あれから1ヶ月

 「あの日」から1ヶ月が過ぎました。

 もう1ヶ月?
 あまりに早くて、あっという間に過ぎてしまいました。身体的にはきついけど、精神的にはあまりきつくはありませんでした。みんなの支えがあったから。ブログを書いて、みんながいろんなコメントをくれているのが本当に楽しみでした。
 あっと今の1ヶ月。
 でもいつもいつも考えてしまうのが、
「3月10日に戻りたい」
 という気持ちでした。何もかも普通だった「あの前の日」へ。
 
 今も戻ってこない朝日パーキングの社長、菊地さん。ステージから戻ってくると必ず仙台空港の出口で鍵と共に待っていてくれた菊地さん。もしも3月11日のことがわかっていたら、伝えたかった。
 「社長、3月11日の午後、大きな地震があって津波が来ます。何があっても家に戻らないで、地震が来たら必ず海と逆の方向へ逃げてください」
 と。でも僕は全くそんなことがわからず、3月9日の夜も札幌のステージの帰りに社長さんに何も伝えられなかったのです。もしもわかっていたら、社長さんに伝えられたのに。ただ普通に社長さんに会っていた。3月11日に津波に流されてしまうとも知らないで・・・。
 遺体で発見された亘理の智美さん。
 僕の外来にずっと通ってきてくれた人です。僕は3月11日に起きることがわからず、ただ普通に彼女と接してきました。もしも3月11日のことがわかっていたら、彼女に伝えられていたのに。
「3月11日の午後、地震の後の津波は亘理の荒浜を壊滅させます。どうか地震が来たら山の方に逃げてね」
 と。
 でもそんなことは一切わからず、ただ普通に外来で接してしまいました。11日に津波でなくなるとも知らないで・・・。
 そうやって、僕はいろんな人の死をとめることができず、ただそのまま3月11日を迎えてしまったのです。もちろん、ハリウッド映画ではないのだから、人類は未来を知ることはできません。だから「しょうがない」のです。
 でもこの被災地に暮らしてみると、そんな「しょうがない」ことがとても受け入れられないのです。いつもいつも後悔ばかりです。なぜ僕の大切な人に3月11日に起きることを伝えられなかったのか、と。
 こうして1ヶ月が過ぎてしまいました。これからの1ヶ月、復旧ではなく復興を目指していきたい。そのためにはいつまでも「3月10日に戻りたい」ではいけないことはわかっています。だからこそ、毎日毎日考えてとにかく目の前の1歩分だけを見ながら進んでいくしかないのでしょう。
 そんな中、皆さんから集められたたくさんの義援金がまず一つ形になりました。
 昨日新潟は長岡の中古車販売店「ファイヴ・ワン」から、ホンダのフリードの中古車を買ってきました。200万円を超えましたが、皆さんからの義援金の一部で買うことができました。
4/11-1
 これで避難所の巡回診療に出かけ、患者さんの薬を運び、患者さんの搬送ができます。それまでのレンタカーが不要になります。このクルマが被災地を駆け回り、精一杯の活動を支えてくれます。そんな「脚」をありがとうございました。
 これからもがんばって、ここに踏ん張りながら活動を続けていきます。
皆さん、応援してください~
桑山紀彦

あれから1ヶ月」への26件のフィードバック

  1. ニュース23見て。とたくさんの人に連絡しました。そしたら、以外にもクローズアップ現代を見ていた人がたくさんいました。山口の元同僚は地球のステージの事務局が名取にある事を知っていて智子さんに連絡するのが怖かった。安心した。と言われました。1ヶ月なんだか、凄く長く感じます。長瀞で「道中気をつけてね。落ち着いて運転してね。」てわかれた時は、まさかこんな大変な事になるなんておもいもしませんでした。こんな事ならたくさん色んな物渡せば良かったぁなんて色々考えました。余震が来ると怖くてたまりません。東北のほうはもっと揺れよるんじゃね。と思いながら…
    勿論 いつも 応援しちょるよ。何でも言うてね。飛んで行きます。弾丸赤木じゃけぇね。

