被災地を抜けて、どうしてそこへ行くのか。それは大口町の皆さんが
「逢えてこの時期だからこそ来てほしい」という思いに応えたかったことが一つ。
そしてもう一つは歩さんの心を伝えたかったから。
3月11日に流された歩さんは、今日が初七日です。残された奥さんや子どもたちにとって長い1週間だったでしょう。それでも、最後の最期までおばあちゃんたちの命を守るために走り回って天に昇っていった歩さんのことを少しでも多くの人に伝えたかったのです。だって、歩さんのことはまだぜんぜんテレビや新聞で報道されていないのですから。
「地球のステージ」はいつも「名もなき人」ではあるけれど「勇気の人」を伝えてきました。歩さんはまさにその一人です。だから「地球のステージ」で伝えたかったのです。それが今日の日になりました。
もちろん、曲もできていないし、ビデオ映像も編集してありません。それでも伝えられると思って大口へ行きました。
やっぱり泣いてしまいました。
喉の奥から奥からこみ上げてくるのです。これを嗚咽というんですね。胃がひっくり返って喉の奥から飛び出してくるような感覚。それが歩さんへの思いでした。
そして、一面の緑の田んぼが津波の水に飲まれて黒い湖に変わる大友さんの田んぼ。
もじゃもじゃ頭の大友さんが田植機を走らせながら植える稲の頼りない緑。その映像もまともには見られませんでした。
いつかそこが緑の田んぼに戻る日が来るのでしょうか。
春の大友さん、田植え
津波、水没
僕たちは震災の次の日から始まった自主的な募金の額を知りました。4日間で300万円を超えていました。これほどの気持ちと心が、そこに集まりました。なんと感謝すればいいのでしょうか。今日の大口でも、本当にたくさんの人が募金してくださいました。モノはなかなか持って帰られませんが、お金は被災地でいろんなものに変わり、現場を支えていきます。
足りないお薬や物資を買ったり、発電機のレンタル、ガソリン代、修理費。病院や活動を維持していくためにそれらを使わせて頂きたいと思いますが、もう一つ、僕は決心しました。
「あゆむ基金」を設立します。
それは無念の中で旅立った歩さんの気持ちを継ぐもの。
この赤い消防車を譲り受け、さびないように、これ以上破損しないように譲り受け、保存します。そして歩さんの勇気が、いつでもそこから感じられるようにしたい。
そして今回集まった募金の一部をその基金に充てます。その基金からは、この地区の子どもたちの花火大会や夏祭り、音楽会や劇、イベントに出資していく。そしてこの地域が「モノ」だけでなく「人の心」の上に復興していくような、数多いイベントの開催費用に充てたいと思います。
そして、この地域を愛し、子どもたちやお年寄りを慈しみ、最後の最期まで声を限りに振り絞った歩さんの気持ちを復興のシンボルとして組み立てていきたいと思う。
それも、今回の皆様からの募金によって可能となるものです。
最初は小さいところから始めるかもしれませんが、時期を見て復興のコンサート「地球のステージ:津波復興版」を開きたい。それはこの赤い消防車の前で、このすべてさらわれた大地の上で、野外のステージでもいいじゃないでしょうか。
歩さんの気持ちに恥じぬよう。
今日はそのための、震災後第1回目のステージでした。
桑山紀彦
桑山さん、明ちゃん、お疲れさまでした。小倉教会では毎週金曜日18:30~19:15まで「オルガンの夕べ」というミニコンサートをしています。今度の金曜日、第39回は「チーム桑山」のためにチャリティーをする予定で準備していました。歩さんのことを話して、参加者の皆さんに「あゆむ基金」に募金してくださるようにお願いします。(北)九州の皆さん、ぜひおいでください!
