ユニセフ兵庫県支部

 今日はユニセフ兵庫県支部の福井さんに呼ばれ、神戸で「地球のステージ」でした。

22-1
いつもの東灘区、コープこうべ生活文化センターのホールです。

 津波以降、被災地を離れるのはこれで二度目ですが前回愛知県大口町で行ったステージから2週間が過ぎ、いろんなことが積み重なりました。
 避難所の巡回診療の話。サッカー大会の話。瓦礫撤去の話・・・。
 2週間で語る内容も増えました。しかし一方で気持ちがそれなりに落ち着いてきていることも感じました。毎日涙の出る話をたくさん聞きながら、心は重くなってはいました。しかしそれは決して「重荷」にはなっていなかったことに気付いたのです。なぜならば、その一つ一つが人間の生きた証の話だったからです。
 今日のステージにおける「津波被災篇」は、何人かの登場人物がはっきりしてきました。赤い消防車の歩さんはもちろん、赤いシクラメンの江里ちゃん、二歳の息子を亡くした剛さん。みんなブログで登場した人たちだけど、今日はステージでも登場しました。
 そうやって、哀しいけれど、でも決してくじけてはいない人の生きざまを伝えられて本当にホッとしました。幾度も涙声になりながら、でもちゃんと津波や閖上の街の映像も織り込んだ新しい「この国へ」も歌えて本当にホッとしました。
 こうやって僕も心の重さを減らしていくんでしょうね。
 よかったら、そんな厳しい現実の中にも生きる勇気の出る「地球のステージ」~「津波被災篇」「津波復興篇」をよかったら呼んでくださいね。
 さて、この場を借りてお願いです。
 現在物流が再開してモノが送れるようになりました。それにつれて突然いろんなものが送られてきます。現場は大変苦慮しています。いくつかのものは心はこもっているのですが、現場のニーズに合っていないものもあります。
 送られた時点で受け取った僕たちは、それをしまうスペースもありません。その送られたものにかかり切りになって通常の仕事ができなくなることもあります。
 大変苦しいのですが、あえてここでお願いしたいことは、現状においてものを送ることはどうか遠慮してください。現場は逆にものにあふれています。どう対応していいかわからなくなりつつあります。
 お気持ちはいただきます。ありがたいです。でも、そのお気持ちを胸に、どうかものの送付はご遠慮ください。
 こう伝えるだけでまた落ち込んでしまいます。
 でも本当のことを誰かが言わなければなりません。
 どうかおねがいします。
桑山紀彦

ユニセフ兵庫県支部」への19件のフィードバック

  1. 本当のことを言うことが必要ですよ。落ち込まなくていいですよ、桑山さん。そう言うことで本当のつながりが強くなっていきます。これからの新生の時代は「本物」だけが残り、伝わっていくのですから。祈ってます。

  2. 桑山先生、今日も大変お疲れ様でした。地球のステージは、今回の大震災の大津波や家族を亡くされた方々、家を失った方々…今を必死で生きる方々の切実な思い、叫びを伝えらたのでしょう。
    そして、先生、大事なことですから、本当の事を伝えていただいて良かったです。現場に物が溢れ、収集が着かずに本来の仕事の妨げになるならそれを伝えてもらえて状況を知ることができて良かったのです。
    ステージを通して、先生やスタッフの方々の心の重荷が(重荷ではないのですよね)軽ろやかになり、真実を伝えるメッセンジャーとして皆に共感を与えられて辛さも皆で共有する…とても大事なことですね。
    お身体に気をつけて頑張ってください!

  3. 南国、和歌山は桜が咲きました。四月一日からは新年度です。新社会人やら新入生やらが真新しい制服を着て街に溢れる季節です。
     しかし、震災の影響はこちらにも出ています。僕が通勤で使うきのくに線は運行を50%カットすることになりました。電車は一時間に一本になります。もし乗り遅れると一時間待たなければなりません。月曜日の出勤からは、時間調節して電車の時間に余裕を持たなければなりません。 しかし、こんなことは仕方のないことです。
     今日現在、震災の死者はついに11,828人と一万人を越え、行方不明者は15,540人に上りました。また、身元不明の遺体が数千あるし、身元が判った遺体でも火葬ができないとかまだまだ悲劇が続くばかりです。
     頑張ってください、桑山先生というのはいとも簡単です。しかし、今の僕にはそういうことしかできません。
     震災から2週間ぐらいたったとき、僕も支援物資を送ろうかと思いました。しかし、それはまだよしたほうがいいだろうと思い時期を待つべきだと思いました。僕の頭の中では半年以上たって、ある程度落ち着いてからの方がいいだろうと思ったのです。
     桑山先生が診察して被災した方々の気持ちを受け止めるのはつらいだろうと思います。桑山先生が日々やつれていっているような気がしています。
     昨日の報道番組でこのようなことを言っていました。ボランティアの人を取材しようとしたとき、「取材はやめてください」といわれたそうです。カメラを向けると「いいかげんにしろ」と怒鳴られてしまったのです。これを臨床心理士に話をすると「彼らも人間です。もう、限界なのです。休むことも大事なのです」といったそうです。
     桑山先生も、
          人間です、
              医療支援と、コンサートと、震災祈念館、
          どうか、人間の限界を超えることのないように
      そして、いろんな、思いを、このブログで吐いてください。
        和歌山
            中尾より

