どうして島根でステージをすると、いつも涙が出てくるんでしょうか。
今日は西部、初めての益田市でのステージ。協力隊OB&OGが構成している「太陽クラブ」が母体となり、新しい運営団体をつくってこの益田のステージが開かれました。
島根のみんな
今回は2番。久しぶりの2番ですが、その一つ一つに気持ちが入り、最後の故郷篇の語りのときには既に涙声、もう何百回も公演している2番がまた新しい雰囲気を伴って、益田の街に降り立ちました。そして今回は早めに益田市に入る事ができたので、2時間ほど街を回って市内の風景を撮りまくり、約1時間で編集してその日のうちに「故郷篇:益田版」を制作して臨みました。
なんと36歳の若き益田市長もおいでになり、最後の最後までいてくださいました。これで、最後までいてくださった市長さんは、神奈川県海老名市、千葉県市原市、そして島根県益田市で3つ目になりました。
思うに、島根県公演はその実行委員の皆さんの雰囲気が涙の原因だと思うのです。
「私たちはこの島根に生きているんだ」という気概がばしばし感じられること。そして妥協を許さない批評の目を持ち、それをストレートに伝えてくれる精神性がある事。例えば昨年の5番の上演のあとに、代表の山藤さんはさりげなく「5番は、桑山さんが実際に活動を行ったのではない“人”の話が出てくるけど、それでいいのかなあ」と伝えてくれました。この正直さと前向きさがとてもありがたいのです。
そしてもう一つは、この島根が僕の生まれた飛騨高山と同様、昔は「裏日本」と呼ばれた地域だからという事もあります。冬はいつも雪か曇り、大きな街からは距離があり、決して便利とは言えない地域に住んでいるという事。
それを乗り越え、「私たちはこの街に住んでいるんだ」という力強さが心に染み渡るのだと思います。
「東京も一つの地方に過ぎない。東京は日本の中心ではない、私たちが住んでいるこの地域が自分にとっての中心なのだ」
という思いが強く伝わってきます。
東京に住んでいる人は、そこが自分にとっての中心でいいと思います。「地球のステージ」を都内で毎年開催してくださっているコープ東京の石田さんたちも、「ここが私たちの住む街」という思いで暮らしていらっしゃる。決して「日本の中心」などと勘違いはされていないことが、よくわかります。
だから、島根に来ると感動するんでしょうね。どんな地域であっても、自分が根を下ろしているところが「中心」なのだと言うその心意気が、僕を元気にしてくれるのです。
既に、来年の3番の予定が入りました。こうして島根と「地球のステージ」の付き合いはコツコツと、続いていくのでありました。
桑山紀彦
桑山さん、お疲れ様でした。益田市で地球のステージがやれて本当に良かったです。今日、ある中学校の校長先生が、「感動しました!涙があふれました!来年のステージ3の実行委員になります!」とわざわざ電話がありました。ものすごく幸せな気持ちになってます。
地球のステージは温泉です。感動が湯ざめしないんです。ジンワリと温かさが続くんです。だから、毎年、地球のステージ、やることになるんですよね。
それにしても、ステージと移動で疲れているにも関わらずさっそくブログをアップしてるなんて…。
打ち上げで「涙もろくなったのは桑山さんがトシとったから」なんて言ってしまってゴメンなさい。正直に、前向きに反省して撤回します。
ついに!桑山さんが益田公演をしてくださいました!本当にうれしいです。益田出身の私としては、やっぱり地元の人に地球のステージを聞いてもらえ、この感動を一緒に味わえたことがすごくうれしいです。忙しい中、本当にありがとうございます!ブログもすぐにアップされて!ステージを見に来てくださったある学校の校長先生が学校のブログで桑山さんのステージのことを早速紹介されていました!それもうれしいです。日曜の公演の波が少しずつ、確実に益田で広がってきているのを感じます。今から来年も楽しみです。
言葉にできない感動をありがとうございました。