今日は震災後4回目のステージでした。
こうして被災地を離れステージを公演することにはまだまだ抵抗があります。持ち場を離れてしまっているという気持ちが強く、気持ちが落ち着きません。瓦礫もなく、磯の臭いもしない普通の街に行くと落ち着かなくなるのと、「もしもこの高架が地震で落ちてきたらどうしよう」とか、「この商店街が津波で流されたどうなるだろうか」ということを常に考えながら歩いてしまいます。だから街を歩いていても完全に被災地モードで思考しているように思います。
そして津波以降、リセットがかかった感じで1回1回のステージに対する緊張感がつきまといます。今日でようやく4回目のステージになりましたが、今日は特別の状況です。それは中学校のステージであるということ。これまでの3回は大人対象で、どう考えてもよく聴いてくれる皆さんが対象でしたから、安心して話せるし、こちらも心を許していけます。しかし今日は中学生が対象です。
これまでいくつかの中学校で手痛い目に遭ってきました。
真面目に聞かない、我慢ができない、騒ぎ出す、誰もそれを止められない・・・。本当にいろんなことがありました。でも僕たちは「良く聞ける中学生」だけが対象ではありません。一部の生徒さんが騒いで学校の全体の雰囲気を崩していくことを「学校の中にある戦争と同じ状況」と位置づけて、ステージ中にいろんな試みをしてきました。Peoples Power法(通常PP法と呼んでいます)は、たった5%の騒いでいる心ない生徒さんたちを残りの95%の「ちゃんと聞きたい」生徒さんたちの2割増しの拍手で圧倒し、学校全体の良い雰囲気を取り戻そうとする方策ですが、いくつかの学校で成功し、かえって感動する場面に出逢ってきました。
しかし、いま被災者となり被災地のことを伝えようとすると、中学生の反応がものすごく気になります。ちょっとでも冷やかされたり、騒いだりといった心ない行為があった時、こちらが深く傷つくことが予測されているからです。だから今日もびくびくしていました。被災地で活動しながらいろんな心の重さがのしかかってきているいま、心ない中学生がこちらを傷つけるような行為をしてきたらどうしようか、と苦しいのです。真面目にそして熱心に聞いてもらえたこれまでの3回の公演は、逆にこちらが励まされて帰ることができたのです。しかし、今回は違います。相手は中学生です。荒れていても不思議ではありません。真面目にやっている人を冷やかすことで優位に立とうという志向の生徒さんもいるでしょう。そんな心ない生徒さんがいたら、ただでさえも被災地で心が重くなっているのに、絶対耐えられないと思う。だから、最初にアメージング・グレイスを歌い終わった瞬間、ピューピューと指笛が鳴ったり茶化すような拍手が来た時に宣言させてもらいました。
「被災地で活動していると、傷ついて心が重くなっていると思う。だから、今日は真面目に聞いてほしい。真面目にやっているやつが冷やかされると、その人は「もう傷つけられるくらいであれば心を閉じてしまおう」と思ったりするはずだ。だから、真面目にやっている人を冷やかすことだけは止めてほしい」
すると今日の中学生は比較的良く聴けたと思います。
いや、本当に「聴ける中学校」だと思う。でも最後の2曲。曲が終わった時に再びピューピューと指笛が鳴りました。そして何となく茶化した拍手も・・・。やっぱり深く落ち込みました。どうしてそんなことをするのか。なんで人の心が伝わらないのか。やはり、そのごく一部の生徒さんだけど、彼らにとって被災地は「他人事」なんでしょうね。
でもこれは、桑山自身が神経過敏になっている可能性もあります。「傷つけられたらどうしよう」そんなことばかり考えていたのでは、指笛一つでへこんでしまうのです。だから求めすぎれば、こちらが傷つく可能性が高くなるということなんだと思います。