  4. 桑山さん。優子ちゃん。
    神戸公演おつかれさまでした。
    今回はチーム九州からは
    若者たちが
    応援に駆けつけてくれるというので
    私は
    これからの応援に備えて
    北九州発信の
    ネットワークになったらいいなと、
    今日は若いお母さんたちの集まる
    カフェのイベントに参加してきました。
    そうそう蜂須賀さんとお嬢ちゃんもご一緒しましたよ。
    桑山さんのこれまでの活動が
    ベースにあるので
    自然なかたちで
    応援のネットワークになっていくのだなあと
    思っています。
    必要なモノも
    必要な人手も
    時期が来たときにはどしどし発信してください。
    コツコツ準備していますから。
    今はまだモノを受けとることは難しいと
    言ってもらうほうが絶対スッキリします。
    こんなときだから
    みんな本音を待ってるのではないでしょうか。
    落ち込んだりしないでください。
    北九州の公演も回数を重ねてきたからか、
    帰りに立ち寄ったショッピングセンターでは
    公演に何度も来てくださっている
    高校生とお母さんにばったり会いました。
    「何かできることがあれば協力したいです。」と
    おっしゃってましたし、
    たくさんの人がこんな気持ちでいてくれる
    ことが伝えたくて書きました。
    だからこそ、
    くわやまさん、スタッフの皆さん。
    くれぐれもお身体大切にしてください。

  5. 桑山さん、神戸のステージお疲れ様でした。神戸まで、足を運んでよかった。ステージ開演前、桑山さんの姿を見ただけで、もう込み上げてくるものがありました。震災後、間もない中で、まだ自分の気持ちに整理のつかない中、震災のことを語るのは、つらい作業だったと思います。でも、今だからこそ伝わってきたたくさんのことがありました。まだ、未完成でと言われてましたが、桑山さんの今の魂を感じることができたステージでした。
    島根の皆さんにも、帰って伝えます。うまく伝えられるといいのですが。そして、12月のステージに向け、またみんなで準備していきます?

  6. 神戸のステージに参加しました。お疲れ様でした。
    この時期に先生自身のためにステージがあってよかったのかもと思いました。
    私たちは先生の話を聞く側、これはいつも通りなんですけど(笑)。
    消防車のことで、私も考えてみました。
    津波の証拠、としてであれば泥をつけたままでないと、恐ろしさを伝えることにはならないのではと思います。
    でも歩さんのことを伝える証拠、としてであれば、これはもうどんな形でもよいと、私は思います。歩さんに身近な皆さんが納得する形がよいと思います。
    昨日、人と防災未来センターで見た品々の中には磨かれた靴がありました。遺されたものにふれるとき、ふと撫でてしまうのかなと思います。
    私は、子どもたちに消防車を触らせてあげてはどうか、「働く車」の「乗り手」に思い至れたらよいのではないか、と思います。
    では、みなさん、どうぞご自愛ください。

  7. 被災地を離れ、被災地の事を伝える場かある事によって、桑山さんや後藤さんと石橋さんも、被災地で更に良い働きが出来るんでしょうね。
    神戸も16年前に大変な被害にあった土地。また、意味のあるステージになった事でしょう。いまだけ気にかけるのではなく、東北地方全体が復興出来る日まで皆が忘れずにいられるように地球のステージで伝えられるといいなぁと思います。
    震災孤児の人数が阪神淡路の時より多くなりそうだと新聞にありました。お子さんを皆亡くされたご両親もきっと沢山いらっしゃるでしょう。人事でなく胸が痛くなります。

  8. 正しい情報を伝えていただけると、私たちもその情報を元に行動をすることが出来ます。
    落ち込まなくてもだいじょうぶです。
    嬉しいことも遠慮してほしいことも、助けてほしいことも遠慮なく伝えてくださいね。
    1日に、地球のステージからのお手紙が届いていました。
    開けてみると会員納入のお願いでした。
    明日振り込んできます。今年度もよろしくお願いします。

