昨夜、陸前高田から帰ってきたスタッフと話をしました。そこで語られたことは、
「医療ケアが過剰になりつつあること」
でした。テレビを見ているとあんなに悲惨な状況なので、なぜ医療ケアが過剰となりつつあるのか。特に「心のケア」の需要が伸び悩んでいるという話をよく聴きます。
陸前高田に駐在する東京都のチームが中学校に「心の相談室」を開設したのはいいけれど、待てど暮らせど1日2,3名。多くても一桁にとどまっているという話です。それを聞いて思いだしたのは、16年前、阪神・淡路大震災の時に入り「心のケアチーム」を率いて長田区で活動していた時の自分の姿でした。
とにかくニーズがつかめない。避難所で「傾聴ボランティア」としてチームを組んで活動していたのに本当に役に立っているのかいつも疑問なくらいに数は少なく、また表面的だったように思います。
あれから16年。再び各都道府県から来ている「心のケアチーム」はまた苦戦しているようです。なぜなんでしょう。
今回、この被災地で心療内科として開業し、毎日「外来」として診療してみて一つわかったことがあります。それは、みんな本当に心を割って話すには、「環境」と「雰囲気」が大切であるということ。それは以下の項目に代表されるように思いました。
1)密室で、落ち着いた空間が大切
2)いつも同じ心療内科医がそこにいて、また同じ人物に会えるという保障があること
3)同じ地に住み、同じ地に働くものであるという連帯感が大切
16年前、外から短期で入った僕という存在と、今回被災地の中で開業している自分という存在の違いの中で感じたのがこの3つでした。
日本人は例えば同じ避難所の一室にそういった「相談室」があってもなかなか相談しようとはしません。相談したい時は自らの意志を持って「相談しに行く」という思考を持っていやすいと思いました。そして、数日単位で代わってしまう医者に本当の心の内は話さない傾向にあることも感じられました。
そうなると、地元の心療内科や精神科医を、外から来た人々は「支援」する方向性が正しいのかもしれません。こう書くとひどく排他的に聞こえるでしょう。でも、これは日本人が持ちやすい心の傾向のように思います。
阪神淡路大震災では、極力その人の身になって話を聞こうとしていた自分がいましたが、いつも空振りのような感覚がつきまとっていました。しかし今回は全く違って「本当の心のうちを見せてもらっている」と感じるケースばかりです。それは、僕が地元の人間だから、なんでしょう。
「心のケア」は本当に難しい。どんなにBigな大学の名前があっても、コロコロ医者が代わっている状況を知ると人々は心の中の問題については語らない。ただ「眠れない、薬あります?」だけになってしまう。
以前パレスチナで破壊された家屋の廃材を使って音楽会をやった時、17歳のニーメルは僕に言ってきた。
「ここに暮らしてもいないお前に、一体何がわかるって言うんだ」
と。
人間はそこで壁をつくってしまう生き物なのでしょうか。なんだか哀しい気がします。
その地に住み、同じような経験をした人間でなければ、被害受けた人々の心に近づけないとしたら、あまりに人手は足りないことになってしまいます。
「心のケア」を行おうとする人たちが抱えるジレンマと葛藤は、それほど深いものです。
風邪をひいた時、僕たちは目の前の医者がどこの出身であろうと、どこに暮らしていようと、何日でこの地を離れようと関係なく診てもらいたくなります。
でも心のケアは違う。いくつもの心の中のバリヤーを超えて行かなければならないのでしょう。
いよいよ明日は山形南高等学校のサッカー部24人がこの被災地に来て瓦礫の撤去、家の片付け、田んぼの漂流物拾いと清掃を行います。
そして明後日は陸前高田に入って、心のケアチームの始動ですね。
桑山紀彦
生意気かもしれませんが…桑山さんの分析…パーフェクトだと思います。
ブログ読んだだけで、山形南高等学校の生徒さんたちの動きが目に浮かびます。力強い助っ人ですね。 ~祈りのうちに~
「言葉が通じる安心感」も大きいのではないでしょうか?