この中学校の父兄や校長先生は立派です。ちゃんとまっすぐ前を見て子どもたちの指導をしようとしている。だから本来はこちらも全力で協力しなければいけないところなのですが、震災の話と映像、楽曲を届けても、指笛でピューピュー冷やかす生徒が(ごく1,2名)いるのもまた事実です。昨日の太君が言われた、「お前たちただでご飯食べてんだってな」と言う言葉と同じ態度なのかもしれません。
人間はどこで気づくかが大切だと思います。その基本となるものはやはり「優しさと素直さ」なんでしょうね。そして他人を思いやる気持ち。だからこそ僕たちは被災地の現実を背負ってこれからも公演を続けていくべきなのだと思う。どこでも、心が共有されるわけではないという厳しい現実を乗り越えながら。
これから学校でのステージが増えていきますが、いうべきところは言い、抑えるところは抑えていくべきなのだろうと思いました。
学校の先生が一番苦労されているように思います。先生たちがこれまでのようにあきらめないで関わってくださることを祈りつつ、その中学校をあとにしました。
桑山紀彦
今日、中三の授業があるので、そこで大震災のことについて考えます。とくに震災後の心のケアについて。クローズアップ現代とNEWS23の桑山さんの映像を紹介します。そして一ヶ月後でしたが、現地を訪ねたときの写真と映像見せます。少し心配ですが、クラスごとに3クラスで話します。運動会が予定されていましたが、雨の予報のため延期になりました。それでわたしの授業はつぶれなくて済みました。「ぼくたちにできること」を一緒に考えることができればいいのですが…。
29日(金)の夕方、トークとコンサートをします。津波祈念館の支援のためです。被災してない人にはわからないことだろうし、体験がないので、マスコミの映像だけの記憶ですので、気持ちが薄れていくのも早いでしょう…。
被災地の復興は最大の課題ですが、被災してない地域(人々)にとっても日本が変わる最大の課題です。それに一人でも多くの方が気づいてくださればいいのですが…。この機会を逃せば、元の日本のままで、あたらしい「日本の歴史」を作ることはできません。「がんばれ日本」という言葉が日ごとに白々しく聞こえてくるのはわたしだけでしょうか…。
桑山さん、がんばりましょう。挑戦する課題はとてつもなく大きいですよ!
お疲れ様です。茶化す生徒がいた事、ちょっと寂しい気がしましたが、 自分達の住む町も余震で揺れを感じる事があるのに、日常生活のままなんですね。3/19に愛知に行った時、私は、東北の方のような被害にあっていないのに、新横浜の駅と名古屋の駅のあまりに違いすぎる風景になんとも言えん気持ちになりました。会場についても、宮城から来られると話している様子や聞いている人の様子がほんとに他人ごとのようで、ちょっと嫌な気分になりました。でもステージ終了後雰囲気がいっぺんしたのを感じました。多感な年頃の子供たち相手だと今日のような事もあるでしょうが、屈せず東北の現実を伝えて下さい。
桑山さんの優しさが、この1,2名を見て見ぬふり出来ずに、ご自分の気持ちを重くしてしまっているのが気がかりです。
今はそうでもいずれ目覚める時が来ることに希望を持ちましょうよ。僭越な意見で恐縮です。
桑山さんお疲れ様でした。
舞台の上から 桑山さんが 一生懸命生徒たちに 語りかけている姿が目に浮かびます。
沢山のステージに 参加させていただき 時々桑山さんが 悲しく怒っていた姿を思い出し、胸が痛くなりました。
あまり無理をしないでくださいね。
私の経験(失敗談)から 伝える側が 熱くなりすぎると反発が多く なかなか 相手のところへ届かなかったこと。
そんなことわかってるよね。
桑山さんは 被災しながら 沢山の人たちの 話をひたすら 聴かれている。
桑山さんもいっぱい いっぱい 聴いてもらえる人が 必要ですね。
偉そうなこと言ってごめんなさい。
ご自愛ください。
実は、心をあまりにも強く揺さ振られて、ふつふつと湧き出す熱い想いに、驚き、戸惑ってしまったのではないでしょうか?