詳しくはHP《http://www.kokura.catholic.ne.jp/》またはわたしのブログ《http://micheleyam.exblog.jp》で。
桑山さん、一歩ずつ「光」の方に向かって…。
桑山先生、初めてコメントさせて頂きます。
震災後第一回目のコンサートお疲れ様でした。こんな時だからこそ、今だからこそ深く伝わるコンサートになった事と思います。私はトロント在住の日本人で、昨年の九月にトロント日系文化会館でコンサートをされた際、TV取材のスタッフの一人として初めて先生にお会いし、地球のステージの事を知りました。そして、先生の活動に深く感動した一人です。つい先日こちらで今回の震災への支援について何ができるのかを活発に意見交換しているメーリンググループのFTFを通じ、先生が被災されたことを知り、ブログを拝見するようになりました。各国のインターネットニュースで確認できる情報とは違い、実際の今の被災地の様子を、身の周りの過去から現在の事実を、分かりやすく写真と実感できる言葉で語られていて、胸を熱くし、心打たれ、遠いカナダから今すぐ手を差し伸べる事が出来ない歯がゆさに胸が苦しくなります。今までの日常からは比べようもない現実の中で、今過ごされている皆さんを思うと辛いです。地震発生からずっと私に出来ることを模索し考え続けています。そして今すぐ私に出来る事として、これから先長く続く事になるであろう被災地の避難所での生活を直ぐに支えたり、役だてる訳ではありませんが、ほんの少しは被災者の皆さんの心を慰められないかと、周りの人たちに声を掛け、トロントからの応援の気持ちを「絵てがみ」に描いてもらう事にしました。生徒さんや、ワークショップの参加者の方々に声掛けし、今少しづつ集まってきています。今後集まった絵手紙をまとめてアルバム用のケースに入れ、すぐに壁に掛けられるようにして被災地に届けたいと思っています。その受け入れ先として先生のクリニックもと考えているのですが、この非常時ですから差し支えないかどうか確認させて頂きたいと思いっています。このような事を考えるのも行動するのも初めての事で、ブログへのコメントも普段出した事がないので、もしもこれが非常識な行動だったとしたらお許しください。コンサートの際に購入したドクトルKのサイン入りパンフレットにありましたメールアドレスにもメッセージをさせて頂きましたが、毎日更新されているブログの方が読んで頂きやすかなと思い、こちらにもメッセージ入れさせて頂きました。長い文面でブログを拝読されている皆様のお邪魔にならなければ良いのですが。
とにかく、少しでも現状が良い方向に向かうよう、また残念ながら命を落とされた方々のご冥福と共に、近しい人を無くされた方々のお心が少しでもやすまるように、いつも心からお祈りしています。
今日も家族はいつも通りです。
久しぶりの部活でした。でもやはり罪悪感は強いです。被災地からもどってきてから何かするたびにこれはあっちではしたくてもできないことだよなとおもい罪悪感にかられます。しかしそう思えてる自分に少し安心しています。普通の人はこれだけほとんど普通の生活にもどってしまったらその生活に体も心もあぐらをかいてしまう。でも自分は違う。被災者のことがつねに心にある。その状態にいれることにまずは自信を持とうと思います。自分にできることは少ないからこそいまはこの気持ちを大切にします。
毎日ここで、桑山さんや皆さんのコメントに心動かされています。
桑山さんの言葉で事実を知り、感じることはできても、それを私の心で受け止めるのには時間がかかりそうです。
自分の気持ちを表現する言葉がみつからない…、安易な言葉にしてしまいたくない…。それほど尊い「勇気の人」です。
私も、私自身そして娘たちへと、その気持ちを継いでいきます。
何度目のステージになるでしょうか。いつかきっと、大分でお逢いしましょう。
ではまた、あした。 武居久美