桑山さんは地元の言葉で受け答えをなさっているんですよね? 東京言葉、NHK言葉は「よそゆき」で、土着の言葉は「普段着」なんです。
仙台で4年暮した私でも、ちょっと離れた女川の人が普段の速さで浜言葉で話した時、全然聞き取れませんでした。
そのくらい、日本の本来の「ことば」って、多様なんです。
テレビが普及して、「標準語教育」がされて、「単一」って錯覚しているだけ。
心のうちを外に出そうとするとき、より「土着の自分」に近くなるから、同じ言葉を話す人の方が、壁が低くなるのだと思います。
まして、東北です。ひたすら耐える東北人。「維新の時・・・」の話が普通に出てくる東北。
桑山さんが、山形に家庭があり、名取に住んでいるお医者さんであるということは、とっても「安心」することなんだと思います。
だから、桑山さん、くれぐれもご自愛くださいね。
先生は、とっても、とっても、大切な人です。
桜が咲いて、日差しもマイルドになっているののに、風は冷たくコートの裾を揺らしていきます。
仕事が終わり、帰りの電車に乗ろうと駅のホームに立っていると吹きとおる風に身が凍える。そういえば、震災以来、テレビの天気予報が変わっていることを思い出した。札幌、盛岡、仙台、東京の順に天気予報がなされていたのが、今は札幌、青森、宮古市、大槌町、釜石市、大船渡市、陸前高田市、気仙沼市、南三陸町、石巻市、仙台市、名取市といふに予報が出る。被災地の地名だ。避難所ので暮らす人がいまも大勢いるためだ。体育館などの床に寝ていいては、寒い日はたまらないだろう。僕が駅のホームが寒いなどというのは罰が当りもはなはだしい。僕には到底避難所暮らしなんかはできないだろ。電車が来ると急いで飛び乗り、早く暖かくなればいいなと思い暖房が効いたシートに足を伸ばす。俺って本当に馬鹿でわがままなんだから・・・・。
はずかしいなあ・・・・。
こんなわがまま僕でも、人間って、こころを許した人でないと本当のことをいわないんじゃないかと思う。
同じ地域で、同じ経験をした人だから、この苦しみも同じなんだと安心し、初めてこころを開けるのじゃあないだろうかと思う。外から来た人は向こう岸の人で、向こう岸から渡し舟を出している人なのではないだろうか。
僕なんかはその渡し舟も出せなくて、向こう岸からただ眺めているだけ・・・・・。
人間というのは、難しいもので、またこころというのは、なかなか手ごわい相手で、万人同じようにはいかない特色をもっているのではないでしょうか。
怪我の傷はすぐ治せても、こころの傷は簡単には治せないのと同じように・・・・。
桑山さんのご経験の通り、自分の心をさらけ出し聞いてもらうのは極端なたとえになりますが、裸を見せるのと同じぐらい恥ずかしいことでした。
どうにもならないぐらい苦しくなったとき、初めて少しづつ口にできました。
東北の方は徹底した我慢が日常にあることが多いです。
他人の世話はできますが、自分の中に入ってこられるのは嫌います。
でも心は苦しいです。我慢してやりすごします。
限られた活動の時間かもしれませんが、ご自分から被災者の中にはいられて、少しずつ心を開いてくれるようお力お貸しくださいますようお願いします。
時間は足りないかもしれませんが、心の傷を抱えた方は多いと思います。
関わらないでくれと、あえて傷に触れないでほしいと言う方もいると思います。
けれど大事にされたと思う心に触れたとき、頑なな気持ちが解けることがありました。
結果はその場ででなくても、今後に生かされると思います。
相談室開いたからおいでぇ!って言われても、なかなか知らない人に話すのは躊躇されるでしょうね。婦警さんが、みんなに声をかけて歩いている姿をテレビでみました。待つのではなくて、歩いて親しくなって、やってるよ!って感じなら行けるかなぁ?でも 県外から行ってる方にも時間に限りがあるもんね。だから 長期的って大切なんだなぁってつくづく思います。
私の大好きな人が4/25 16年前 震災にみまわれた神戸で被災地支援コンサートをやります。今年は何年か振りのツアーがあります。去年ありそうだったのに今年で…