子どもは~特に、記事に出てきたような子は、感動している事の自分自身への照れ隠しに、冷やかすような態度をとるのかもしれませんよ。
桑山さん。
以前、娘の中学校にいらした時に、聴く態度が良くない生徒に、声を掛けてくださった事がありました。素直にごめんなさいと言ったかどうかは知りませんが、教室に戻ってから、ボソッと言っていたそうです。
「あのまま静かに聴いてたら、絶対に泣いちゃうじゃん!」と。
書き続けてくださっているブログを拝見し、被災地とそこで暮らす人々の、日々の変化を知る事が出来ます。非日常が日常の日々としてまだまだ続いていくのでしょう。
桑山さんもその中にいらっしゃるのに~本当に感謝しています。どうぞご自愛くださいますよう…
ステージ、お疲れさまでした。
集団の中に紛れている時って、本心をカモフラージュできたり、逆に出せたり…相手には自分を追跡できないことがわかってる時ですね…都会っぽい?。
桑山先生にも、自分の心を守りたい気持ちがあると知り、ほっとします(いつも後回しにしてはると見えてたので)。
で、私はどんな形でもいいので、先生方には発信し続けていただきたいです。発信されてこそ受け取る人(人数がどうあれ)が生まれるので。
私の身近に、7~8年も前の地球のステージがきっかけで、この春大学の看護学科へ進学した子がいます。その子が見たステージの時も、桑山先生はちゃんと「話している時にはおしゃべりをやめてね」と言ってはりましたよ。
たくさん蒔かれた種のうちの一粒が、地に落ちて発芽してやっと地表にでてきたようなものです。きっとそんなことが(本人が照れくさくて言えるかと黙っていても)あちこちにあると思います。
偶然、桑山さんの存在を知り、娘を連れて出かけた”地球のステージ”
そう、その種が我が家でも着実に成長を続けておりますよ。
話は変わりますが、ずっと”津波祈念資料館”の必要性について考えておりました。
毎日桑山さんの言葉を受け取り、漸く自分の中でで納得することができました。こんなに時間がかかってしまって本当に申し訳ないと思っています。
遅まきながら、本日心ばかり送らせていただきました。
お役に立てて頂ければ幸いです。
よろしくお願いいたします。
ではまた、あした。
僕らが教師として学校行事でなにかをするとき、また、校外へ出かけたときもそうですが、生徒がとんでもない何にかしないか、周りの人に迷惑をかけないか、講演に来ていただいた講師のかたに不快な思いをさせないかと気になるところです。中には、迷惑かけるなら「行事に参加するなよ」という生徒もいます。
それは、生徒はまだまだ子供で、自分のまわりのことにしか思いが及ばないからだと思います。教師の立場からは学校行事をどのように持っていくか、それは教師の力量にかかるところです。
地球のステージのような素晴らしい行事でも、これが「いい行事だから」、だから、君たちも「静かに」見るようにというだけでは成功しないことが多々あります。
ひとへに、学校行事として、いい行事であったと生徒に云わせるには、日頃からの生徒との係わり、先生方との係わり、そして、行事を成功させる「作戦」が大事です。
それなしには、どのような行事も成功しません。
そんな現状があるので桑山先生、どうか、落ち込まず、頑張るようお願いします。
全国には、先生を応援する、教師や生徒が大勢いますので・・・・・・。
和歌山のヘボ教師 なかおより
3月11日の地震の後、災害地出身の方と話ができないかと探しましたが、こちらでは私だけのようで、皆さん東北のことを心配しているのですが、やはり思い入れが違うようで、何気ない一言に深く傷つき、泣いてばかりいました。同じ日本人だったから余計に傷が深かったのだと思います。
その時に、こちらの親友が、what do you expext from them? と一言。ウツ状態の私に、キツイその一言あり?と思いましたが、親友の一言、素直に受け止めました。
「だから求めすぎれば、こちらが傷つく可能性が高くなるということなんだと思います。」
桑山先生の、分析、そのとおりだと思います。現在、桑山先生が神経過敏になっている状況、海外で地震を経験せず、復興にも貢献できない私がこのようなことを書くのは失礼かと思いますが、何だかすごく分かる気がするのです。
桑山先生の神経があまり磨り減らないよう、エネルギーが必要以上に他の事に使われないように、オスロから応援しています。
桑山さんお疲れ様でした。福岡にすんでいるのりみです。桑山さんの気持ちが痛いほどわかりコメントさせていただきます。精神的なショックを受けたことで力もわいてこないと思いますが遠くから桑山さんががんばっておられる姿に勇気をもらっております。近くにいって「よくあなたはがんばられました」と声をかけたいです。なかなかできることではないことを真正面から取り組まれていることはすごいことです。ショックを受けた桑山さんが大丈夫かながんばれ負けるなと応援している人がたくさんおりますから~~ファイトファイト!!!
