シークアム高校での2公演が終わりました。
1時間という枠の中での構成は
「Opening&放浪篇」のビデオ
「ガザ危機篇」
「パレスチナ篇後編:海を見に行った少女たち」
「ヒロシマ篇」
「故郷篇1」のビデオ
で構成し、ほぼ全生徒に見てもらうために入れ替え制で2回の公演でした。
さて、カナダの高校生はいかに・・・。
最初の回の生徒たちは全体にざわつきやすく、何となく落ち着かない感じでした。それでもみんな一生懸命聞いてくれたと思います。印象的なこととしては、
1)曲が始まる前にも拍手が来る
→日本は曲の終わりだけですが、カナダは曲の始まりと終わりに2回ですね。嬉しいものです
2)話し声がするけれど、それはお互い話し合いながらついてきているからの様子
→一瞬、ざわついているように思えますが決してそうではなく、その時々の印象や感想を率直に周囲と話し合いながらついてくるので、そういった感じになります。
これを「聞いていない」とするのではなく、「積極的に内容に参加してついてきている」と考えるべきだと思いました。
しかし、不思議な事が起こりました。1回目のヒロシマ篇の時に、手拍子が出たのです。しかも、「もみ手」的なゆっくりした感じのものです。ざわめきもある程度聞かれ、どう理解していいのか、よくわからない雰囲気になりました。
一旦その手拍子が大きくなり、また終息していったかと思うと、また「伝染」のように高まって、また低くなっていく状況を繰り返していました。
動揺しながらも最後まで歌い、「故郷篇1」の「ねがい」になったら、またゆっくりした調子で手拍子が出てきました。
「これは歓迎なのか?揶揄なのか?」
心の中に疑問の灯がともりました。
2回目の公演。こういったことはなく、非常に素直に過ぎていったように思います。手拍子は出ませんでした。
ステージが終わって、今回音響設備を助っ人してくれた旧友のアイリーンに尋ねてみました。
すると彼女から返事が来ました。
「ケイ、お疲れさま。パフォーマンスはとってもよかったよ。
問いかけてくれた手拍子だけどね。私も不思議に思ったよ。でもね、私自身カナダに生まれ育ったけど、父親は日本人で顔立ちも白系のカナダ人とは違うから、高校時代はずいぶんと違和感を感じながら通っていたんだ。だから、今回のティーンたちのリアクションをどう理解するといいか、よくわからないというのが正直なところなんだ。
それでね、今回助けてくれた演劇教室担当のグレッグ先生に聞いてみたんだ。いかはその返事だよ。
ハイ、アイリーン! いい仕事を一緒に出来て嬉しかったよ。
確かに彼らのあの手拍子は、僕も奇妙に感じたんだ。僕が思うにあのリアクションは感情の混在からきたのではないかと思う。それは敬意と冷やかしだ。
僕の演劇クラスでも時に失礼なリアクションを見せることがあるよ。それはティーンに特徴的なもので異質なものや、情動を急にかき立てられたときに、自分の心を守るためにそうしていると、僕は思う。
ケイのパフォーマンスはそれほどの力を持っていたから、一部の生徒は自分の驚きや動揺を隠そうとそういう態度に出たのではないだろうか、と思っているよ。
まあ、いずれにしても、非常にインパクトのあるパフォーマンスであったことは確かだ。これからもこういった刺激が必要だと思っているよ。
素直に、「曲についてきている」「ノっている」という感じではなかったリアクションを高校の先生は感じていたようです。
最初は私服だし、大人びているし、一見大学生のようにも見えるカナダの高校生。でも、よく見ていると通路で抱き合ってキスしているものもいれば、先生に言われても自発的に動いたりせず、何度か言われてようやく動く子もいました。
「今時の高校生っぽいなあ」
と感じ、国によってそんなに変わるものではないかも知れないと思いました。
しかし出来る子はものすごい。脇目もふらず努力して、次々といろんな夢や希望を手にしていきます。それは多くがマイノリティの人種出身の生徒だったりもします。
日本の高校と比べて、「差が激しい」という印象がありました。出来ること、そうじゃない子の差が・・・。もちろんこの場合の「出来る」というのは勉学だけでなく、思いやりや気遣い、優しさややる気のすべてを含んでいます。
廊下ですれ違う生徒さんは、ほとんど挨拶はありませんでした。
日本の高校の場合、挨拶する学校はとことん挨拶するし、しないところは徹底的にしないです。そういう意味では、カナダ=すごい意識の高い高校生の集まっている国というのではなく、やはりばらつきがあるということでしょう。
しかし、特徴的なことは「意識が高くなり始めると、天井知らずで発展できる」、そんな環境である国がカナダなのだとも思いました。
これからも恐れず、気負うことなく、このパフォーマンスの機会が与えられたら積極的に臨んでいきたいと思いました。
終わってのクラス周り。これまた勉強になりました。
桑山紀彦(成田にて)
桑山先生、明子さんお疲れ様でした。
