昨日の夜0時過ぎ、里美さんはやってきました。
息も絶え絶えで、まともに立っていられません。避難所に詰めている山梨県の保健婦さんが連れてきてくれました。やっぱり24時間開けているといい。信頼されています。
「先生んとこいつも開いてるから本当に助かります~」
大好きな山梨県人に言われるとまたまた嬉しくなります。
しかし里美さんの状態はよくありません。聴診すると気道がかなり細くなっていて「きゅーきゅー」と音がします。典型的な気管支喘息の発作です。
早速胸に気管支拡張のためのテープを貼りますが速効ではありません。少し様子観察しましたが、息苦しさが治まらずこのままでは危険です。点滴することにしました。
100ccの生理食塩水と、気管支拡張のためのネオフィリンを点滴です。
里美さんは避難所で子ども二人で暮らしています。ご主人とはしばらく前に別れました。でもその後付き合っている彼がいて、里美さんなりに未来を描いていました。
「でもね、あの人若林区の蒲生が現場だったから、荒浜に近いし心配してたの。でもたくましい人だから大丈夫だって思ってたんだけど・・・。」
彼氏は遺体で発見されました。
「ほんとに、がっかりだった。嫌な予感てあたるんだ・・・。せっかく中田(太白区)の方にアパート借りて住もうと思ってたんだけど。思いでもみんな何もかも、津波が持ってってしまったんだ」
里美さんの住まいは閖上の公営住宅です。今日、里美さんの家に行きました。
全く何も残っていませんでした。まるでそれは広島の原爆のあとの映像にそっくりでした。町が消えてなくなっているのです。
こんな目に遭って・・・。
突然悔しさがこみ上げてきました。家も想い出も失い、再起をかけた彼も失い、里美さんはこれからどうやって生きていくんでしょう。聴診するためにのぞいたシャツの襟首が汚れていました。もう何日もまともに洗濯もできてないしお風呂にも入っていないのです。
切なくて切なくて、目の前の里美さんを抱きしめたくなりました。
ようやく、呼吸が落ち着いてきました。
「ああ、先生、楽になりました。」
「うん、よかった。点滴効いたね。よかったらここで朝まで休んでいっていいんだけど」
「うん、ありがとうございます。避難所だと咳することも気を遣って・・・。」
「ここで寝ていって~」
「でもね、先生私大丈夫。子どもたちも待ってるしね。ちゃんと帰れるから」
「・・・」
里美さんは来た時よりも背が20cmほど伸びたくらい元気になって避難所へ帰っていきました。僕たちがやるべきことはまだまだ多いようです。
今日の夕方、里美さんの避難所を訪ねました。保健師さんたちは考えて、里美さんとお母さんを畳の個室に案内していました。
「ここだと安心して眠れるかと思って・・・。」
優しい山梨県人です。
お母さんに聞くと、
「すっかり元気になって、今日はアパート見に行ったりしてるんだ」
よかったよかった。
いま、赤い消防車は若生技建さんの広大な駐車場に安置されています。
砂をかぶってまだシートもぬれています。ざっと砂は落としてくれた若生さんですが、僕はこの消防車をどこまできれいにするといいのでしょうか。
ぬれたままでは海水なので、一気にさびてしまいます。でも、この砂をかぶり、松の木が挟まった消防車こそ「最期の消防車」の姿なのです。手を加えてきれいにしてしまっていいのでしょうか。
歩さんが絶命した助手席シート
運転席部分
ぐちゃぐちゃに壊れた状態を維持しつつ、砂を取り除き、シートを乾かして元に戻し保存するべきでしょうか。そんなことも決められないくらい、この消防車の存在は重いのです。
皆さんはどう思いますか?
ちゃんと掃除して乾かして残すべきなのか、それともなるだけ現状に近い形で残すべきなのか・・・。
桑山紀彦
私は、なるべく現状に近い状態で残せたらいいなぁって思います。海水をかぶってるから難しいかもしれんけど…
以前、担任していた子の保護者の方が、クローズアップ現代をみて、桑山先生の様に人の話を聞いてあげなきゃいけない。と思ったそうです。看護士さんなんですが。宮城県は4/1付けで教職員の移動が発表されたみたいですね。被災した子供達や保護者の気持ち考えたら今回の移動は見送った方がよかったんじゃないの?って思うけど
桑山先生、こんばんは。
「最後の消防車」の姿は壮絶で、説得力を持って見る方々に津波の破壊力や真実を伝え、訴えていく力がありますね。
津波被害を物語って、末長く貴重に保存すべき物なので、できるだけそのままの状態でガラスケース等に入れて、そのまま保存することは出来ないでしょうか?