中学生。難しいお年頃です。
一般的には反抗期、他人よりちょっと背伸びしたいお年頃。
僕自身も、中途半端に大人扱いをされ、そして自分を削っていった時代です。
目立たないように怠けるという意味で不真面目だったけど、真面目にやっている人を茶化すことはしなかったなぁ。
指笛で冷やかした生徒の気持ちはわかりませんが、目立ちたかったのかな?人と違ったことをすることがステータスだと思ったのかな?
この子らにも、「優しさと素直さ」を認めてくれる人がいて、自分でも優しく素直な自分を認めることができたなら…
最初は照れくさいかもしれないけど、続けることで今とは違う居場所が出来て、今とは違う自分を見つけられるのかもしれませんね。
桑山さんは「愛と勇気」をお届けしてくれます。
望んでいる人にはちゃんと届いています。
地球のステージに出会えてよかったと思っている人がいます。
応援している人がたくさんいます。負けるなー!!
桑山さんががっくり肩を落としている姿が見えるようです。
心無い態度は本当に残念でした。
でも、きっと多くの生徒たちの胸に響いたこともあるはずです。
今は気づかなくてもきっといつか思い出す時が来ると思います。
語り続けていくのは大変なエネルギーが要りますが、どうか諦めないでくださいね。
応援しています。
「なかお」さんに同感
私は目の前にいる子どもたちを時々「発展途上人」と呼ぶことがあります。もちろん他意はありません。
日々成長を続ける子どもたちだからこそ,成功もあるし失敗もある。思うようにいかずにキレてしまったり,心ない行動をとることもある。本当は素直に感動したいのに,それまでに周囲に見せてきた虚勢を保ちたくて裏腹な言動をとることはいつものこと。
ホントは隣に座ってる子と同じように「地球のステージ」に感動したはず。その感動の表現が下手くそだっただけかも。
大震災,放射能,そして避難所生活を経験した被災地の中学生の心の成長に期待。
もちろん自分も「発展途上人」です。毎日,失敗ばかりです。
毎日ブログを読んでいます。傷ついてしまった街の様子や人々の様子など、桑山さんのブログからたくさん教えてもらっています。お疲れだと思うのに、丁寧なブログが私は大好きです。
太くんもきっと人の心の痛みが組み取れる青年になると思います。お母さんや桑山さんが、太くんの辛い気持ちをわかってあげているから。
中学生も、私たちおとなと一緒に社会を作る一員だと思う。中学生自身がとった態度に、ステージ上から桑山さんが、丁寧に気持ちを伝えてくれて私は嬉しいです。その中学生さんに、無関心ではなくて関わってくれているのですから。学校の先生が教育現場で指導して下さることと同時に、社会にいるおとなが中学生の成長に大いに関わりたいです。
話を聞けない子どもたち。
他者を思いやることのできない子どもたち。
話の聞けない大人たち・・・。
市民活動をしているときに
人の話の聞けない大人に辟易することがあります。
私は子どもの頃、大人になれば
なんでもできてなんでもわかる、
大人になれば
立派になれると思っていましたのに・・・。
いくつになってもちっとも立派になんかなれず。泣。
でも、
かなり大人になってから、
地球のステージに出逢ってから、
もっと知りたい気持ちが強くなったし、
持続可能な未来のことも考えるようになりました。
大人なのに人の話の聞けない
地位も名誉もあるのに聞けない大人と違い、
いまは桑山さんの話が聞けない子どもたちも、
地球のステージと出逢っておくと出逢わないとでは
未来が人生が大きく違ってくるはずです。
