今日は母校のように想っている(でも母校ではないのですが)大垣北高等学校のステージでした。
こうして毎年呼んで下さっている年月の中では翠先生がいらっしゃったり、山田先生がいらっしゃったり。その後翠先生は山県高校の校長に、そして山田先生は加納高校に異動されました。加納高校は「3年に1回」で呼んで下さっているので、再来年山田先生とは再会できると思っています。
さて、今日は4番。
新しい「ヨルダン川西岸篇」をひっさげての4番はこの名門大垣北高等学校の生徒さんにどう感じていただけたでしょう。その後の恒例、交流会にもたくさんの生徒さんが来てくれて、こころの内側にある「自分ってどうするといいの?」という悩みをみんなで分かち合いました。
超進学校であるが故に抱えてしまう悩み、それは自意識だと思います。
今日もいい形でそんな「悩める高校時代」を共有できたように思います。
思えば海老名に来て再開業し、現在夕方はほぼ高校生の外来が全てと言っても過言ではありません。そこで語られる多くの苦悩、ストレス、不調はまさにこの難しい年代「高校生」が持つべくして抱える課題だと思う。そんな高校生に少しでも寄り添いたいという思いが年々強くなり、今日も本当に愛おしい気持ちで、北高生の語る「いま」を受け止めさせていただきました。
SGH(スーパー・グローバル・ハイスクール)の指定も来年度まで。再来年度以降、どうやってこの「地球のステージ」を継続するかにあたって、付加価値を高めようという話し合いも出来ました。
それは、うちのガザ地区スタッフのアーベッドや、東ティモールのアイダとのスカイプ会談。それは北高と現地をつなぐ非常にビビッドなひとときです。「地球のステージ」はそんな高校生と現地をつなぐような活動もぜひ進めたいと思っていたので、北高とは来年度以降、そんな活動も始められたらと思っています。
さて、名残惜しい北高をあとにして寄ったのは、りんりんこと、林由美(よしみ)さんの自宅。
りんりんは現在結婚して一児の母となり、なんと大垣市内に暮らしているのです。そんなりんりんの家を訪ねました。なおちゃんは最初怖がって泣いちゃったけれど、後半は慣れてくれたようです。
青年海外協力隊、マダガスカル隊の看護師として働いた後、津波直後の名取に来てくれて4年間、ずっと一緒に活動したりんりん。丹野さんの絶大な信頼を得て、本当に良き活動をしてくれたりんりんの次の人生を垣間見ることが出来て、本当に良かったです。
これからも岐阜や大垣のステージがあったら会いに行きたいと思っています。
変わらないりんりんに、感謝。
桑山紀彦