今日は6年目の気仙広域連合のステージでした。
岩手県大船渡市、陸前高田市、そして住田町の2市1町が広域連合を作っているのですが6年前からこの時期に呼んで下さり、順調に1番から公演を重ねてきました。
昨年は大船渡市でステージでしたが、今年は陸前高田市。復興のまっただ中の陸前高田ですが行く度に激変するその様子に戸惑います。
もちろん、みんなが一生懸命立ち直りをかけて取り組んでいる「復興」ですから見守り、応援することが大切なのですが、今回広田半島の方まで回って感じたことは、とにかく町の中心部のかさ上げが余りに広域すぎて町の形をなしていないという危惧。8年目に入る今の時点で未だ見た目ですが半分にも至っていない整地の遅れを見ていると、例えかさ上げが終わってもその上に家を建てる人がほとんどいないのではないかという心配でした。余りに時間がかかりすぎているのではないかと思えたならないのです。
それだったら、かさ上げしないで元の街並みを残しての復興という選択肢はなかったのでしょうか。かさ上げは津波の再度の襲来のためと聞いていますが、20Mを越える津波であれば、このかさ上げにしても飲まれてしまうことに変わりはありません。
「かさ上げ」
それによって失ってしまった街並みの記憶、それによってかかってしまった時間の長さを考えると、その意味をちゃんと問い直していかないといけないように思います。
加えて堤防が余りに高すぎて、街から海が全く見えなくなっています。正直、逆に海に何が起きているのかわからず、ものすごく不安になりました。
津波のあとの街の復興のあり方を、今後もしっかり議論していくべきではないかと思いました。
さて、今回のステージは6番。
初めて一番最後に我が稔伯父の半生を綴った「ゼロ戦と大地」を公演しました。
これまで何度も試作で語ってきたけれど全然納得できなかったのに、今日は見事に「すとん」と気持ちに中に落ち、会場の皆さんにも高評価でした。
「今の私たちが当たり前に受け止めている平和は、ただそこにあったものではない。先人たちの多くの死とその後の努力によって支えられている。その意味を感じながら、自分たちで平和を守っていこう。」
そんなメッセージが素直に表現できて、僕も会場の皆さんもいい感じで泣けました。
ようやく方向性が見えたので、これから折に触れて「ゼロ戦と大地」。公演の中に入れていきたいと思います。
さて、広域連合との約束は「6年間で終了」でした。ということは今回で終わりと言うことになります。でも現在は7番も、8番も演目的には公演可能です。とはいえ、行政の枠組みの中では「6年と決まったものは、やっぱり6年」なのだと思います。
それでも多くの皆さんが「来年、7番を!」というアンケートを書いてくださっているようなので、なんとかならないか、期待していきたいと思います。
大切な被災地での公演。なんとか続けて行ければ、と思っています。
桑山紀彦