「僕は絵を色で塗らないよ」
モハマッドは、最初からそう言い放っていました。
今日も子どもたちに絵を描いてもらっています。
最初はバウムテスト。「一本の実のなる樹を描いてね」というシンプルなものです。みんな思い思いの樹を描いてくれますが、総じてエネルギーがあったりなかったり、細かったり、太かったりとばらばら。10歳前後の子どもたちにはいろんなばらつきがありますが、このパレスチナの子どもたちも、世界の子どもたちとそう言ったところは変わらず「いろんな子どもがいるなあ」という感じです。
しかしそれに続く、「今回のガザ戦争のことを絵にしてみよう」はがぜん違います。みんな一様に「小さな目撃者」として、詳細な戦争の絵を描いてきます。昨日のイスラームもそうですが、そんな絵を描く時の子どもたちは、はるかに日本の子どもたちよりも大人びて見えます。本当はもっと子どもでいてもいいのに、戦争によって子どもたちはいやおうなく大人になってしまうのでしょう。
そんな中にモハマッド、14歳がいました。
モハマッド、14歳
彼は空爆のひどかったユブナ地域に住んでいます。最初から活発にいろんなことに興味を持っていました。そして、この2番目の描画になって、色鉛筆のクーピーを配り始めました。すると今日の子どもたちを監督する先生の一人、ヤシーンがおもむろに言いました。
「ずいぶんきれいな色鉛筆だなあ。それは日本の色なのか?」
「う、うん。確かに日本で買って持ってきたものだよ」
「日本には美しい色が満ちているんだなあ」
そんなヤシーンの言葉を聞いていたモハマッドが突然、
「僕は絵を色で塗らないよ」
と言ってきました。
「なんで?」
「色は、自由のシンボルだ。日本にはこんなにたくさんの素敵な色がある。でも僕のパレスチナには自由がない。だから僕は絵に色を塗らないんだ」
「・・・分かった、君の思うようにしていいよ」
そしてモハマッドは、宣言した通り鉛筆だけで絵を仕上げました。他の子どもたちが、ここぞとばかりいろんな色で絵を飾るのを見ながら、唇噛みながらぐっとこらえて鉛筆だけの絵を描いたのです。
モハマッドの絵
「これはイスラエル軍の爆撃機だ。どんどん民間の家に爆弾を落としている。ヘリコプターはビラをまいて、僕たちを不安にしているよ。
地上では戦車が攻めてきて、容赦なく人を殺している。ハマスがロケット弾を打ち返しているけど、人も殺され、建物もみんな壊されているんだ。」
「・・・この時はどんな気持だった?」
「悔しかった。怒りに震えた。」
「これを描いている時はどんな気持だった?」
「もう絶対にイスラエル軍にやられることはない、今度こそ絶対に打ち負かすんだって気持で描いたよ。」
「もう一回聞くけど、なんで色を塗らないの?」
「僕たちには自由がない。どこへも行けない、このガザ地区に閉じこめられている。そんな僕たちのガザのどこに“色”があるの?
だから本当の自由を手に入れた時に、僕は色を塗るんだ。」
モハマッド、14歳。
君の言うことに僕は何も言い返せないよ。
「やられたやり返すんじゃ、まずくないか?」
「怒りに燃えるだけの人になってほしくない」
と、本当は伝えたいんだ。でも、唇噛みながら「僕は色を塗らない」という君のことを僕は忘れないし、どうしたら君が普通の14歳のように、自分の街に鮮やかな色を塗れる日が来るのか、みんなで考えないといけないとは、強く思ったよ。
明日は最終日です。
桑山紀彦
閉じ込められている。
自由が無い。
これも子供たちの感じている事なのですか・・・。
そして・・・やられたらやりかえす。
繰り返さない事を願いますね。
とげとげしくて戦争で傷付いたココロをなんとかとり戻してもらいたいものですね。
嫌だった事はなかなか忘れない。忘れられない。
でも小さないい事が沢山あれば、少しでも癒されていくのではないでしょうか・・・。
みんなで考えましょう。
考えてみることも大切だと思います。
自分の町に色はない・・・
涙が止まりません。言葉もありません。
人と人との争いがこれほどまで恐ろしいことだと
改めて実感しました。
街を破壊しただけではなく、人々の心を
これほどまで破壊してしまうなんて・・・
怒りで凍りついた14歳の彼の心が少しずつでも
癒されて欲しい。
今はそう願うことで精一杯の気持ちです。
昨日、近くの図書館で開催されている「ガザの悲劇」展にいってきました。立命館大学国際平和ミュージアムが製作したものでしたが、ガザ地区がどんな状況か鮮明に解説入りの写真展でした。桑山さんは今、この地を訪れているんだ。と胸が熱くなりました。子どもたちに絵を描かせれば心情もわかりますよね。しかし、桑山さんの大変な苦労もよくわかります。
ガザでの状況をお知らせくださって、ありがとうございます。
一日も早くガザが平常になりますように!!!