  9. 桑山先生
    毎日、ブログを読ませて頂いています。
    私はバンクーバーのESLの学校で桑山先生に送る主旨で、募金活動をしました。バンクーバーは移民の国ですから、先生の活動を何とか私なりに表現して、解ってもらおうと苦手な英語でやってみました。まず嬉しかった事はカナディアンの校長先生が直ぐに同意してくれ進んで募金してくれた事です。私の周りには日本を心配している各国の人が沢山います。その中には自らが難民の人もいるはずなのです。
     今回は多くの人が先生の活動を見守っている事と何とか私たちの祈りをエネルギーに変えてお届けしたいと思い書かせていただきました。
    バンクーバーより
         ひとみ
     

  10. 桑山さん、石橋さん、昨日は神戸でステージをありがとうございました。
    今回の震災で「桑山さんたちはどうしてこんなにまで強くいることができるのだろう?」と、感じていました。
    でも、昨日のステージを見て、いろんな紛争や自然災害の中から立ちあがってきた人と桑山さんが今まで出会われた中で、「人間には『未来・希望』が必ずあるんだ」という確信を持たれ、そこなんだろうなと、今更ながらですが思いました。
    昨日ステージの中で言われていた「歩さんの消防車」ですが、私も泥がついたまま展示できる方法があればその方がよいと思います。きれいにしてもひしゃげた形、傷などからその時の衝撃は伝わるとは思うのですが、泥で汚れた形を何らかの形で残せるのであれば、(私を含め)歩さんを直接知らない人にも、水に押し流されていった事実・津波がより伝わるのではないかと思います
    物資の件も書いてくださってよかったと思います。
    『車で来られるのなら、何か足りないものを持って帰ってもらった方がよいのでは?』とか、『でも、16年前の震災時も、緊急に必要でないものが来てその整理に労力を取られて困ってはったよな・・・。やっぱり、要請があった時に必要なものを…、が基本やろな。』とか迷ってましたので。
    滋賀から追っかけのようにステージを見せていただいて、毎回、元気、勇気をいただいてます。
    本当にありがとうございます。
    わたしもできること、願生り(がんばり)ます。

  11. 物資のことよくわかりました。
    救援物資が一般の人も解禁と聞き私もネーム入りタオルなんか送りたいと思った一人です。
    書いてくださって良かったです。
    昨日の神戸の桑山さんたちの思い伝わって良かったですね。
    大変ですけれど ファイト!
    私は昨日 ある絵本作家の絵本ライブに滋賀の豊郷に行きました。彼は 朝日新聞のオーサービジットで入られた小学校の生徒さんの何人かが、行方不明と涙されていました。そして その場で描かれた絵をオークションに!
    募金活動を始められました。5月には、大阪市立図書館で 関西の絵本作家さんのチャリティー講演会の計画をたてられているとのこと。
    私も手伝いたいと申し入れしました。
    少しずつ動きます。
    非日常が早く 日常に戻りますように お祈りします。

  12. 桑山さん みなさん
    本当にお疲れ様です。そしてブログの更新ありがとうございます。
    神戸でステージだったのですね。様々な部分で意味と意義の深い公演だったのではないかと想像します。16年前の震災を思い返す事も含めてだったのではないかと推察します。
    「言いにくいけど」の部分ですが、どうぞどんどん教えてください。現地の方々の生の声を聞くことが非常に難しい現状ですから、伝えてください。
    学級の生徒たちはクラスですぐに学級内募金を呼び掛け、札幌駅前に立ち街頭募金を呼びかけ、生徒会は生徒玄関に立ち、札幌市内中の高校に自分たちのメールネットで立ち上がることを呼び掛け各校が動きを進めました。あなたの播いた種は日本の大震災という目の前で起きたことに対してすぐに反応し芽を出しました。彼らが次代を担っていきます。
    私たちはその前段を整備し、サポートし今を創っていくことですね。
    震災1週間後には札幌でも震災市民ネットワークが創設され、「情報交換」と「何をしたら」が話し合われ活動がスタートしています。支援団体に「東北国際クリニック」も入れていただきました。
    休む間を取ってから、是非、ブログで教えてください。
    祈念館の創設、現実との兼ね合いが様々に出てくるのでしょうが、応援しております。
    とにかくみなさんの心と体の休養も、体の栄養も大切ですから。どうぞおからだご自愛ください。
    私も札幌でこれからも声を出していきます。共有させてください。