  2. 応援しています!!
    自分には今は何が出来るのか・・・を考えるばかりですが、
    応援しています。
    そして、スタッフの皆さんも体調を崩されませんよう
    願うばかりです。

  3. 桑山先生、今日のNews23を見ました。津波の恐ろしさを夜ごと思い出してしまう子供さんと、お母さんの寄り添う姿、そしてその方々を支える桑山先生達。
    津波被害が大きかった現地での様々な診療活動は、さぞかし大変だと思います。でも、桑山先生が宮城の名取で国際クリニックを開業され、現地の辛い気持ちに寄り添い、これからも心の復興もめざして共に手を携えていかれることに、心強さを感じます。
    長い時間をかけての活動だと思いますが、地球のステージを通して、皆の心の叫びを代弁してくださる桑山先生をこれからも応援させていただきますね。
    お身体、くれぐれも大事にしていただき、共に頑張っていきたいです??

  4. 応援の気持ちを形にしてくださって有難うございます。
    少しは役に立てたかなって、ホッとします。
    桑山さんは誠実だから、ブログに自分の気持ちを書いてくれるんですね。
    後悔の思いはきっとずっと消えない思いなんでしょうね。
    勿論これからも地球のステージを応援して行きますよ!
    今回のテレビ出演で関心を持ってくれた皆さんが忘れないようにずっと声をかけていきますね。

  5. ニュース見ました。
    ℡にメール、mixi、メーリング、ツイッタ-と珍しく
    いろいろ駆使して放送のことを知らせました。
    この一カ月は被災地のみなさまに
    どれほど厳しい日々だったのだろうと
    思ってはみても
    何も力にはなれないと思ったりしました。
    被災も余震もないのに沈んで暮らしても一日。
    できることを見つけて過ごすも一日と思い、
    昨日からPTSDの勉強会を始めました。
    そして、地球のステージを北九州に!!と
    動き始めています。
    西日本と九州の仲間たち、
    多分弾丸赤木さんも一緒にお迎えできればと思っています。
    活動の日々。
    スタッフのみなさま
    くれぐれもお体ご自愛ください。

  6. 応援してます!
    あたりまえじゃないですか。
    ず~っと、ず~っと、ず~っと・・・「地球のステージ」応援団は、日本中、世界中で、応援していますよ~!!
    だから、思い切り、やりたいことをやってください。
    私は微力ですが、札幌からエールを送り続けます。約束です。嘘ついたら針千本飲みます(笑)。

  7. 一か月・・・時間だけが過ぎていく・・・皆さまの疲労が心に伝わる。。今は・・・一歩ずつ、一歩ずつ、前を見て歩いて行く時期と思います。振り返らず、とにかく前を見て・・ブログ仲間が1日から9日まで石巻市でボランティアに入り、昨日、マスコミで流れない現地と地震をアップ・・・言葉にならないので、生きる。動く・・が印象的でした。桜が満開の名古屋も冷え込んでおります。皆様、温かくしてご自愛、下さいね!!

  8. 3月11日に起こることを知らないで…桑山さんは、そこにクリニックを作っていたのです…。愛をこめれば、どんな小さなことでも、とてつもなく大きなことに変わっていきます。信じて…。被災地に行っても何もできないから…ただ、そこに座りに行きます…。無力を感じるために、そこに行きます。ほんとにばかなことですが…。

  9. 昨日ブログの中で、写真を届けると約束したので、このコメントの場をお借りしてご報告です。
    今日約束通りプリントアウトして、おじいちゃんに渡してきました!
    「本当に来てくれたのか!!」
    「来るって約束したんだから、もちろん!」
    おじいちゃんが喜んでくれたのが何よりでした。
    また帰り際、「これもってけ」とメロンパン2つにトマトジュース・
    りんごジュース、ぶどうジュースと持ち切れないほどのものを持たせてくれました。
    「そんな、もらえないよ~」といいながらも、最後は気持ちだからといた
    だいてきました。私の夕食はメロンパンになりました。
    よく見ると今日が賞味期限です。2つは食べれないなあ~と思っていたら、
    隣でご飯を食べていた桑山さんが(今は合宿所状態でみんなでご飯を食べて
    います)、もうひとつのメロンパンを食べてくれました。
    ご飯のおかずにメロンパンはあわなかったと思いますが、おじいちゃんの
    気持ちを残さず食べてくれました。
    桑山さんの優しさに感謝です。

