今日は2週間以上にわたってクリニックを支えてくれた高橋香(かおる)先生が帰任しました。ロンドンに帰ります。
中央が香(かおる)先生
香ちゃんとはもうずいぶん長い付き合いです。自治医大の学生だった時代に桑山の「外国人の配偶者の皆さん」の講演を聴いてつながりを持ち、医師となってからも東ティモールに出かけたりと、常に接点がありました。
自治医大特有の9年間の義務年限が終了し、出身地山形県への僻地医療の貢献が一旦終了した時、香ちゃんはロンドンの大学院に入学しました。東鳴子温泉の旅館のあととりである旦那さんと2歳になる息子と共に、ロンドンに渡ったのでした。
そして今回の津波が来て、香ちゃんは苦しみました。
自分の生まれ育った東北地方が大変な事態。でも自分は遠く離れたロンドンにいる。勉強もあるし試験もある。どうしよう・・・。
そして香ちゃんはやってきました。予想通り長期の時間を設けてクリニックに戻ってきました。最初は陸前高田の移動診療の内科医担当として、避難所をまわっていました。丁寧な言葉遣いですが、時折、
「んだね~」
と山形弁がでます。東北はこうなるともうどこも一緒の東北弁。普段は僕もあまりしゃべらない東北弁が、こう言った時は大切なツールになります。テレビで桑山が患者さんとしゃべっている言葉は、実はもう30年も住んでいるこの東北で身につけたものです。明ちゃんは、
「その東北弁やっぱりおかしい」
とその不完全さを指摘してきますが、やっぱり大切なのは雰囲気です。
香ちゃんも、そうしてなじんでいきました。
自分にできることってなんだろう、と思う。それは皆さんも同じ。そしてそれぞれがそれぞれの方法で取り組むといいと思うのです。でも僕が、この被災地のために皆さんが日常の中でできることは、繰り返しになりますが、
「優しい人間であることの証(あかし)を、一日一回で良いから現実のものにしてみること」
だと思うのです。
この未曾有の大災害の中でちっぽけで無力な人間たちではありましたが、そんな自然の猛威に立ち向かえる人間の資質とは何か、それは「優しさ」だと思うのです。そしてその優しい気持ちが「見て見ぬふりしない気持ち」につながっていきます。
もちろんいつもいつも優しくはいられません。ついついカリカリとなってしまうのもまた人間。そんな時は「謝れる人」でいたいですよね。
「ごめんね」
って。
今日は久しぶりに太君のお母さんが来てくれました。
お母さんが言いました。
「この前、文化会館の避難所から、近くのイオンが開いたから買い物に行こうと歩いていたら、若い二人連れが太に話しかけてきて、
”あの避難所にいる子”
って聞くの。
太が“ウン”っていうとね、
”ただでご飯食べれてるってほんと?”
ってきくんだ。この世にはひどい人もいるもんだと思ったよ」
「・・・」
「でもね、この前名取市と秋田県の計らいで温泉に行ってきたんだ。温泉に着いたのはもう夕方だったけどね、部屋に入ると布団が人数分ひいてあるのよ。それを見た太が急いでフロントにかけていって、
“ねえ、ボク今日は布団で寝ても良いの?”
って聞いたんだ。フロントの人泣きながら、
”どうぞどうぞ”
って言ってくれてね。太が、
“すごい~、今日は段ボールで寝なくても良いんだ~”
って言うんだ」
これもまた今のニッポンの現実。
心ない言葉で話しかけてくる若い二人と、太君の気持ちに触れて涙する旅館の人。人間の心が見えてくる日々でした。
桑山紀彦
香先生、お疲れ様でした。これまでの活動で関わって来た沢山の方々が、支えちょるんじゃなぁと、ブログを読む度に思います。
言葉って、大切ですよね。私は、東京にきて20年。かなり東京弁になったと思いますが、山口弁が随所に出ます。映像の中で桑山さんが東北弁で喋っているのを最初に目にした時妙に感激したのを思い出しました。(ありがとうのものがたりの中でね。)
言葉って、暖かいものにもなるし、人を傷つける武器にもなってしまいますよね。心ない言葉。使って無いと思うけど、気をつけよう。
段ボールのお布団なんじゃね。太君達。3/11から、私はキャンプで使ってたアルミのやつを敷き布団替わりに寝てたけど…脂肪が沢山の為か体は痛くないんよね。肩凝りはちょっとひどいけど。
そう、優しさって人の痛みがわかるということですよね!
わかっていてもなかなか実践できないものです(ついつい見てみないふりをして看過してしまうことが多い)
優しさにひきつけられた人が集まって来る光景が感じられます。
立派です!!
