今回映画上映会でお世話になったのは、Fekraというガザの芸術家集団でした。
Fekraは2001年にラスミ・ダモ氏によって設立されましたが、主にアニメーションによる物語作りと、舞台劇の2本立てで心理社会的ケアを実践している団体です。実際に会うラスミさんはとってもキュートなミドルエイジ。何かにつけ「賛成」という意思表示をウインクで出してくる、いかにも芸術で生きてきているという人物です。すぐに意気投合しました。
彼は、僕がノルウェーのオスロ大学で心理社会的ケアを学んだ頃、ヨーロッパに住み心理社会的ケアを学んでいました。あの1990年代中版はヨーロッパ中が心理社会的ケアのブームに熱くなっていたのです。彼は隣のスウェーデンにいたようです。
ラスミさんが言いました。
「君のコンセプトには恐れ入ったよ。この厳しいガザの現実をフィクションで描いてくる。でも考えてみれば主人公のファラッハの物語は現実であり、ドキュメンタリーだ。こういったフィクションとドキュメンタリーを混ぜてくる手法、僕は大好きなんだよ!(ここでウインク1回)
でもね、いくつか残念なところがあったな。まずは、ギターだ。
このアラブではああいったギターの挿入曲はウケないよ。アラブ、特にパレスチナ人の心にぐっとくるのはリュートだ。知ってる?ギターの祖先だ。これが効くんだよ~(ここでウインク2回目)。
そして一番思ったのは、最後の老人だ。
それまでの大人たちは「大切なもの」として「祈り」「大地」「努力」「勇気」と答えてきた。そして登場する謎の老人、いいね~、この演出(ここでウインク3回目)!でもね、彼が答えた「心」はどうかなあ。ちょっとインパクトが少ないなあ。やっぱりここで伝えてほしいのは「人間」だった、僕的には。
やはり多くの困難を経験しているパレスチナ人は常に、「人間とは何か」という大きなテーマをもっている。空爆をする人間、苦しむ人間、祈る人間、努力する人間。全ての出来事はこの”人間”という存在の不可思議さに帰結していくのではないだろうか。その意味では老齢なるあのおじいさんが出てきたときに、僕は「人間、この不可思議なもの」という問いかけをしてほしかったよ。
君は医師だ。映画監督ではない。もちろん芸術家でもないだろう。しかしそんな医師としての君がこの芸術の分野でこの映画を創ったことを誇りに思う。だから、もちろん埋めたい穴もあったんだ。僕はこうして常に苦言を呈するから嫌われてしまうけれど、この意見を参考にしてほしい(ここではウインクはなく、目の奥が深くなりました)。」
なんと素晴らしい出逢いだろう、と思います。
この映画を「良かった」と言ってもらうことで、ずいぶん自信がつきました。でも大切なことは「こうしてみてはどうか」「こうするといいと思う」という意見も同時にもらいたいと言うこと。それが、今の自分にはとてもありがたかったです。それは苦言ではなく助言だからです。
これで大きな作品は2作創ってきましたがまだまだ技術的にも不備はたくさんあると思っています。だからラスミさんにこうしてプロとしての助言をもらえたことがとても嬉しかったです。
「こいつには言ってもだめだ」
と思われていたら人は僕に何にも言ってくれなくて、自分はいつのまにか愚かな裸の大様になってしまいますから。
そんなラスミさんのFekraのパンフレットの言葉が最高でした。
「I have a story, do you?(私には物語がある。あなたには?)」
幾多の困難をくぐり抜けてきたパレスチナ人。彼らは自分たちの生き抜いてきた物語をしっかりと語り合うという土壌をもっています。だから人には人生を生き抜いてきた物語があるのだという。そしてそれはあなたにもあるよね?と問いかけている。
これこそ心理社会的ケアの真髄です。ここに世界のスタンダード(標準)があります。
今熊本できっといろんな「こころのケアの専門家」という人が入り、
「そっとしておきましょう」「余り刺激しないように」「辛いことはなるべく聞かないように」という間違った「指導」を行っている可能性があります。
しかし、世界の指標はここにある。
「I have a story, do you?(私には物語がある。あなたには?)」
これからも被災や戦禍によって辛く哀しい経験をした多くの人々が、自分の物語を語ることで復活を遂げていく、そんな支援をしていきたいと思います。
先ほども朝日新聞社の長い電話取材を受けました。きっと来週には「生活面」で記事になることでしょう。そこには、閖上中学校の丹野さんや、大川小学校の佐藤先生や哲也君が、津波からの5年間で”ほんとは哀しいけれど”向き合ってきたその姿が、今回の熊本地震で被災された皆さんに伝わっているのだと思うのです。
「今こそ、向き合いましょう。しっかり語っていきましょう」
そんなメッセージを自ずと伝えているのでしょう。それはとても大切なことです。
そしてどうやらマスコミの中では「津波の被災直後からずっと心のケアに関わったある心療内科医が、”向き合いましょう”と言っている」と言うことに価値を見いだしてくださっているように感じます。だからインタビューも多いのではないか、と。
向き合うことを懸念する、物語ることに苦言を呈する一部の臨床心理士や精神科医が今回の熊本地震では口をつぐんでいるように感じられているのは、幸いに思います。
今こそ、このガザに拠点を置くFekraが訴える、
「I have a story, do you?(私には物語がある。あなたには?)」
を日本にも広げていきたいと思います。
人はみんな自分の人生においては主人公ですから。被災したことや、大切な家族を失ったこともみんな含めて自分の人生の一部であり、大切な物語なのですから。
桑山紀彦
私には物語がある。あなたには?
「語る」ということの大切さが
よくわかりました。
このブログをみていると学ぶことがたくさんあります。
毎日更新楽しみにしてます!
高度成長の波にもまれゆとりを忘れ、70年の長い無難の社会に使ってきた人間にとって、「地球のステージ」は目を覚まされるものです。
Ⅰ have a story,do you? なんと鮮烈な言葉でしょう!考えさせられます。