息子さん、私たち被災者からは一人でも多くの人がお元気でいてくれることが願いです。お父さんもご家族がお元気でおられることが一番の励みになると思います。
桑山さんステージお疲れ様でした。こうして他の地域の皆様の温かい励ましをお伝えいただき、いつの日か恩返しができる日が来たときに気持ちは一つになると思います。
こんな時こそ、自分だけ良ければという気持ちを捨ててほしいと思う場面を目にします。
今生きていられる人全員がかつて経験していない最大の震災であること。皆で復興しなければならない事態であることを心して。
歩さんそしてお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたします。
わずかばかりで申し訳ありませんが銀行から募金したいのでゆうちょ銀行の支店名を教えていただけないでしょうか。
桑山さんのステージでの姿が目に浮かびます。
見て見ぬ振りができなかった 歩 さんの 尊い気持ち 私の胸に刻みます。
被災地の皆さん 身体はもちろん心も 疲れておられることでしょう。
桑山さんスタッフの皆さん よろしくお願いいたします。
そして 桑山さん スタッフの皆さんご自身の心のケアー忘れないでください。
偉そうな事言ってごめんなさい。
大阪から応援しています。
日本人のオマージュと尊敬をガザ地区からのご挨拶は、彼はいつもガザの権利を助けたために、我々は彼らの手を絞って、それらに損傷や重症度の軍隊を受けている患者に言うと離れて、エンドに行くと、神は、喜んでは何今日の後に発生し、何が起こったのか、私たちは私たちはあなたが、我々は、占領の抑圧のユダヤ人になるには時間のルールは、私たちHuzeiinnあなたに何が起こったの後半に助けることができるがあったが、大文字と小文字を区別するよりも、神を除いて喜んでこれです……………………………………(((吸う終わる我々は願っていますすべてのAliapaninの安全)))..
昨日は、すばらしいステージをありがとうございました。
本当に行って良かったです。
桑山さんのステージは、やっぱりいつも温かく、必ず生きていく勇気をもらえます。
今、私よりずっとずっと大変な状況なのに、私の方が勇気をもらえてしまうなんて、ほんとうにすごいです。
「あゆむ基金」。すばらしいアイディアですね。是非、私も参加し、歩さんのことを忘れないで、今後の復興に役立てて欲しいと思います。まずは、復興コンサートが開けるまで。
大口町に来ていただけるおかげで、毎年、3月には桑山さんにお会いすることができました。以前、自分の学校の子供たちの国際理解に大変協力していただきましたが、そのときの経験が今の私を作っています。
これからも私が行ける範囲でのステージがありましたら、是非行きます。
昨日は、私も同郷である高山の青年とも話をしました。桑山さんの影響を受けながら、地元で頑張っている彼との出会いも、桑山さんのおかげだと感謝しています。その青年、私の実家のすぐ近くに住んでいらっしゃるんですよ。
人と人とのつながりって、本当にすばらしいですね。
あと、映像で映った高山の風景、懐かしかったです。
まず、1段上れるように心から祈っています。
大口町公演ありがとうございました。
「あゆむ基金」大賛成です。
人の記憶は、辛いことも、悲しいけど大切な人のことも時間がたてば薄れてしまいます。
この風化しない赤い消防車を残すことによって、人と人が支えあったこと、歩さんの生き方を、思い出すことができます。今回被災に遭わなかった人にも、未来にも伝えていけると思います。
これを書いていて頭に流れてきたのは、「国境に咲く花」でした。
『諦めないであなたの祈りは世界の果てにも花を咲かせる』
義援金に託した気持ちが形になったら私も嬉しいです。
中野美奈子さん。昨日はありがとうございました。桑山さんの影響を受けながら自問自答しながら生きています。桑山さんに出会って人生の選択肢が増えた気がします。また高山のステージで会いましょう。
