深夜の閖上

 深夜の閖上の街に入りました。

 おまわりさんに挨拶をして入れてもらいました。

 灯りの消えた街、閖上。

 310日までは人の営みがあり、団らんがあり、言い争いがあり、仲直りがあり、夫婦の営みがあり、子どもの勉強があり・・・。

 でもみんな消えてしまいました。

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夜の閖上

 

 一つの街の灯が消え、住んでいた家がなくなり、暮らす人もいなくなりました。

 深夜に行くと、星空がきれいに見えるのです。遠くには仙台市の灯り。

 でも手前には暗闇が広がっています。

 ここにあかりが戻ってくる日はいつなのか。

 みんなもう戻りたくないという。

 でもそれは本心なんでしょうか。もう少し時間が経った時にもう一回聞いてみたい。きっと「やっぱりこの街に戻りたい」って言ってくれるように思います。

 それを信じていくために、夜の閖上に来ました。

 

 昼に見上げてびっくりした折れ曲がったバス。

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 波に持ち上げられ、建物にたたきつけられてくの字に折れ、水の圧力で建物に張り付いたままのバス。まるで上から悲鳴を上げているようです。

 

 そんなバスも夜は静かにそこにいました。

 

 みんな肩を落としている。

 みんなこれからどうしようと思っている。

 でも、ここにかつて街があったことをちゃんと記録していかないといけない。あえて灯の消えてなくなった街に来るとそう思います。

 また明日から外来。忙しくなりそうです。

 

桑山紀彦

深夜の閖上」への15件のフィードバック

  1. 先月の”大口町のステージ”を見せていただいたものです。
    ステージの日から、このプログ読ませていただいています。
    バスの写真、どこからどこまでがバスであったのか、よくわかりません。それほどに牙をむいた自然の力は強いという事と思います。
    何かしたい・・・今現地へ行っても邪魔にしかならない事はわかっています。ふるさとを離れがたい人ばかりでしょうが、体調のよくない方々が、一時的にでも西日本に疎開されたら、お手伝いできることがあると思っています。

  2. 今日、何だか気になるお客様がいらっしゃいました。お年は10代後半の男の子。会計が終わり「タクシーの電話番号とか分かりませんか?」と聞かれお答えしましたが、なんだか気になるので、大きな箱のお荷物を「持ちやすく紐をおつけしましょうか?」と声をかけ 紐を付け終わり、何気なく「お客様どちらの出身でいらっしゃいますか?」とお尋ねした所、「福島です。」と返事が返ってきました。「ご自宅は大丈夫でしたか?」とお聞きすると、「みんな流されてしまいました。」「大変でしたね。また、いらして下さいね。」何だか気の利いた言葉一つかけてあげられず落ち込みました。
    新聞に長州から会津へ歴史超えて支援とありました。祝島原発建設を巡ってもめていた大島は随分前に被災した方を受け入れると発表しました。
    みんな、今は、住みたくないとおもっても、もう少し時間が経過すると やっぱり、この土地が良いと思える様になるよ。その為にも、歩基金 名前がパッと出てこん(ごめんなさい)資料館つくらなきゃ!

  3.  ゆうべ津波の夢を見た。
     防波堤をものすごい勢いで津波が乗り越えてきていた。街を津波が襲ってくるのである。船も、家も、車も何もかも流されて行ってしまう。見ている僕を津波が襲ってきた。必死になって逃げる。走って、走って、走って一生懸命に逃げる。それでも津波は僕の後を追いかけてくる。津波が足元まできた。もうだめだ。そう思ったとき、汗びっしょりになって目が覚めた。体はカチカチに硬直している。
     布団から起きだして当たりを見渡してみると、なにごともない日常の我が家がそこにあった。ほっとしたが、今回、震災にあわれた方々、津波に襲われた方々、家族を亡くしてしまった人は、このような夢を毎晩みるのではないかと思った。消えることなく、PTSDに苦しめられ悲しみが消えない方々が大勢おられるのどうと思うと胸が痛くなる。
     今回、義援金は二週間で401億円集まったそうだ。各地で各団体が扱っている義援金は最終的には日本赤十字へ集約される。そこで、各都道府県の分配委員会へ義援金が送られ、被災地の市町村へと渡る。被災の状況によりそこから各自に平均して配分されるそうである。
     阪神大震災では1793億円集まり、一人頭の配分金が70万円。有珠山噴火の義援金が22億円、一人頭の配分金が500万円だそうだ。新潟中越地震では義援金が373億円集まり一人頭の配分金が380万円だったそうだ。
     多くの方から義援金が寄せられているが、ユニクロの柳井社長が10億円、AKB48が5億円、イチローが1億円等、今回は被害の大きさゆえにまだまだ集まるだろう。義援金の配分は後々のことになるのであるが、僕たちにできる当面の支援はこのようなことかもしれない。
     ちなにみ僕は、街で高校生が募金箱を抱えて呼びかけていたので、100円入れた。
     日本赤十字社へインターネットから5000円、地球のステージへ郵便振替で1000円と計15100円である。とほほほ・・・・。なさけないなあ・・・。
     いま、自分にできること・・・・。
       和歌山 
           中尾より

  4. 震災から日が過ぎるほど震災の強さ、被害の大きさを感じさせられます。
    自分の周りのこと以外の事実を報道されるたび、復興までの長い道のりになるであろうと思われます。
    心が折れそうになると、何もしたくなくなります。
    涙が勝手にでてきます。けれど今まで涙もでなかった。
    涙が止まるまで待つと、不思議に落ち着く自分を感じられるようになりました。感情が戻ってきたかもしれません。
    皆さんのご支援は、被災地にいる人達にお心と共に届いております。
    たくさんの募金も金額の大少ではなく、ありがたいお気持ちがうれしいです。節約していただいり、欲しいもの我慢していただいたり、お小遣いを減らして募金して下さったのですから。
    いろいろな形で支援して下さる皆様本当にありがとうござい
    ます。

  5. 吐き出すように書かれた桑山さんのブログは 耐えて読める。
    しかし、淡々と語られるブログは涙がとまらない。
    大きなところには 沢山の義援金が集まっている。
    早く被災された方々ひとり一人に届いてほしい。
    就職内定取り消しの報道。
    そうでなくても就職難のこの世の中。
    若者たちが夢のもてる世の中にしたい。
    私たちおばさんには何ができるのか?
    出口のないホールにはまっている。
    チーム桑山ファイト!