太君の言葉に涙が止まらない。一日も早くお布団で眠れる日が来ますように。
人を傷つける言葉と気がつかず、使っているかもしれない。本当に気をつけなければと教えられました。ありがとうございました。
香先生お疲れ様でした。多くの皆さんに支えられ、生かされている私達はそれぞれのペースで歩いて行けたら良いですね。
田中先生、香先生本当にお疲れ様でした。
ありがとうございます。
これからも誰かさん(お医者さん)の支援はあるのかな?
それとも お二人で踏ん張るのかな?
お身体に気をつけてくださいね。
心ない若者の言葉に怒りを覚えます。でも その若者たちを生み育ててきたのは、私たちの年代。申し訳ない気持ちでいっぱいです。
ごめんね 太くん。
太くんたちが 早く 温かいお布団で 寝られますように・・
香先生お疲れ様でした。ロンドンから…。気持ちの強さが人を動かすんですね。有難うございました。
お国言葉って大事だなと思います。
夫の母が認知症になって方言しか通じなくなりました。
体に馴染んだリズムで話しかけられると安心しています。
桑山さんの言葉づかいもちょっと変かもしれないけど、きっと皆さん安心されていると思います。
桑山さんの優しさですよね。
太君が普通にお布団で寝られる日が早く来ますように。仮設住宅建設が進むよう願っています。
桑山さんの高山弁、東北弁、
そして全国各地のお国言葉が醸し出す
あたたかい繋がりが
今の活動を支える人のつながりそのものなんですね。
ロンドンからはるばる
小さなお子さんもおられるのに
頑張ってくださった香先生も
九州に帰られた田中先生も
もちろんクリニックを守っておられる
奈実香先生も本当にお疲れさまです。
太くんが温泉に行けてお布団で休めて
本当によかったです。
私たちも日々がんばるので
早く普通にお布団で寝れるようになるといいですね。
一方、
心ない言葉をかけた若者の背景はどういう環境なのでしょう?
太くんや名取のこどもたちには
強い大人の方たちや
桑山さんたちがいてくれるので
そうはならないと思えるので安心します。
ブログを通して
ニッポンの現実をまたひとつ知ることができました。
桑山さんのビミョウ笑な東北弁とともに
北九州弁(博多弁とはちがうのですよ~)も覚えてもらって
ステージができたらうれしいです。
TIME紙が選ぶ世界の100人の中に、南相馬市長と南三陸町の病院の医師が選ばれた。
南相馬市長は動画サイトを通じ今回の震災・津波の悲惨さを伝え支援を呼びかけたことが人々のこころを打ち、世界から30万件以上のアクセスがあったことが評価されたらしい。南三陸町の病院の医師は、津波の被害から患者を守るため患者を屋上へ避難させ、治療に専念したことがその理由となった。どちらも素晴らしいことではあるが、世界から見たら、日本が正しく評価されているかどうかははなはだ疑問と思える。
僕の勤務する学校の近くに有名な靴下メーカーがある。特殊な靴下を作っているため、特許も取り海外からの注文も多い。
先日、生徒の卒業後の就職のお願いに行ったときのことである。
「うちはね、海外からも沢山注文をいただいているのですよ」
「そういうところへ、卒業生を採用していただけると、本校としても大変ありがたいのです」
「ところがね、この前、ドイツの営業所から連絡がありましてね、おたくの靴下は放射能を浴びていませんかというんです」
「えっ、本当ですか。福島原発事故じゃあないですか。どうして、和歌山の企業のことが言われるのでしょうか」
「外国からみたら、福島とか東北とかが関係なく、日本全体が放射能に汚染されているように見えているんでしょうね」
「そんなもんですか」
思わず、あきれるやら、日本のことを知らなすぎるやら、原発事故がとんでもないことに海外ではなっていると驚いた。
グローバル化の時代とはいえ、私たちも世界のことを知らなすぎる。また世界も日本のことをあまりにも知らなすぎるのではないだろうか。
和歌山 中尾より
桑やん
お久しぶりです。高校2年生同じクラスの旧姓田上圭子です。覚えてますか?今上海に住んでいて、8年目に入りました。昨晩ふっち(淵本君)が出張でこちらに来て、16,7年ぶりに再会して、桑やんの話を聞きました。お見舞い申し上げます。本当に今が大変な時だけど、こんな時こそ人間の本質がみえて、人の温かさに触れて、何が大切なのか気が付けるのかもしれません。桑やんのこれまで活動と発信してきたものは、私も今この大陸でやろうとしていることに似ていて、なんだか嬉しくなりました。
小さい人間の力だけど、みんな生まれてきた意味がある。
私も砂漠に水をまくような作業だけど、こっちで私も頑張るから、桑やんも頑張って。岩村 圭子