昨日はお疲れ様でした。
大阪へ帰宅後、友人達と遅くまで呑んでいました。
私から何かを言う訳ではなく、友人達から自然と、
「桑山さんを大阪に呼びたい」という声が上がってきました。
服部さんを頼りながら、関西にいる方を頼りながら、
お呼びできたらと思っています。
健康、気をつけてくださいね。
こうやってブログ書かれながらどれだけの嗚咽が桑山さんに洩れたのだろうと、切なくなります。
でも、日々の診療それから「地球のステージ」
希望をたくさんの方に、被災された方だけでなく、私たちにも繋いでくださいます。ありがとうございます。
歩さんのことを伝えたいとの震災後一回目のステージは尊いです。
昨日「ハンナのかばん」の訳者石岡史子さんは、ホロコーストに触れ、ナチスという直接加害者、それを手伝った人、黙って見ていた人、そしてその反対にみてみぬふりができなかった人がいると北九州で話されました。歩さんとダブります。あゆむ基金。歩さんは亡くなられたけれど、その思いは多くの人に伝わっていきます。ありがとうございます。鍬塚聰子
このところ無縁社会って言葉を肌で感じていたものの何も行動起こせずにいた きっと自分と同じような事を感じて暮らしている人は多いかも でもこのブログを読んでると 自分で自分の殻を壊す事が必要な時期なのかと思う 子供の頃に思った感じていた純粋さ 大人になってなくしてしまったモノ でもやっぱり君は最高だ あの頃のままなんだよなあ 息子殿 自分がその年頃はインターネットはなく ごくごく限られた世界と接するしか出来ませんでした 自分は大人に失望し 政治に失望し 日本人に失望し でもその間もう30年になるかな 失望しながらも ただ歩き続けて来たのが息子殿の父さんだ 腐ったオレに何が出来るかな 考えないとって感じるところです
ブログを拝読する度に、自分の手でチカラになりたいと強く思います。
でも、まだ時期じゃない。
今行ったって何にもできずに足でまといになってしまうのがわかっています。
だから、時期が来たら必ず。と自分に言い聞かせる日々です。
この震災の影響で、仕事をやめざるを得なくなりそうです。
でも、探せるだけまだいいはず。
お金がないと、本当にチカラになれるものがなくなってしまいますから。
色々な影響が出ていますが、それぞれの場所でみんなが踏ん張ってんだって思えばなんてことないです。
空を見上げて
春はそこまで来ています。
被災のこの今だからこそ、コンサートをしなければならない、すごいじゃあないですか!!
そして、「あゆむ基金」の設立、いいじゃあないですか。ぜひ、成功させてください。応援します!!
そして、この震災から立ち上がっていく人々の「希望」となられるよう、こころからお祈りいたしております。
桑山先生、ご自分のお体も充分お気をつけてください。
和歌山
中尾より
ステージお疲れ様でした。
ステージを開催することが支援になるのならばと、取り急ぎ地区の中学校の役員に今年開催できるように働きかけをしました。
地震の被害を負った茨城ですが、少しでも出来ることはあると思います。
わたしの周りの人たちにも、「あゆむ基金」広めたいと思います。
みなさまも、お身体ご自愛くださいませ。
チーム桑山の健闘振りと「地球のステージ」のブログ紹介のメールを友人・知人に送信しました。
今朝クライストチャーチで被災した友人からメールが届きました。「桑山先生方の活動ぶりに 異国で被災し 会社も解散となり 職も失った自分達も大いに勇気付けられました。 がんばります!」と。
心は世界中で繋がっているのですね!
お父さんについていけなくて残念だったけど、
桑山さんの公演の様子、目に浮かびます。
やっぱり、桑山さんは「強い」人だなぁ…って思います。
クタクタに疲れても、私たちのためにこうやってブログを書いてくれて、
本当にすごいお方だな、と思ってます。
これからの公演も、がんばってください!