錆び止めなどを抑える処置などもしながら、最良の方法で、末長く保存されることを願っています。
桑山先生、毎日激務続きで、お身体は大丈夫でしょうか?
どうかご自分のお身体のメンテナンスもしっかりとされてくださいね。
優しく、いつでも見守ってくださる先生がいて、そんなクリニックが存在していて、名取は本当に幸せですね。
名取にクリニックを開業され、このような形で震災で心が折れそうになる方々を励まし、勇気付けていくという…先生が名取で開業された意味、不思議さを感じています。
偶然は絶対に無いので、これは全部必然の事だったのでしょうね。
仙台空港も急ピッチで復興に向けて進んでいますね。
厳しい現実はありますが、心豊かなわが町の故郷、名取が復興していきながら、更に夢ある町になりますように!
また、皆の思いと、努力、忍耐で元気な新生・東北を心から願っています。
先生こんばんは。
なんだか今日も上手く眠れません。。。
クローズアップ現代見ました。
地球のステージにも最近ほとんど行ってなかったけど、先生の姿が私の頭の中の先生の姿と変わりなく、なんだか安心しました。
消防車、私はなるべくそのままの形で残すのがいいと思います。
海水に浸かってしまったから、錆止めはしなきゃいけないと思うけど…
この消防車の今の姿が、今回の津波の恐ろしさを、そしてそれを見て見ぬふりしなかった歩さんの姿を映し出すものだと思うから。
この消防車の存在意義は、先生の言うように重い。
だからこそ、なるべく手を加えないで今の姿のままがいいんじゃないでしょうか。
私は、できるだけ現状に近い状態で残してもらいたいです。実際は難しいと思いますが・・・
「赤い消防車」には、私のように地震や津波の被害をほとんど受けてない人やこの災害を経験いていない世代の人にも今回の被害を伝えて欲しいのです。
こんなことを言っている私ですが、募金することぐらいでしか被災された皆様の力になれない自分が悔しいです。
でも、何とかできることを見つけてがんばろうと思うので、桑山さんをはじめスタッフの皆様、お体に気をつけてがんばってください。
大垣北高 2年
地震があった日から、眠りが浅くずっと寝不足状態で頭痛と肩こりに悩まされています。
元々、眠剤を服用していたのですが余震が怖くて服用できません。
津波被害にあった訳でもないし、家が崩壊したわけでもないのですが、心の中に黒い恐怖が渦巻いていて薬を飲む事ができません。
歩さんの消防車。
今の状態で保存して欲しいです。
広島に原爆ドームがあるように、名取には歩さんの赤い消防車。
この津波被害を後世に語り継ぐためにも。
資格も、運転免許ももってない私ですが
何かできる事を探していきたいと思います。
お身体、ご自愛くださいませ
永い保存性を考えると車本体と、中に入った木や瓦礫などは選別して標本として別に保存するのがよいのでは・・・
津波のすざましさは車の外観で十分伝わると思います。
「クローズアップ現代」見ました。心のリハビリは重要ですごく重いものだと実感しました。
たくさんの患者さんの思い受け止められる桑山先生。
お心はパンクしないのですか。これが専門家のお力なのですね。患者の一人として、元気になりたいのとその気持ちが続かない力のなさに、自分を信じられないでいます。
震災で被害を受けた一人一人が、心身の不調を感じています。
目標を掲げ立ち上がろうとしている人達の強さを素晴らしいと思う反面、どうしたら力がでるのか学びたいと思います
時は前に進むだけで、3月11日には戻らない。
赤い消防車は私には辛く感じます。お身内でもないのに、亡くなられた方々の無念、ご家族の思いはいかばかりか。
先生も診察で皆さんの現実の苦しさを受け止められ、患者さんとともに歩まれていらっしゃいますね。
苦しくても辛いことから目をそむけないことは、必要なことなのですか?