  6. 昨日たまたま見ていた
    NHKのニュースに、
    閖上の街が取り上げられていました。
    震災後に
    お地蔵さんの絵が描かれている高台で
    閖上の街を見つめる被災者の女性の方が
    広がる光景に息をのみながらも
    前に向かって行こうと思うと言うような趣旨のことを
    語っておられました。
    私たちにできること。
    今は
    みなさんの想いや
    日々の名取の様子の一端を
    桑山さんのブログで知ることくらいでしょうか。
    ブログから伝わる名取のこと、
    被災された患者さんたちのこと、
    「知ること」だけでも
    「想いを寄せること」だけでもと思っています。
    できるときには
    公演に参加し、
    各地の応援チームのみなさんに会いながら、
    全国で手をつないで心をつないで
    応援して行けたらいいなとも思います。
    みなさまの平安な日々が
    一日も早く訪れますように
    祈っています。

  7. みなさんが過ごした閖上の町は、
    これからたくさん時間がかかってでも、復興してほしいです。
    新しく作られる町、みなさんの心に、ちゃんとまた灯がともるように。
    外来がんばってくださいね!
    1人でも多くの心の物語を、聞いて、伝えてもらいたいです。
    応援してます!

  8. 桑山さんの慟哭を聞いた感じです。
    漆黒の闇に沈む街。
    再建するにはどれほどの労力と時間と思いが要るのでしょう。
    故郷への思いはきっと復興への力になると信じています。

  9. 閖上の町から灯も、人も、建物も…すべて無くなってしまった悲しみ…そこでずっと暮らしてきた方々にとっては、本当に辛い辛い現実ですね。
    そこに暮らしていなくとも、その光景を見るととても辛いです。
    3・11が夢であって欲しい!!と毎日考えますが、やっぱり現実です。
    なぜ、こんなに急にすべてが変わってしまったんだろう???何十年もの営みが、自然界の猛威にいとも簡単に投げ出され、翻弄される私達人間ですが、時代と共に、災害の起き方、頻発度も変わってくるのでしょうか…??
    もう二度と、こんな悲しみを見たくないし味わいたくない!!と切実に思います。
    平和であることがどんなに大事だったかを思い知らされています。
    人の心も、暮らしも、世の中も、本当に皆が楽しんでいける世界を目指して生きていかなければ!自然と共生しながら、次の世代の人達の為にも、更に良いものにしていかなければ…私達大人がそれをいつも心がけながら生きなければと思います。

  10. 先生!!今日は久しぶりにお会いして安心しました。
    (思わずコメントしてしまいました。先生が読んでくれてるといいな^^)
    クリニックの皆さんの顔を見れたのも良かったです。
    クリニックに向かう時も帰る時も、路肩に積まれた土を見て
    、まだ磯臭い空気を吸って「やっぱり津波がきたんだなぁ」と自分の体で少し感じることができました。
    あっという間の3週間。
    気持ちを切り替えて、今できる精一杯を次、先生に会える日まで自分なりにやってみます。
    どうぞお体に気をつけてくださいね。

  11. 夜の閖上…とても印象的な写真です。星空、遠い街の灯、闇に浮かぶ瓦礫。
    桑山さん、いっぱい写真や映像をとって私たちに見せてください!

  12. 距離が離れているということは、やはり恐ろしいことです。
    日が経つにつれ、今現在も信二られない現実と向き合っている人たちがいることが稀薄になっていくのです。
    だから、ここにきます。
    そうしてこれからの長い復興までの道のりに、少しでも寄り添いたいと思っています。

  13. 元の生活に一歩でも戻れた時に少しづつ気持ちがほぐれるのではないでしょうか?
    今、被災された方々は元に戻れるかどうかの不安が重く圧し掛かっていることでしょう。
    被災から3週間が経ち桑山さんが必要な時です。勝手ですがよろしくお願いします。

  14. 桑山先生、閖上の片隅には生活している人が少しですがいるんですよ。
     
    大橋の仙台側に数件、閖上側は住んでいるのは私の父達ぐらいかもしれませんが、家は数件残っていてライフラインさえ整えば戻ってくださると思います。
     
    かまぼこの佐々圭さんは一度は再建を諦めたみたいですが、復興の為再起に向け歩み出しているようです。
     
    小塚原の友人は柱以外ダメになってしまった家が直ったら閖上に帰ると言っています。
     
    閖上の街は壊滅的ですが、残った人の3分の2ぐらいの人々は前を向いて生きているんですよ。
     
    父の所には一昨日初めて市役所の方が物資を届けてくれたそうです。
     
    役所の方に住んでいることを解ってもらえてホッとしました。
     
    道のりは遠いですが、きっと閖上は復興しますよ。
     
    閖上出身者として閖上の力を信じています。

  15. はじめまして。4丁目の住民でした。すっかり基礎だけになってしまいました。当日ゆりあげ水門から逃げた様子をブログにあげました。1000枚以上撮ったのですが、ブログに上げられない画像はプリントしてファイルしてあります。また閖上に住みたい一人です。

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