ずっと応援してます‼
津波が多くの罪もない人たちの家や財産や家族を飲み込んでいく場面を、私は食い入る様に見て『これは酷い、気の毒に・・』と呟いている。でも、翌日にはスーパーに行って、食料品や日用品を買い漁っている自分が居た、深く反省した。
多くの人がテレビから流れてくる映像や解説に踊らされている様な気がする
『誰にでも知る権利はある・・』、だから報道はどの他局よりも少しでも早く被災地に入ろうとしてヘリを飛ばし、取材クルーを送り込む、そして、途方に暮れる人々に容赦なくカメラを向け、マイクを差し出す。
現実の映像は、如何に特撮技術が進もうが、どんな映画よりも人の目を釘付けにする力がある。しかし、我々は決して劇場の観覧席に座ってしまってはいけない。
桑山さんのブログは『心の報道』だと思う。
この一週間。被災地から離れた東京で、自分の回りのことばっかりで、全然気が回らなかったです・・。「地球のステージを応援するとか」あちこちで言いながら、桑山さんのクリニックが宮城にあることすら忘れてた。情けないこと。
今朝、ステージを一緒に見に行ったかみさんから「桑山さんたちの事務所は宮城じゃなかった?大変じゃないの?」
と言われ、HPをのぞいて改めて現実を知りました。厳しく悲しくそして生きてる現実を知りました。遅くなりまして本当にごめんなさい。
ブログ読んで涙があふれ言葉になりません。できること精一杯したいと思います。
復興までは、マラソンのように長い道のり勝負。どうか無理せずご自愛して・・がんばってください。
あゆむ基金、協力します。必ず実現したいですね。いえ、みんなで実現させましょう。
桑山さん、明ちゃん、ステージお疲れ様でした。
桑山さんの口から伝えられた言葉の一つ一つが皆さんの心に届いたことと思います。
歩基金、素晴らしいアイディアですね。将来への希望をつなぐ基金になります。
この震災で多くのお子さんが孤児になってしまったそうです。私たち大人はみんなの力を
合わせてしっかり守っていかなくてはなりませんね。
大口の『震災復興特別篇』心に深く届きました。こんな時だからこその、より深くより強いメッセージ。歩さんの輝き。
今やれること、これからしてゆくこと。ずっと支え続けるには…たくさん想い、考えます。
どうも、おつかれ様でした。ほんとうにありがとうございました。これからも大口で、その時その時の状況を教えていただきたいです。
震災後のステージ。まだまだ復旧は遠いでしょうが震災前にやっていたことが出来たことは素晴らしい。良かった!喜べ!桑山!
交通費に使うか義援金とするのか悩んだ末、交通費にし八王子から大口町に向かいました。横浜線は間引き運転で混雑、鞄事件を引き起こした新横浜の駅は節電の為薄暗く、でも名古屋につくと別世界。明々とついた電気。西の方の人達には半ばテレビの中の出来ごとなのかななんて思いながら名鉄に乗り換えました。 桑山さんは、うたうのが少し早すぎたかなとおっしゃってましたが、ちょっと人ごとの地域の方々に現実を伝えられて良かったぁって思いましたよ。
あゆむききん。死しても地域の皆さんに力を注がれる。素敵です。
大口に来ていただき、ありがとうございました。
初めて見せていただく「地球のステージ」が特別なものであったことに、深く感謝します。
人は縦にも横にもつながって、今を生きているのだ、と感じました。身近な人たちとも、本当の意味でつながっていたいと思いました。そのために、自分自身は変わらなくてはいけないと感じました。
避難所となった学校で仲間が働いています。離れた大口からでもできることはしたいと思います。
本当に、ありがとうございました。また、大口でお会いしましょう。
『BELIEVE』大好きな曲です。音楽の教科書「音楽のおくりもの」で改めて読み、今の気持ちそのまま…
あゆむ基金のイベントで、みんなで歌いたいと思いました。
♪『BELIEVE』
杉本竜一作詞・作曲
1. たとえば君が 傷ついて
くじけそうに なった時は
かならず僕が そばにいて
ささえてあげるよ その肩を
世界中の 希望のせて
この地球は まわってる
いま未来の 扉を開けるとき
悲しみや 苦しみが
いつの日か 喜びに変わるだろう
I believe in future
信じてる
2. もしも誰かが 君のそばで
泣きだしそうに なった時は
だまって腕を とりながら
いっしょに歩いて くれるよね
世界中の やさしさで
この地球を つつみたい
いま素直な 気持ちになれるなら
憧れや 愛しさが
大空に はじけてひか(輝)るだろう
I believe in future
信じてる
いま未来の 扉を開けるとき
I believe in future
信じてる
【注:I believe in future…「未来を信じて」という意味】
がんばって
一日も早く、
普通に生活する日が来ることを
心から祈っています。
NHKで桑山先生を知りました!
