4月3日のステージ

今日は今年度初めてのステージでした。
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 京都のみやこメッセという大きな会場でロータリーアクトのみなさまが呼んで下さいました。仕掛け人は10年来のお付き合い、滋賀の伊藤さんです。
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 3月18日に年度最後のステージがあってからずっと引っ越し、開院、開所とつづき怒濤の日々でしたから、この2週間全く歌わなかったのです。ステージもないのでここまで集中して引っ越し、開業と持って行けたのだとは思いますが、この4月3日という時期にステージが入るのは珍しく、それだけでも伊藤さんに感謝なのですが、今日のステージはいろんな意味で涙が止まらないものでした。

 開業して患者様はゼロに戻り、まさに無収入の身です。この年齢になって無収入というのもすごいですが、表面的には「なんとかなる」と強がっていても、やはり心の中では不安だらけでした。患者様がネットで診察を申し込んでくれると、気持ちがほっとしてゆとりが出のですが、3,4日全くネットに無反応であると不安がもりもり出てきて「自分はどうなるんだろう」と思えてくる。子どもたちは大学や予備校に行っていて、家のローンもある。お金はどんどん出ていくのに、全く収入がない。しかもこの4月の診療報酬の7割分は6月末でないと入ってきません。その診療報酬が多ければ6月まで持たせればいいのですが、「落下傘開業」ですから患者さんは一から始めなければなりません。一体4月にどれほどの診療報酬を数えることができるのでしょう。全く不透明です。

 確かなもので心を支えていくのが人間だとしたら、確かなもの(定期収入)を失った自分は心の支えを失いつつあるような、そんな気持ちもありました。でもみんなが精一杯応援してくれるので弱音は吐けません。そんな中で今日、この4月3日にステージがあったのはとても幸運でした。

 それは、歌い始めて1曲「祈り」の後半でもりもりこみ上げてきたのです。

「そうだ、僕はやっぱりステージをやりたかったんだ!」

 という思い。ずっと20年、こうして歌ってきたし、これからもずっと歌い続けたいと思うし、目を輝かせてついてきてくれる目の前にいる子どもたちに伝えたくて、世界の素敵なみんなのことが知ってほしくて、ずっとこうやって公演を続けてきました。これを続けたいために医師としては半端になってしまったけれど、それでもいいのだと思ってこの「地球のステージ」にかけてきました。

 ここ2週間くらいは引っ越しと新しい開業に紛れて見えなくなっていたけれど、まさに自分はこの「地球のステージ」のためにあえて収入ゼロの道を選んだのだ、ということに改めて気づくことができました。

 そうすると今日の2番の登場人物である東ティモールのダン先生が、まさに画面から訴えてきたのです。まぼろしかと思いましたが、本当に声が聞こえてきたのです。

「何も不安になることはない。収入がゼロであっても自分の選んだ道を進むことが大切だろう。私を見てみろ。収入に縁はないけれど、それでも誇らしく自分の役割を話しているぞ!恐れるな、自分の役割を果たせ!」

 だから東ティモール篇の「燃える街の灯」も後半涙声です。聴いている皆さんには申し訳なかったのですがステージ中にこんな心の変化がありました。

 そして丹野さんと子どもたちが登場する映画「ふしぎな石」の「命のシーン」。それを語り始めた2年前はこのシーンになるたび泣いていましたが、さすがに2年間で数百回も語っていると、普通に聴いてしまっていた自分がいました。でも今日は全然違う。あの撮影の日のこと。丹野さんの想い、里咲さんや冬馬君、陽菜さん、一花さんと過ごした毎日。そして被災後のこの5年間が矢のように思い出されると同時に、いかにそれが愛おしく自分を支えてきてくれたか、丹野さんのシーンに涙が止まらず嗚咽になっていきます。