  10. 3月11日から体は止まっています。曜日も日にちもわからないで1カ月過ぎました。
    桑山先生、3月11日のことわかっていたら誰も犠牲にならなくて済んだんです。先生と同じ思いです。
    突然の出来事、自然の止めようのない破壊力に人間は、なすすべもなく無念の心を抱えています。
    日数が少しずつ心の痛みを癒してくれるのでしょうか。
    生きていく元気がでてきてくれるでしょうか。
    止まらない余震に、1か月前と同じ恐怖といい加減にしてほいしいと、言葉の通じないモンスターのような揺れに怒りを覚えます。
     避難所生活の皆さんはプライバシーのない、周囲の方に気を使う生活で衛生面やいろいろお困りです。
     また自宅の生活をしている被災者の方も、未だライフラインが復旧せず給水車や公園から重い水汲みしたり、ろうそくの明かりで暮らしたり、入浴も出来ていない人も珍しくありません。避難所では食事や支援物資、医師に受診できたりするときもありますが、自宅にいる人は情報がないので困っています。
     テレビでは避難所生活の大変さを多く報道しますが、今回の震災は自宅で生活できるからと楽ではありません。
    全国からの暖かいお心のこもった支援物資を、自宅で生活している人にも行き渡るとよいなと思います。
    脳梗塞の後遺症で、避難所生活ができず仕方なく在宅の叔母のために食料頂きに市役所に行きました。
    「賞味期限4日過ぎのパンしかないないのですが、よろしいですか?職員も同じもの食べています。」と言われました。
    愕然としましたが、いたしかたありません。これが現実です。
    職員の皆さんのお疲れはよくわかります。被災者のいら立ちによく対応してくれています。頭が下がります。
    お互いを思いやる気持ちを持つことが大切な時ですね。

  11. 夜泣きする龍磨くん。たくさんいるんだろうな~
    がんばり過ぎている子どもたちが・・・
    おとなは、もちろんだが 生まれて10年も立たないのに 経験も少ないのに 大きな重荷を背負ったんだね。
    優しい桑山さんの声が子どもたちに響いていると思った。
    桑山さん応援しているよ!
    無理しないで ファイト!

  12. 応援しています!3月10日に戻りたいお気持ちが伝わります。余震の度に、早くこの揺れがおさまって、と祈っています。
    母の実家が山形で子どもの頃、夏休みに近所の霞城公園でせみとりしたり大きくなってテニスしました。山寺行ったり蔵王でスキーしました。いとこは、たしか山形南高校卒業だと思います。仙台や松島や福島や岩手に旅行して、優しい地元の方々と話したり美しい景色を見て温泉や美味しいものをいただきました。
    ニュース23観ました。今、自分が出来ることをしていきます。
    桑山さん、これからもブログで発信してください。あきちゃんにもブログで逢えて嬉しいです。どうか皆さま、ご自身のお身体も大切になさってくださいね。

  13. 明ちゃん、書き込みありがとう ♪
    写真はきっとおじいちゃんの宝物になりますね。
    おじいちゃんのメロンパンも食べ切って良かったです。
    優しい気持ちは連鎖していくんですね。こちらも心が温まりました。

  14. 心に太陽をもて
    あらしがふこうと
    ふぶきがふこうと
    天には黒くも
    地には争いが絶えなかろうと
    いつも、心に太陽をもて
    唇に歌をもて
    軽く ほがらかに
    じぶんのつとめ
    じぶんのくらしに
    よしや 苦労がたえなかろうと
    いつも、くちびる に歌をもて
    悩んでいる人
    困っている人には
    こう、はげましてやろう
    『勇気を失うな
    くちびるに歌をもて
    心に太陽をもて