家庭や地域の教育力が落ちていると言われて久しい今、
義務教育の公立学校の子どもたちの背景の格差は
桑山さんが伝えてくれる地球のステージでしか
「世界」や「未来」にアクセスできない子どもたちも
少なくないと感じることがとても多いです。
とはいえ
桑山さんや名取のみなさんが
大変な日々を過ごされているのは
現実のことですね。
心ない冷やかしやふざけた態度に
心が折れそうになる・・・、
2000回を超すステージを続けてこられてもそうなんですね。
それでも、
桑山さんにお願いします。
日本中の子どもたちに
地球のステージにしかできない
「知るということ」
「見て見ぬふりしない生き方」と出逢うチャンスを
届けて上げてください。
いつかいつか指笛を鳴らした子どもにも
ふざけて騒ぐ子どもたちも
きっと地球のステージとの出逢いが
意味を持つ日が来るはずです。
「聞けない子どもたち」のためにも
地球のステージは必要だと思うのです。
先生方や私たち地域の大人たちも、
子どもたちにばっかりがんばれというのでなく
まずは私たち大人ががんばらないけんッちゃ。
(北九州弁です。)
つい、熱くなってしまいました。
宜しくお願いします。
すみません。これまた今拝読いたしました。
桑山先生!
中学生って,「そんなもん」ですよ!
断じて嫌味ではありません。
先生に対しても,生徒に対しても。
そっからが,「我々」の土俵なんです。
僕らのステージは,そこにこそあります。
さらに,閖上中学校にはそのような生徒は一人もおりません。
だから,いつか地球のステージをあの子どもたちに
見せてほしいと思っています。
中学生の態度に、傷ついた桑山さんの気持ち
とてもよくわかる気がします。
自分が全身全霊をかけて伝えようとすることに対して
心無い態度・・・
今の桑山さんにはどんなにかこたえるか・・・
私は「ひどい!」とも言いたいけど
でも、その生徒さんも大人になって気が付く時が来ると思います。
あの時の自分はなんて自己中心的で幼かったんだろうって。
私も高校生の頃、先生方や家族に対してとった行動で
今考えると
「なんて失礼だったり悲しませたりする行動だったんだろう」
と、自分が情けなく恥ずかしくなります。
そういう気付きひとつひとつもまた、「優しさと素直さ」に
繋がる気がします。
花が咲くまでの時間は、その種その種で違う。。。
と思って、水を肥料をやり続けましょう。
桑山さんの語り、ステージが水であり、肥料であるとおもいます。
もちろん、私にとっても。
私はその中学校でのステージをお願いしたPTAの一人です。
後ろから桑山先生のステージを聴きながら、子ども達を見守っていました。確かに何人かの生徒は隣の子にちょっかいを出しながらステージに心を向ける事が出来ないでいました。とて悲しく悔しい思いでした。でも、すぐ傍には先生もいて、声を掛けていました。それでも我校の4年前と比べれば全体的に聞ける子ども達に成長しているのです。これは一重に先生方の愛情と生徒達の作り上げて来た今なのです。でも、またいつ昔のいわゆる荒れた学校になってしまうか。。。そのためにも、今回の桑山先生のステージは先生・生徒・保護者に必要でした。先生を駅までお送りした時、心身共に疲れきったお姿に、思わず母の気持ちで「ちゃんとお食事採ってくださいね。」と今思えば失礼な事を言ってしまいました。私達PTAは先生のお姿に「自分達も頑張らなくちゃ!」と改めて力を頂きました。でも本当に桑山先生たちのお体心配です。ご自分の事も少しは大事になさって、この素晴らしい活動が途絶えぬように。ありがとうございました。