幸い、関西で暮らす僕たちは震災に(和歌山のため阪神淡路大震災にもあわず)もあわず、避難所の暮らしがどういうものなのかも想像もつきません。たぶん、身勝手な僕は避難所での共同生活など、発狂してしまうくらい耐えられないと思います。
生活をするにも大変で、それにこころの支えさえ失くしてしまった多くの人のことを思うと、胸が痛みます。僕になにができるでしょうか。ただ、ブログにコメントをかくだけが、唯一、僕にできる支援のかたちなのだと、自分にいいきかせています。
歩みさんの消防車は、どのような形で残すかは、僕にはなにもいえません。ただ、桑山先生が一番言い方法だと思う姿で残してあげてください。桑山先生の残そうと思う姿の中にその思いが込められているのですから。どんな形でも歩みさんの歴史は伝えられるはずですから。
桑山先生、たまには、ご自分の体も、診察なさってくださいね。
健康に充分気をつけて、お願いします。
和歌山 中尾より
赤い消防車、私もできるだけ、今のままで残して欲しいと思います。震災を知らない未来の世代の人たちのためにも。
今日、家族で神戸に向かう予定です。テレビに映った桑山さんの姿を見たら、無性に会いたくなりました。向こうで少しでも会えるといいですね。
また、色々考えたんですが、海水かぶってるから大変ですよね!!費用もかかるだろうし。だったら、きれいにして、写真を展示するっていうのはどうでしょうか?
海水で錆びていくのもいいんじゃないかなぁ。時と共に朽ちていく展示もあっていいんじゃないかなぁ。記憶も朽ちてしまう?
私もぜひ今のまま残してほしいです。
錆止めはしたほうがいいかなって思いましたが、海水で錆びていった消防車も価値があると思います。
今の状態を写真に残し、時がたつにつれ朽ちていく様子と比べてもらうというのはどうでしょうか。
今のまま残してほしいですが、
海水は落としてほしいです。
あっという間に風化して、茶色くなり、凹凸もわかりにくくなってしまいます。
赤い消防車の存在感、雰囲気を大切にしてほしいです。
24時間開いている診療所は灯台のようですね。みんなの安心を守っているんですね。
里美さんが快復して良かったですね。一人一人の物語があるんですよね。
歩さんの消防自動車。できたらこのまま、濡れたまま残したいですね。でも、それは無理なこと。
塩水は流して、できるだけ今のままに近い形に戻せるといいなと思います。
神戸に行きたかったです。またの機会に是非!
10年前、中学生のときですが、中学校の体育館で桑山先生の「地球のステージ」を見ていた者です。僕は本当に感動して手紙を書きたいくらいだったのですが、もしかしたら先生の記憶には「悪い記憶」として残っている学校かもしれません。
10年経ちましたが、昨日NHKのある番組で先生が映っていらして、びっくりして検索しました。そうしたらこのブログにたどり着きました。
僕は被災県の内陸部の人間なので最小限の被害を受けただけでした。同じ県民なのに、住んでいる場所が違うだけでこんなにも受ける悲しみとか背負うものが違っていいものなのか。毎日考え、ときどき涙が出そうになります。
運命とか、そういった言葉で片づけられないと思います。
でも、悲しいことですが、残酷すぎる現実は容赦なく前に立ちはだかります。何かするしかないです。
先生の、誰かに心から寄り添う姿を見て、また決意を新たにしました。
ブログの内容と少しずれてしまってすみません。
また拝見します。先生もお体に気を付けてください。
昨日、神戸で地球のステージに参加させていただきました。貴重なお話を誠にありがとうございました。
消防車の保存についての意見なのですが、できれば人々にこの災害の記憶を留めていただくには、現状のまま保存するのがベストだとは思うのですが、心配なのは腐食の問題です。津波で海水をかぶっている以上、通常より腐食の進行が早いのは確実だと思います。
できるだけ早期の段階で日本における保存科学の権威、山形市の東北芸術工科大学のアドバイスを受けて対策を練られるのが良いかと思います。
もちろん相談され、熟慮された上でこうして意見を募られているとは思うのですが、出すぎた意見であればお許しください。
消防車の記憶をについてビデオや写真、証言などで精一杯記録を行い、展示することも可能です。広島の原爆資料館や日本博物館協会も力になってくれると思います。お忙しいとは思うのですが、保存のプロ、展示のプロが先生を支えてくれます。どうぞ頼っていただき、少しでも先生たちの負担が減ることを祈っております。
どうぞ皆様、お身体ご自愛ください。