    フライシュレンより
    ドイツの詩人の方です。
    必ず また 東北の土地に も 花が咲きます。
    あきらめ ないで、
    心に太陽をもち
    唇に歌をもちましょう?
    古賀

  15. 桑山先生、皆さん、毎日のブログ更新、ありがとうございます。
    生き残ったことで自分を責めてほしくない、私は無理な願いを持っています。先生の心だって傷ついているでしょうに。
    今日、皆さんの周りで笑顔が生まれますように。

  16. 夜泣きする龍磨くんに
    なにもかも承知で 同じようにへこたれて
    ただ黙って一緒に歩いてくれる人(桑山さん)がいるから
    目の前の一歩を踏み出せるのでしょう...
    元々その力があるから...
    その力を私も北九州から支えていきます。応援してます。
    龍磨くん、桑山さん、あきちゃん、おじいちゃん...
    暖かい優しい気持ちを有難う.

  17. 東北国際クリニックと地球のステージの頑張りぶりを通して 桑山先生のメッセージが大きく拡がっているようです。
     
    広島県三原市の小児科医の方から看護師さん2名と共に 5月の連休を利用して 桑山先生に協力して被災地支援をしたいと申し出がありました。
    巡回医師団として1990年にバグダッド(イラク)に来られた先生を 東ティモールで出会った桑山先生、奈実香先生や明子ちゃんに紹介するメールを ノルウェーから送信しています。
    みんなにとっていい出会いとなりますように!!
    詳細はメールにて。

  18. 阪神淡路大震災で実家も半壊し、友人も亡くなったりして、この先どうしよう…と下ばかり向いていた私が、いまはこうして桑山さんたちを見守れるようになっています。
    普通の日々はきっと桑山さん達に戻ってきます。
    戻ってこないわけがない!
    未来は、それを見つめる人を手招きしてくれるはずです。
    神戸は誰よりもそれを知っています。

  19. 最近、本当に涙もろくなってしまった。
    今日は白のフリードの写真で涙してしまった。
    メロンパン、あの小食の桑山さんが食べきった!?
    いかん!今度はメロンパンで泣けてきた・・・。

  20. 僕たちがちょっとずつ預けた義援金がフリードになったのですね。お金を支援活動に役立てていただき、嬉しく思います。
    フリードさん、これからのクリニックの皆さんを乗せての沢山の活躍を期待しています。メンテナンスはちゃんと受けてくださいね。
    桑山さんもときどき診察を受けてくださいね。
    人は忘れることで、知らないということで同じ過ちを、後悔を繰り返してしまいます。
    未来に桑山さんと同じ後悔をする人が1人でも少なくなるためにも、津波祈念資料館は建設しないといけないのだと思います。
    津波の恐怖や後悔、そして優しい気持ち、真実を伝えていきましょう。亡くなられた方のためにも、未来に来る津波には負けられませんよ!
    録画していた、ニュース23観ました。
    夜泣きする龍磨くん
    「今夜は幸せな夢を見られますように。」
    同じ月の下、祈っています。

  21. 今日,支援で女川に行ってきました。
    ある中学校の校長先生の話では,余震が起きるとトイレに駆け込む子どもたちが多いそうです。
    これも大震災が残した傷跡でしょうか…
    女川は今日から新学期が始まりました。
    楽しい学校生活のはずなのに。
    もうそろそろ余震もおさまってくれないかな