 そして「空へ」

 今日は大切な息子さんを6年前に亡くされたアトラス神戸の小山ご夫妻がいらっしゃって、奥様の由美子さんの気持ちとも重なり、涙が止まらない。でも思いました。

「ここで涙で歌えないのではいけない。しっかりと自分の役割を果たすために最後までちゃんと歌おう。」

 崩れず歌いましたが、小齋さんが案内ガイドとして出てくるシーンには思いが重なり、一瞬つまってしまいました。

 そして思いました。

 自分の役割はやはり「地球のステージ」を続けること。そして世界、被災地との関わりを大切に維持し続けることだと。医師としての自分はこれからも十分なことはできないかもしれない。だからクリニックはあくまで細々と。「地球のステージ」は大々的に。その姿勢で臨むと決めているのだから、クリニックでの収入ゼロでのスタートは「あたりまえ」。「地球のステージ」の発展のためにこれからも全力を尽くそうという想いに立ち戻ることができました。

 開業を祝って頂いたみなさま、本当にありがとうございます。でもやっぱり自分は「地球のステージ」を真剣にやりたくて、新しいクリニックを立ち上げました。以前のクリニックの医師は私のそういう思考を理解できない人だったので、離れるほかなかったのです。今は、それにとらわれず、自分の信じた道を進むことを改めて自覚することのできた4月3日のステージでした。

 京都は満開のさくら。

 収入ゼロからのスタートにふさわしい、そんな1日になりました。
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 でも大丈夫。自分に「地球のステージ」がある限り、収入がゼロでもきっとやっていけると信じようと思います。

 これからも「地球のステージ」をよろしくお願いいたします!

 そんな思いを感じていたら名取のみんなのもとへ帰りたくなりました。明日(月曜日)診察終わったら軽自動車で400キロ。名取に帰ろうと思っています。

桑山紀彦

4月3日のステージ」への3件のフィードバック

  1. はい。信じてください!
    ものすごく不安で恐くなるけれど、2016年春、新しいステージへのスタートです。
    自分の道を進んでおられることが、わかります☆彡
    大丈夫です(*^_^*)

  2. 余計なことを言ったかも知れませんが、吹っ切れたようでほっとしました。
    後戻りしたとは思わないで下さい。これは間違いなく前進です。
    絶対に成功する筈です。

  3. 先月29日海老名事務所搬入時の大型車に積まれていた荷物を見た時、よくもまあーこんな多くの荷物を。もう唖然、大変さが分かりました。開院、開所と桑山さんやステージスタッフの皆さんお疲れさまでした。
    京都の満開の桜、良いですねー、良く似合いますねー。『京都ガン患者家族の会ふらっと』と言う団体交流会参加の為、私達は先月23日から25日まで京都に行っていましたが、23日が京都地方気象台が開花宣言を出した日なので、ほんの少しだけの桜しか見る事ができませんでした。残念。桑山さんラッキーですねー!京都での満開の桜をバックにしたブログの写真、桑山さんの入学式みたいです。
    『京都ガン患者家族の会ふらっと』と言う団体は妻の父が肺がんの為、3年8ヶ月の闘病生活のすえ2年前に他界しましたが、それから交流するようになった団体です。父の介護疲れと亡くなってからの悲しさと寂しさで私達二人は、精神的に立ち直れない時に『地球のステージ』で訪れることになった名取市閖上地区。閖上の皆さんは私達より大変な思いをしているのに、気持よく迎え入れてくれました。本来なら私達が皆さんを元気づけなければならないのに、逆に元気を貰て帰ることが出来たので、何回も足がむいてしまったのです。
    そして私達を元気づけてくれる全国のステージファンともお友達になることができました。それはやはり『地球のステージ』のお陰なのです。桑山さん、ステージスタッフの皆さん、本当にありがとうございます。
    せっかく新幹線で京都まで来たのだから何処か観光名所と思い、坂本龍馬ゆかりの地、伏見地区にある寺田屋に行きましたら、寺田屋の階段を写真にした大きなポスターを見つけました。そのポスターに縦一行「彼は、ひたすら未来に走り続けた」と書いてあるのを見て、私達は「桑山さんは、ひたすら未来に走りつづけている」と感じました。
    お身体は大切にしてください。皆の願いです。

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