カナダの高校でのステージが実現できて、本当に感激です。手元にとりあえず39枚のアンケートがもどってきましたが、37枚がGreat、Awesome、Amazingといった内容のコメントでした。先生の歌を楽しんだという生徒もたくさんいました。手拍子については色々な取り方があると思いますが、また別の先生は音楽を楽しんでいたからじゃないか、とおっしゃっていました。これをきっかけにカナダの学校にどんどん広がっていくと嬉しいです。
桑山先生、明子さん、
お疲れさまでした! 日本での過密スケジュールをぬって遠路お越しいただき、素晴らしい公演をありがとうございました。
今回もたくさんの皆様と感動を共有できた
ことに心から感謝申し上げます。
Seaquamでの生徒たちの手拍子について先生は「歓迎なのか揶揄なのか」と疑問を
もたれてらしたようですが、私はどちらでも
ないと解釈しております。 確かに、最初は
不思議に思いました。 が、公演前にお伝えすべきかどうか迷いましたが、やはり、事実は知ってらしたほうがいいと思いましたし、
そのことが生徒たちの反応に現れるのではという危惧もありましたので、土曜日(9月25日)にSeaquamの近くの公園で15歳の女子生徒が殺され、犯人がまだ捕まって
ないことをお話させていただきました。
ステージの準備中に、演劇担当のMr.Dennettが生徒たちに事件のことを知らせ、注意を促し、カウンセリングの用意も
あることを生徒たちに伝えておりました。
27日はご存知のようにNorth Delta 地区の学校は全て授業がなく、Seaquamのみ特別に開けてもらったという
ことで、Seaquamの生徒たちが一番先に先生から事件のことを知らされ、被害者の
生徒を知っている生徒も多く、彼らにとってはショッキングな月曜の朝でもありました。
第一回の公演は事件を知った直後のことでも
あり生徒たちが心の動揺をどう表現してよいかとまどっているところに公演の中に自分たちがおかれていたということもあり、動揺した彼らの心に先生の澄んだ歌声が浸透し、同化して
ゆるやかな手拍子の輪が広がっていったと
解釈いたしております。 日本語の歌で歌詞の内容は理解できなくとも自分たちの心を
メロディに載せて、やり場のない思いを
みんなで繋がっていたいという彼らの思いが
手拍子になったと思います。決して「揶揄」
ではなかったと断言します! 揶揄でしたら
彼らはピーピーと口笛を飛ばします。
それだけに先生の歌声は彼らの心にインパクトを与えていたと思います。それは音楽の教師が卒業生にしか与えないというバッジを
先生に贈ったことでも証明されてます。
このことで先生が心を痛められていたことに気がつかなかったことお詫びもうしあげます。ごめんなさい。
公演中でのざわつきは私も気になり時々
後ろを振り向いて、彼らの様子をみましたが
お互いに分からないところを確認しあって
いるように感じました。
こちらの高校の校内風景ははじめての先生に
とってはショッキングなことも多々あったと
思いますが、あれが一般的な風景でして、
日本の価値観で判断しようとするとやっては
いけません。 これは私自身の子育て期間で
いろいろとぶつかった問題でもありましたし、モザイク社会での悩みの種でもありました。
「学び」の材料はどこにでも転がっているものですね。 今日も昨日のように青空が
広がっております。私が青が好きなのは
心の曇りをスカッと払いのけて爽やかに前に進む力を与えてくれるからです。
先生、明子さん、またお会いできる日を
楽しみにしております。
お元気で!
ありがとうございました!!!!!!!
桑山先生、後藤さん、お疲れ様でした!
手拍子は多分、いわゆる「クラスクラウン」の仕業だと思います。高校のオーケストラの後輩にもいるので、似たような状況を頻繁に見ます。
校長に対してでも先生に対してでもノンストップにチャチャを入れるのですが、悪気はないし根はまじめなので、あまり止めようとしない先生も多いです。とくにGrade 12(高3)になると完全にお祭り気分です。
そんなヤツが一人手拍子を始めて、周りが気を遣って参加したんだと思います。でもみんなそこで手拍子することに違和感を感じて、なおさら微妙な手拍子になっちゃったんではないでしょうか。乗せられた生徒たちも桑山先生と同じように複雑な気持ちでいたと思います。
最初は「まわりが俺の思い通りに動いた!ザマ見ろ!」という程度の自己満足だったのでしょう。そういう遊びをしたくなったのもグレッグ先生の言うとおり、恥ずかしくて感動を隠したかったという理由もあったかもしれませんね。
日本ではありえないですね、考えてみたら。
カナダの生徒は、授業でも全校集合でも、映画館で静かに映画を観る雰囲気より自宅でDVDを観る雰囲気に近いです。
いづれにしろ、午後前に学校に着いた頃には「日本人だけどちょっと苦労しながら英語でしゃべるんだ、午後は見たほうがいいよ」と廊下でいい感じに話題になっていましたし、良く受け入れられたと思います。
今後もよろしくお願いします。楽しみにしております。
桑山さんはじめ、みなさんの貴重なお話は
とても心に響き、同時に考えさせられました。
特に、「感情の混在」「自分の心を守るために」というところです。
拙ブログに書かせて戴きながら反芻しています。