  13. 桑山さん、石川さん、ステージありがとうございました。
    閖上の360度の光景
    おばあちゃんの手を突き上げたご遺体
    歩さんの亡くなった消防車
    桑山さんの嗚咽
    われわれは決して忘れません。
    消防車の件、泥が付いている方がいいと思いますが、錆びてしまってはとも思います。ただ、赤い色だけは残すようにして頂きたいと思います。昨日、JR住吉駅から公演場所へ向かう途中、東灘消防署がありました。火災がひどかった神戸の震災の時には命を投げ打って、救援活動をされた消防署だと思います。その前を通って赤い消防車を見た時、歩さんを思い出しました。
    昨日、桑山さんは、関西の人々に「気を遣わないでくださいね」と言ってくれました。でも、桑山さんの方が、それ以上に気を遣っていることが「モノを送らないでと言って落ち込みます」という言葉からわかります。桑山さん、それは落ち込まないでいいですよ。
    昨日のステージで「今年はステージの数が少なくなりそうです」という桑山さんの言葉で決心しました。今年10月に予定している奈良女子大学附属中等教育学校での公演以外に、最低1回、できれば2回奈良に呼びたいと思います。なぜなら、地球のステージを開催することが桑山さんの癒しになりエネルギーになり、それが被災地支援になると確信したからです。
    幸い本校には行動力のある卒業生たちがいます。全国各地で暮す彼らにも呼びかけてみます。みなさんの地で、東北地方の小中高校に代わって地球のステージを開催していきましょう。

  14. 神戸でのステージ、お疲れ様でした。被災からあまり日が経たない間のステージ。
    桑山さんの今思っていること、感じていることが伝わったことと思います。
    物資の件はつながりのある地球のステージだからこそ、本当に必要なものを届けたいと思います。
    今は何でも使える募金が一番ですね。また、送りますね。

  15. 12月の益田公演、津波被災篇、震災復興篇でやりたいですね。神戸にいったサイトーさんの報告聞いて実行委員会で相談したいと思います。
    前日の高校での公演もステージ1プラス震災篇みたいなのができませんかねぇ?

  16. 昨日のコンサートを有難うございました。
    桑山先生の優しい歌声を聴く事ができ、あの日以来自分に何ができるのか、その無力さに悶々としていた私自身が癒された思いをいたしました。
    何よりも私たちはずっとずっと、東北の方たちと一緒にいます。それをどうやって「思い」をカタチにしていくか、時間をかけながら、頭と心を使って考えていこうと思います。
    どうぞこれからも感じた事、考えられた事をこのブログで発信してください。神戸の私たちは、桑山先生の声でつながっています。だからこそ、正直な思いを発信していただければと思います。

  17. 巡回診療大多忙の中、ステージの新編制作をよくぞされました。
    この混乱の中で動揺せず「伝えるミッション」を実行する意志(=医師)の強靭さに感じ入るばかりです。震災編を早く見たいです。地球のステージ頑張れ!!!

  18. 札幌の東田です。
    桑山さん、ステージお疲れ様でした。
    嗚咽が止まらないのも当然かと思います。
    人間として、つらいものはつらいです。
    今日、おやじの会の田野と高坂が、報告会?を開いてくれて、映像を見せてもらいました。見渡す限りのがれき。
    言葉を失いました。
    そして、桑山さんのあい中の子供たちへのメッセージ。
    胸がつまりました・・・
    そんな映像におやじの会の仲間の「岩ちゃん」が桑山さんの音楽やHPの映像、写真を加えてまとめてくれました。
    高坂が新学期にあい中にこのDVDを見せてくれる予定です。「地球のステージ番外編、おやじの会バージョン」と
    言うと言い過ぎですが・・・
    少しでもお役に立てれば、と思っています。
    内容について、事務局に見ていただいた方がよければ。村上までご連絡ください。
    桑山さん、優子さん、くれぐれもご自愛下さい。
    学校にこの

  19. ステージお疲れ様でした。
    早く、地元宮城県でのステージを見る事ができるようになればいいなと思います。
    今日は、東松島の親戚と七ヶ浜に住む友人の義父が行方不明だという話を聞きました。
    ライフラインが復旧し、物資も徐々に回復すると同時にいろいろな人たちの安否情報を耳にするようになりました。
    姑のところ(松島)に、行ってきたのですが地震直後より国道45号線はだいぶ通行しやすくなっていました。
    が、やはり津波で流された車や瓦礫が道路の両側にたくさん放置してありました。
    私の叔父と叔母は、まだ避難所暮らしです。
    私の家や家族に直接的な被害はなかったものの、親戚や知り合いはまだまだ地震直後と変わりない毎日を送っています。
    私にできる事はなんだろう?と考え、何か必要なものはないかと問いかけても「大丈夫」としか答えてくれません。
    桑山先生のブログを見て、また考えさせられました。
    『本当に必要なもの』以外は、負担になってしまうんだと
    本当に必要なのは、きっといつまでも忘れずにいることなんですよね?
    助けを求められたら、できるだけ精一杯力になってあげようと思いました。
    支援物資の仕分け作業や、医療行為以外の素人でも出来る事で人手が必要な時は、ブログで呼びかけてください。
    馳せ参じます。

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