仕事に行ってきます。
ずっと読んでおります。大学から帰るとプリントアウトしたあなたのブログとコメントをお袋に手渡すのが日課になりました。大学が休みの日は、パソコンの画面をお袋に見せております。マウスを使いながら画面を動かす操作にもお袋もようやく慣れたようです。
そちらのことのみを心配しながら、こちらは皆元気です。
心置きなく思うがままに、感じるままにやりなさい。
信頼とは、「この人なら絶対に裏切らない」じゃなく「この人になら裏切られてもいい」と 思えることだと今は感じています。
心にある、建前じゃなくて本音の部分を伝えても良いものなのか、戸惑う時もあります。
心の奥のほうから、「自分でも嫌な忘れてしまいたい記憶」を引っ張り出すことも、信頼していいのかわからない人にそれを伝えることも相当なエネルギーを使います。
一度話し始めることが出来たら、ずるずると塞き止めてあったものが全部出てくるのだと思いますが…
子どもたちみたいに、サッカーをして身体を解して、心も解れるようなことは出来ないのでしょうか。
力になりたいのに、それが叶わない。今はそんな気持ちです。纏まっていなくて申し訳ないです。
東北という土地柄もあると思います。
やはり、こちらでは精神科医に頼る=世間体が悪いと思っている人が非常に多いですから。
弱音を吐いてはいけない。と思っている人が多いんです。
ましてや、沿岸部は浜っこ気質と言うのか自分の事よりも他人を思ってしまう人が多いですよね。
桑山さんに、地元の人たちが心を開くのはやはり『安心感』だと思います。
おらの街の駐在さん、おらの街の校長先生、おらの街の先生(医師)…と東北人は地元の人を尊敬し自慢に思っています。
私の経験ですが、精神科の主治医に心を開くまで長い時間がかかりました。もしかしたら、未だに心の本当の闇の部分は吐き出していないかもしれません。
(素人が生意気にすいません)
少しでも多くの人たちの心が軽くなりますよう祈念しております。
サッカー部の活躍、楽しみです。
桑山さん、嬉しいよね!いいなぁ!
心の中の奥深い傷は、誰にでもたやすく見せることができないでしょうね。
心から信頼する人、気持ちを分かってくれるだろうと安心できる人にしか、なかなか心を開いてそのまま、ありのままを語れないという事は、分かるような気がします。
避難所での心の傷の応急手当、傷が深い分だけ、なかなか大変な作業のような気がします。
こんな時にそっと心に寄り添って下さる方がいるといないとでは、心の回復も全然違うと思います。ましてや、また会えるという安心感もあることはとても大事な事のように思います。ずっと自分を知っていてもらいたいから…。
心のバリヤーを解くのはきっと時間がかかるのでしょうね。
私はアリッサのことを思い出していました。
固く閉じてしまった心も寄り添う人がいてくれれば、いずれ本来の柔らかさを取り戻すことができるんですよね。
短期のケアで、例えば温かい飲み物などを配りながら声をかけて、そこでお話したい人の声に耳を傾けるということだけでも癒しになるのかなと思います。
専門家が話す言葉、聞く姿勢はきっと傷ついた心にそっと優しい風となって届くと思います。
気にかけてくれる人がいると思えることが、きっと今は必要なのだと思います。
桑山さんの祈念館はこれから地域の人を支えていく大事な場所になりますね。
たしかに「環境と雰囲気」そして「知っている先生」が必要ですね。
「気持ちと言葉」という薬を受け取ってくれるためには信頼関係が不可欠だと思います。
海外での体験で必ずやバリアを乗り越える信じています。
なんだか悔しいです。
私たちがどれだけ被災された方の力になりたいと思っても同じ場所で同じ経験をしていないと心を開いてもらえない…
ただ現地に行って「悩みのある人は来てください」と言ってもダメってことですよね。でも、毎日同じ人のところに出向いて一緒に片付けなどをしながらだったら少しは早く心を開いてもらえるのではないかと思います。
なんの経験もない私がこのようなことを言って差し支えがなければよいのですが…
