西岸、トバス

今日は土曜日、ユダヤ教の安息日なので、イスラエルという国が止まっています。バスも走らず軍隊も止まり、エレズもぴくりとも動きません。
 昨日、もう一つの占領されたパレスチナ自治州、ヨルダン川西岸のトバスという街に入りました。あの2001年、虐殺のあったジェニンまで25分という北部の街です。いくつかの軽い検問所のあとに、アル・ハムラのチェック・ポイントを超えると、そこはまさにパレスチナ人の街。がらりと風景が変わり、道はデコボコ、人々の苦労した生活ぶりが伝わってきます。なぜ同じ「約束の地なのに」こうも分断され、引き離されているのか。ガザ地区と似た哀しさが、この西岸にもあります。
アルハムラ
アル・ハムラ検問所
 夜に農家のアリさんの家に招待されました。オリーブ農家として自立し品質の向上や新しい市場開拓をNICCOと共に取り組んでいるお父さんです。一見ぶっきらぼうだけど、語り出すと気持の熱さが伝わってくる、まさにパレスチナの男です。どこかダルウィーッシュの武骨さと心の熱さに似ていています。
 そしてそこにナジャーおばあちゃんがいました。最初からにこにこしていたナジャーおばあちゃんは65歳。アリさんの家族です。その表情には深いものが刻まれており、「ワシはこの地に生きているんじゃ」という心意気が伝わってきます。
ナジャーおばあちゃん
ナジャーおばあちゃん
 とても仲良くなれたナジャーおばあちゃんが語りました。
「ワシももう長くガザに行っていないなあ。ガザにはたくさんの友だちがいるんじゃ。どうしてこんなふうに分断されてしまったのか。ワシはガザのみんなが大好きだ。だって同じパレスチナ人だもんな。これまでは間にイスラエルがあって、どうしても行き来できんかったから哀しかったが、いまじゃハマスとファタハがいがみ合って、イスラエル人がいなくてもワシらは共に会えなくなってしまったんじゃ。なんでハマスだのファタハだのがいるんじゃろうか。ワシらは一つのパレスチナ人じゃ。なんで会えんかなあ。なんで行けんかなあ。
 だからお前さん(僕のこと)、ワシの代わりにラファに行ってくれ。そしてトバスのみんなもいつかラファのみんなに会いに行くからと伝えてくれ。頼んだぞ・・・。」
 ナジャーおばあちゃんが元気なうちに、このガザ地区とヨルダン川西岸の分断が終わり、互いに自由に行き来できる世界が来ることを願います。そしてそれを可能にするのは、やっぱり一人一人の強い意志だと思いました。あきらめないこと、それしかない。信じ続けること、愚直かもしれないけど、それしかない、とまた改めて思いました。
桑山紀彦

西岸、トバス」への1件のフィードバック

  1. お疲れ様です。
    大変な状況ですね。でも頑張ってください。
    苦しんでいる子供たちのために・・・
    無事ガザに入れること、心から祈っています。

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