被災地の皆さんは、支援物資はもちろんですが応援のメッセージだけでも
元気になれると聞き、心を打たれました。自分は何もできないかもしれませんが、とにかく一日も早く復興して被災地の皆さんが元気になれるように毎日祈っています!自分は、三重県に住んでいますがこちらもいつ大地震がくるかもしれません。他人事とは思えません。
どうか、まず怪我人、病気の方やお年寄り、妊婦さんを優先して助けてあげてください!自分は三重県から皆さんを応援しています!
あと、被災地の皆さんには迷惑かも分かりませんが、元気になれる様な音楽を聞かせてあげてはいかがでしょうか?何もできない自分が偉そうに言えませんが。よろしくお願いします!
大口町のステージ、観に行きました。
歩さんに、また会いたいですか?。
昨日の講演の様子が、本日20時45分からのNHK「ニュース845東海」で紹介されました。「地球のステージ」のHPも紹介されていたので、より多くの方の目に触れ、さらに支援の輪が拡がることを期待しています。ありがとうございました。頑張りましょう!
紀くんが名古屋駅に着いて「名古屋に着いたよ。」と電話してきてくれた時の声が酷く疲れを感じさせ心配しました。しかし、大口町民会館に着いた時の「今日ここで被災地の様子を皆さんに伝えるんだ!」「歩さんのことを伝えるんだ!」という強い覚悟が会場への階段を上っていく後ろ姿に感じられ、目に焼き付きました。今、自分たちが被災した方々に出来ることは限られているけれど、「何が出来るかを考え続けること」「被災した方々が孤立していかないよう、報道が少なくなってからでも、励ましの気持ちを伝えたりや支援の行動を起こすこと」が大切だというメッセージを受け取りました。交通手段が整ったら必ず行きます。美田園や名取の皆さんに何が出来るか考えています。明ちゃん、優子さん、スタッフの皆さん、ご自身のお身体も大切に無理をしないで下さい。そして、多くの方々を助け守ってあげて下さい。名古屋からずっとエールを送っています。
昨日地元のテレビで桑山先生のことを知りました。
先生が、言葉を送ってください。と言われていたので、早速送らせていただきました。
私に出来ることはちっぽけなことだけです。
募金、節電、救援物資…
先生のおかげで言葉を届けるということもできました。
毎日テレビを見てはみなさんのことを思っています。
何でも言ってください。わがままだっていいのです。
私たちが出来ることが、力になれることがあるかもしれません。
そしてどうか笑顔を忘れず、まわりのみなさんと支えあいながら頑張ってほしいと思います。
もう頑張っているのも知っています。
もう少し、もう少しです。
愛知から応援しています。
そして桑山先生。
きっかけをくださりありがとうございました。
先生もお身体大事に頑張ってください。
ありがとうございました。
ニュースで桑山先生が大口町で講演されたことを知りました。
「これからが大切」「つながっていること」等先生の言葉を真摯に受け止め、思うだけでなく小さなことでも言葉や行動にしなければと思いました。
私が出来るのは、マッサージやメイクだけなのですが、女性として気持ちの上で大切なものだとも思っています。まだ、行くことが出来ませんが、長いスパンで支援できるよう準備を整えたいと思います。
被災地の現状を伝えに来てくださってありがとうございました。
夜のニュースで講演の様子を拝見しました。
愛知県まで来ていただいて、ありがとうございました。
踏ん張って。
先生が倒れないように。
トラックバックさせてくださいね。
初めて書き込みします。Twitter経由で先生の活動を知りました。ローカルニュースで愛知で講演されている様子も拝見いたしました。月並みなことしか言えませんが、お身体に気をつけて頑張ってください。
私は、現在産休中の心理士です。私の地元にも被災された方が一時的に避難生活しに来られているということなので、産休後になにか役に立てることがないか、と思っています。