  22. こんな所にも震災の影響が・・・・
     4月10日(日)、僕は知人の結婚式のため大阪にやって来た。
     天王寺駅で電車を降り、結婚式が行われるホテルへタクシーで向かった。
     この日の大阪は、青空が広がり、やわらかな陽ざしが御堂筋のイチョウ並木を包んでいた。普段と変わらない、穏やかな日常の街並みを眺めながら運転手さんに話かけた。
     「東日本で大震災がありましたが、大阪はいつもどおりで、平穏でいいですね」
     「いや、そんなことおまへんなあ」
     運転手さんは、こてこての大阪弁で答えた。
     「えっ、いつもどおりの、あの大阪に見えますが」
     「それがねお客さん。そう違いまんねん。タクシー業界はさっぱりでんねん。震災以来、外国人観光客はおらんようになるし、ビジネスマンは大阪に来やはらへんし。外国人の観光客は、これはやっぱり原発の影響やろな」
     「大阪は、原発事故の福島とは、ずいぶん離れてると思いますけど」
     「外国から見たら、日本は全部、放射能に汚染されてように見えるんと違いまっか。原発事故までは、韓国人やら中国人やらごっつう大阪にきてはってやから。ビジネスマンが消えたのもつらいなあ」
     「えっ、大阪のビジネスマンですか」
     「いや、そやのうて、出張で大阪に来る東京以北のビジネスマン。震災で家や会社がやられてもたから、こっちへやって来るどころやおまへんのや。あの人らは、やって来たら土地勘がないよってに、ようタクシーに乗ってくれたんですわ。自分とこの会社がのうなったらり、営業停止になってしもうて、出張どころやおまへんのやろな。おかげでこっちはあがったり。大阪のビジネスマンはケチでおますから、タクシーなんか乗ることは、まあ、おまへんしな」
     吐き捨てるように、苦々しく言うのがよくわかった。
     ルームミラー越しに、タクシーの運転手さんの顔を見ると哀しそうだった。
     儲けが少なくなったというだけの嘆きではないように思えた。
      こんなところにも、震災の影響がと思えたのは、僕の考え過ぎだろうか・・・・・・・。
       和歌山   中尾より
     そうなんだ、こんなところにも大震災の影響が・・・・。
     やはり、別の意味で日本は一つなんだと思わざるをえない一日であった。

  23. 先生、毎日お疲れ様です!
    先生も、じゅうぶんな栄養をとられてなくて、体調をくずされてないか、心配です。
    どうか、おからだを大事になさってください。

  24. 全力疾走の1ヶ月ではありませんでしたか?
    今回の震災はどうやらフルマラソンになりそうです。
    桑山先生はじめ、クリニックの皆さんの体調が心配です。
    あれから、1ヶ月。
    最初の数日は、ライフラインが全く機能せず情報も錯綜する中ただただ生きる事に必死でした。
    その後、電気が復旧しネット環境が整うにつれて私にできる事は何だろうと自問自答の日々でした。
    災害ボランティアも考えましたが、抗うつ剤と抗不安薬の手放せない私にはきっと足手まといになるだろうと諦めました。
    暗中模索する中で学ランを探していると言う方と出会い、次男の学ランをクリーニングして被災地に送る事ができました。
    自宅避難をしている人に、支援物資を直接届ける方と出会い僅かではありますがその方に支援物資を託す事ができました。
    私にできる事を少しずつやっていきます。
    長距離走は苦手だけど、頑張ってみます。
    私が行動に移せたのは、桑山先生のブログのおかげです。
    ありがとうございました。
    明日は、暖かくなりそうですね。
    名取の文化センター近くの桜の蕾はどんな感じなのでしょうか。
    毎年、そこの桜に癒やされていました。
    桜の花が、みなさんの心を癒やしてくれますように…

  25. 東北が一気に変わってしまったあの日からもう1ヶ月…
    あっという間だった気もするしとても長かったような気もします。
    でも、今日まで何かできることを模索する日々が続いています。多分これからも…
    昨日、学校で新入生歓迎会がありました。少し時間を押していたのですが新1年生を含めた全校生徒で1分間の黙祷を捧げました。
    全校の心が1つになり、みんなが被災された方のことを思っているとを実感できた1分間でした。
    もちろんこれからも応援し続けます。
    まだまだ寒い日が続きます。
    お体に気をつけてこれからも被災された方の力になってください。

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