ミャンマー、活動4日目

今日はミャッセ・ミャー村の年に1度の大祭の前夜祭です。

これまで2年にわたってこの村に関わってきましたが、実は夜に滞在するのは初めてのことです。日が落ちて夜のとばりが降りてくると涼しい風が吹き始め、ほんとうに過ごしやすいところだと思います。

イェイェさんと、よく遊びに来ている女子高校生3人と共に祭りの会場に歩いて行きました。もう遠くまで音量最大のミャンマー語音楽が響いてきます。そしていよいよ会場。

 

まさに昭和40年代の日本の田舎にあったような「村の鎮守の森のお祭り」そのものでした。電気を使わない、人力でまわるメリーゴーランド。小さな風船をダーツで割って景品をもらう遊び…。全てが懐かしい子どもの頃の風景でした。思わず目頭が熱くなるのは、自分にとっても大切な想い出であった「時間」が蘇る思いだったこと。そして何よりも里子として支援している中学生高校生がみんなこの場に来ているからでした。

そんなみんなにジュースをおごりながらひとしきり祭りの会場をみていると、村長さんがやってきて、

「そろそろお祈りが始まるよ」

というので、お寺に詰めて皆さんの行列を待ちました。

そして21時。地元楽団のドラと太鼓の音に合わせて村人たちが歩いてきます。手にはろうそくを持ち、お寺の周りをきっちりと2周まわってお寺に入っていきます。中にはたくさんの知った顔があります。そうみんな支援している里子たち。笑顔でお互い手を振り合います。

このお祭りにも外国人が参加したのは、今日が初めてとのこと。みんな温かく受け入れてくれました。そしていよいよクライマックスの「読経」では、一番前の席を撮影用に用意してもらい一切電気を通さない、人間の肉声による大読経がこの前夜祭を締めくくっていきます。

祈ること、みんなで集うこと、気持ちを一つにすることの大切さを学びました。

片方では年に1度のお祭りらしくゲームやお店、賭け事などのコーナーがあって人々が賑わい、片方では熱心に祈る仏教徒らしくお寺への思いを形にしていく。まさにこのお祭りによってミャッセ・ミャーは一つにまとまっていくんだということが実感できました。

全てのエスコートをしてくれているイェイェさんが言いました。

「この村のお祭りはもう何年も続いています。毎年みんなが楽しみにしています。

村にはこれまで一切の犯罪も、暴力もありません。しかし貧富の差はあります。けれどみんなお寺に寄進をし、お寺が経済的に困窮した人を助けます。人々の能力の差はあるけれど、みんなが幸せになれるようにバランスを保って生きています。

女性と男性の地位は非常に平等で、お互いが役割を分けています。

例えば私のように大学に行ったり外国人を連れてきたり、日本への留学を考えている女性に対して、「結婚したら?」などと無粋なこと言う人はいません。

「結婚よりも、まずはちゃんと夢をつかむために努力しなさい。そのあと、もしもしたかったら結婚すればいい。」

と良く声をかけられます。古いしきたりはありますが、それが決して人の生き方を制限するようなものではないのです。」

若いイェイェさん。これからどこまでこの人は伸びていくのか、ほんとうに楽しみです。

今、日本大使館への国費留学の書類を明ちゃんとも一緒に作成しています。それも「夢」だけれど、でもそれに向かってできるだけのことはする。どうしてこんなふうに自立した村が存在できるのか、どうしてこんなふうに独立心が強い人が育っているのか、ますますミャッセ・ミャーの魅力にとりつかれている感じです。

人は「過大評価しすぎだ」「いいところだけみているのだ」というかも知れません。自分の中でも常に「美化しすぎてはいないか」と言うことは気になります。しかし正直、掛け値なくこの村は国連が定めるSDG’s(持続可能な世界づくり)の、そのほとんどをクリアしているのです。

夜祭りのあと、見あげれば満天の星が空に輝いていました。

明日はいよいよ本祭りです。

桑山紀彦

コメントを残す

あなたのメールアドレスは公開されません。必須項目には印がついています *