブログで拝読してから
自分が津波のフラッシュバックする時、
必ず、亮子さんのこと、心に浮かぶのです・・。
そして、
わたしは、その亮子さんから勇気を頂いています。
わたし自身も…
助けられなかった命、
自分が助かってしまった罪悪感…今も苦しみます。
誰にも言えなくて、わかってもらえなくて、
ずっと、泣くことを我慢していました。
あの日、
真っ暗な孤立した自宅で待つ間の水の中の恐怖感は、
目の当たりにしていない主人や身内には、中々、理解してはもらえません・・。
「泣くな、ガンバレ」…と主人に言われ。
「津波の音を着信に、津波の画像を待ち受けにして慣れなさい」…と妹に言われ。
わたしは、声を出せないくらいに、辛かった。
半月ぶりに、
避難所から自宅2階へ戻り、バスタブの水を目にした途端・・・過呼吸になり、半狂乱になりそうになり・・
自分の精神状態の異変を感じました。
そして…
堪え切れず…先生のクリニックを訪れました。
奈実香先生に経緯を聞いて頂き、初めて泣けた日を忘れません。
クリニックの看護師さんや、奈実香先生が、一緒に涙して下さり、手を握って下さり、
「泣いてもいいのよ」…の言葉に、救われたのです。
亮子さんの気持ちに寄り添えるかどうか解らないけど
こんな情けないわたしでも…
亮子さんの手を握り、泣いていいよ、って支えてあげたくなります。
まだまだ、フラッシュバックで苦しいけれど、
少しずつ前向きに、誰かのために力になれたら・・・と、
こんなふうに前向きになれたのも、
クリニックの皆様のおかげです・・・。
桑山先生の…心の耳で、言ノ葉を受け止めて下さる姿勢・・
わたしは、温かな希望だと、感じております。
先生だって、ひとりの人間ですもの…
どうか…泣いたり、笑ったり、・・・・吐き出してください…。
今度は、わたしたちが、心の耳を傾けたい…そう思います。
桑山先生…追伸です★
お子様の、ホタテ…の件。
わたしの想像なのですが…
お子様の心に、
目の前の、小さなホタテさんが、海…津波…と、重なったのではないでしょうか…?
機会ある時に、
どうして食べれなかったのか、
お子様の目線で…聞いてみてあげて下さいませ…。
なんとなくですが…
お子様は、
ただ、単に、見た目で食べなかった訳では無いように感じました。
地平線は果てしなく繋がる世界は広くて素晴らしいけれど…
その美しいはずの、自然の猛威が、大津波となって…
人々の心に恐怖感をキオクさせてしまったこと…
お子様は…小さな心のどこかで、感じ取っていたのではないでしょうか・・?
わたしは、先生の、お子様の、
小さな心の奥…を信じてあげたくて…☆
先生のブログを読んで、自分の事を思い返してみました。
もうすぐ4歳になる娘は口も達者で、わがままもだんだん増えてきました。最近ではお菓子をねだり、聞いてもらえないとしつこく泣いている。どうにかそれを止めようと、つい「地震のところのお友達はそんなわがまま言えないよ。食べたいお菓子も食べれないんだよ。」と言ってしまいます。
もう何度言ったことか・・。
「地震のところのお友達は・・」と繰り返し聞かされる娘の気持ちはどうなのか、またそれを言っている私自身は果たしてそんなことを言えるような身なのか・・。
小さなお菓子をねだる4歳の方がまだ可愛いのかもしれません。時には「大人の欲」の方がよっぽど性質が悪いのではないかと思うと、毎回落ち込んでしまいます。
でも改めて考えると、やはり震災の前と後とでは日常生活を送る上で、明らかに意識は変わっていると思います。
それが何らかの形で少しでも被災地の方へ向いていければ良いのですが。
「地震のところのお友達」をずっと想い続けることもきっと大切なことなんだと思います。
福岡に住んでいると地震で被災された状況を想像することでしか考えることができません。
毎日普段通りの生活が繰り返されています。
ただ私は違った形ではありますが父を突然なくしてから数年たちます。今回の地震は福岡に住んでいる私でさえ心にショックを受けています。先生の心を想像することしか私にはできないけれど日々現実に向き合い誠実に生きておられる姿はすごいことです。毎日先生に応援の気持ちを送っています。私は神様はその人が乗り越えられる困難しか与えないと考える人です。たくさんの方が先生に救われているのは確実な事実です。先生がいてくれたことにみんな感謝されていると思います。見守ってます。ファイト!
大切な人を突然失うと、もしその人が生きていたら自分は(自分たちは)こうだったのに・・・と想いを巡らせてしまいます。私がそうでした。その光景がうらやましがったり疎ましく感じたりしました。10年経ってもその感情はあります。不思議なことに、「いいなぁ」という感情はあっても疎ましい感情は少しずつ薄れてきていることに気づきました。時間が手助けしてくれたのでしょうか。
今回の震災では一度に多くの人が大切な人を失い心のケアがクローズアップされていますが、震災に関わらず大切な人を失った人の心に多くの人が寄り添ってあげて欲しいなと思います。