子どもたちとの懇談の時、
「みんなの村は農業が中心で作物も採れ、ほとんど自給自足。素晴らしい環境だと思うけど、そんな中にも”村の問題”ってあるよね。」
と問いかけた時、たくさんの子どもたちが、
「水くみが大変!」
「時間とられて勉強できない。」
「でも困っている親の姿見ていると、自分がやるしかない。」
これはミャッセ・ミャー村の一大事と思い、水道について調べてみました。
まず日本にあるような配管による水道供給システムはありません。各家庭に水道管が来ているということはミャンマーに田舎の村においてはまずあり得ないことなので、そこはご理解下さい。各家庭は村に大抵はあるはずの「井戸」か「水道小屋」に水を汲みに行って、自分の家に設置してあるタンクにそれをためます。家によってはそのタンクから台所に短い水道を引くところもあれば、そのタンクから毎回水を汲みにいって使っているところもあります。そこは各家庭の裁量ですね。
ミャッセ・ミャーには東に大きな井戸がありますが、塩分が高く飲料にはむかない状況です。そこで2年前国が半分、村が半分の経費を出して5キロ離れた湖から水を引いてくる水道システムを完備しました。それは動力を水車に頼り、水路の水が回した水車の力をベルトに伝えポンプを回して2インチのPCP(ポリ塩化プラスチック)配管に水を送り、実に5キロの道のりを推定20メートルの高度差を越えて押し上げるタイプのものでした。
正直この小さなポンプで5キロの長さを直径5センチ近い水道管の中に水を通して、高度差20メートルを上げるということが可能なのか、多いに疑問でした。でも村長もみんな、
「水がジャバジャバ出ていた!」
と言うではないですか。しかも1年半にわたって…。
水をくみ上げるには、石油のポリ缶から「しゅぽしゅぽ」を使って押し上げ、あとは高い面の水と低い面の水が「つながった」時に、わずかな力で押し上げられる原理~浸透圧を利用するものです。でも、村長が言うように、
「ジャバジャバ出ていた」
というのは、終点である村の水道小屋に来ている水道管の先が「オープン」な状態。つまり水面の中に入っていない状態を指しています。それでは、浸透圧がかからず水は上がってこないはず。その時の設計施工をした村のミャウさんにも来てもらいましたが、この「浸透圧で水を引っ張り上げる」ということは意識しないでこのシステムを作り上げたようでした。
う~ン、不思議だ…。なぜ水は上がってこられるのだろう…。
とにかく、5キロの道のりの途中、3カ所にわたって配管が破れていることを確認したので、そこを直す費用だけは支援することとし、次に農地散水用のポンプを持っている村人から実機を借りて仮設置し、それで見事水が「ジャバジャバ」と出たら、そのポンプの購入費を「地球のステージ」が負担することを約束して、作業に取りかかっていただきました。
1,2週間後には「水が出ている写真」をイェイェさん経由で送ってもらい、それが確認できたらおおよそ10万円ほどのポンプを寄付したいと考えています。もちろんその費用はどこから来るものでもなく、「地球のステージ」公演の開催費用からまかなうことになりますが。
果たして水は出るのでしょうか。ミャッセ・ミャーの自己修復の力に期待しましょう!
それにしても採水地はまさに樹木の根の下から、あふれるように冷たい清流が流れ出て、その先には碧色の沼がありました。日本だったら「丸池様」かなんかの名前がついて、観光名所になっていること必至ですが、ここではただの「沼」です。さっそく明ちゃんと話し合ってつけた名前が、
「龍神沼」
勝手につけるな、という感じですがパオ族の祖先のお母さんは「龍」です。
ぴったりじゃないですか…。森の中にたたずむ紺碧の沼と緑の森。さっそくこの龍神沼を舞台にした短編映画のシナリオが既に頭の中に…。主人公は14歳になったイェイェさんの妹、スーしかいないな…。
とにかく、ミャッセ・ミャーは無限の可能性を秘めた素晴らしい村だと思います。
桑山紀彦
一番小さな社会集団、家族の営みの原点をしみじみ感じます。
やはり日本の社会のあたりまえは特異なのでしょうか?