母の兄、稔伯父が亡くなりました。
昨日のことでした。
稔伯父は「地球のステージ2番」の「故郷篇2」の中の映像に出てくる牛飼いのおじちゃんです。
太平洋戦争末期、稔伯父は福岡の大刀洗飛行場に少年航空兵として入隊し、来たるべき「特攻」に備えていました。
飛行機の操縦はことのほかうまく、自称ではありますが大変優秀なパイロットであった伯父は、旧満州国までものの30分くらいで行って同じ時間で帰ってくるほどの高速操縦が得意だったと言います。
しかし昭和20年の3月27日、大刀洗空襲によって飛行場は壊滅。伯父は行く先を失い、様々な飛行場を転々としていく中で終戦を迎え、特攻には行きませんでした。
その伯父が故郷高山に帰り、家業の農業を継いだ最大の動機は、
「空は、十分飛んだ。これからは大地に根を張って生きよう。」
というものでした。あのまま空を飛び続けていたら、特攻で確実にこの世にはいなかった伯父は、運命によってつなぎ止められた命を、土の上で活かそうとしたのでした。
それからはもう空を飛ぶことはなくなった伯父だけれど、土に生き、農地を広げ、息子の弘幸(僕の直系のいとこ)、その息子の聡司と、実に3代にわたって同時に農地を耕すという大きな農家の基礎を作っていったのです。
そんな伯父が好きで、よくビデオに撮っていました。
「そんなハンサムでないで、とんなや~」
と照れる伯父。その中の快心のショットが現在の「地球のステージ2」の故郷篇2に登場するあの伯父の笑顔になりました。
そんな伯父が、空を飛んでいた頃の思いをまとめた本があります。
今では貴重なものになりましたが、おいおい、それを紹介させていただきたいと思います。
空に散らず、大地に生きた、そんな伯父は享年91歳でした。
合掌
桑山紀彦
戦争の理不尽さをもっともよく知る歴史の生き証人。
ご冥福をお祈りいたします。