話は変わりますが…
大垣市では、2週間ほど前から市の体育館で被災地に送る救援物資を集めています。指定された物だけを各家庭から持ち寄るのです。ずっと行きたいと思っていたボランティアに昨日、部活の後、部活の友達と行ってきました。そのボランティアというのは各家庭から持ち寄られた物資を仕分けし、段ボールに箱詰めするというものです。体育館に入った瞬間、今までに届いた物資を箱詰めした段ボールが1300箱以上が体育館中に並んでいるのを見て圧倒されました。また、平日の昼間なのに物資はどんどん届いていました。そして、私たち以外にも春休みを利用してボランティアに参加している中学生もたくさんいました。これらを見て、たくさん人々の被災された方に対する思いが伝わってきました。ボランティアに行って宛先をよく見ると宮城県でした。いつか、桑山さんたちのもとに届くかと思うと余計にやる気がわいてきました。結局、ボランティアは2時間ほどしかできませんでしたが少しは、貢献できた気がします。
今まで、募金しかしていなかったのですごく嬉しかったし、とても充実した時間を過ごせた気がします。学校が始まるまでに、あと1回はボランティアに行こうと思います。
そちらが、物資を受け入れられるようになってから、各避難所や病院などに私たちの箱詰めした物資が届くことを願っています。
今日私が59年前に生まれた日。
生ある間は、しっかり生きなくてはと これほど思った日はない。
桑山さんには素敵なお母様、お兄様、息子さんそして 家族がいらっしゃる。
ファイト!だね。
私は10数年前から 精神保健ボランティアをしている。
たいしたことは出来ない。
ただ一緒にお茶を飲み世間話をするだけ。
時々 生きていくのは大変だとおっしゃっる。
昔の辛かったお話や 最近は調子がいいとか悪いとか話される。
なんの役にも立っていないかも知れないが、帰るときには、笑顔でまたね。
だから 続いているのかな?
桑山さんが、阪神淡路大震災で、パレスチナで、そして今感じておられる3つのポイントはとても重要なことでしょうね。
でも、地元の心療内科医の数は限られています。そして、他の地域からの心療内科医でも、ある一定期間は居て被災者に「寄り添う」ことのできる人なら、心ひらいてくれる人もいるでしょう。また、心療内科医でなくても、”心のケア”ができる人はたくさんいると思います。
完全をめざすとしんどくなります。あまり、その肩に多くを背負いすぎないで下さい。
さて、卒業生のうれしい企画を報告します。
専門家ではないけれど、ずっとピアノを弾き続けている大学3回生が、「プロからアマチュアまでいろんな人に呼びかけて音楽を録音してCDにし、CDプレーヤーとともに被災地に送ろう」という企画を進めています。彼は、震災直後から、”心のケア”が必要な時期が来た時のために、自分ができることを考えてこの企画を進めてきました。
CDができたら、まず、桑山さんに届けたいと言っています。彼は、奈良女子大附属で3年間「地球のステージ」を聞いた若者です。
たとえ一人でも二人でも、そこを訪れる人がいるならばよいと思います。そこに誰かがいると思うだけで、頑張れる人、安心できる人、いつか話したいと思ってる人、いるのではないでしょうか。全てのニーズに応えるのは難しいですよね。でも、一人でも、二人でもよいと思います。
桑山先生
ありがとうございます。
神戸に続いて、今回は被災者地震ともなられ、
被災地医療にご尽力くださることに、
心より感謝申し上げます。
関西のラジオをポッドキャストで拝聴しました。
先生自身が泣かれた話、とても共感します。
多くの被災者たちが、心から泣くことすら忘れているのではないかと、
とても心配しています。
いつもお世話にだけなる立場の私は、
あえて、支援されるスキルを持つことを、
提案したいと思います。
心の壁を取り除くのは支援者だけではなく、
本人の努力が最大の力です。
本には無力ではないし、あってはいけないと考えます。
自分が救われることで、救う人すら救うことを
托鉢の精神を、言ってはいけませんか?