三重県伊勢市。
これまで志摩市でのステージが多かった「地球のステージ」はついにこの伊勢市にたどり着きました。
伊勢市国際交流協会の皆さんが数年越しで呼んでくださったこのステージ。稲生さんというスタッフの方が熱く熱く説得を重ねて今日の実現となりました。
まさに老若男女、実にたくさんの人が集まってくださり、国際交流系のイベントとしては大成功だったと思います。
この伊勢市でステージが開けたら、どうしても果たしたい願いがあったのです。個人的なことで大変申し訳ないのですが…。
今から三十数年前の3月14日、それは僕の中学校3年生の卒業式でした。その日はみんなでこの晴れの日に中島みゆきの「時代」を歌おうと提案して、なんとかその実現にこぎ着けました。そして今から思えば何とも自意識過剰な恥ずかしさがありますが、「オレ、ギターを弾く」という提案も押し通したのでした。
何ともおぼつかないコード進行で、それでもこの「時代」をみんなで歌ったあと、僕は大好きだった余川文子さんから、衝撃的なことを聞かされたのです。
「私ね、父の転勤で三重の伊勢にある伊勢高校に転校することになったの。」
「・・・」
てっきり一緒に斐太高校にいくと思っていたのに、なんでこの日まで黙ったいたんだろうと思いましたが、別にお付き合いしているわけでもないし仲のいい唯一の女子だっただけで、余川さんにしてみれば僕に前もって伝える気持ちなどなかったのだと思います。でも、とってもショックでした。
そして帰り道、何を思ったのかさっき弾いたギターを歩道のガードレールにぶつけて壊し、叫び(何で?)、家に帰って親父の部屋の棚にあった酒をあおりました。今だから言いますが、それであえなく補導の事態となりました。刑事さんの羽交い締めが、ものすごく強力で身動き取れなかったことを身体が覚えています。そして人生初めて飲んだお酒だったので、実はあとのことは良く覚えていないのですが、夕方解放され家に戻ったところ、同じクラスのみんなは集まってボーリングにいっていると聞きました。
未熟で幼い自分は、そんな自分の気持ちとは裏腹に、みんなはみんなで楽しんでいることがとても腹立たしく、自転車でその山の上にあるボーリング場に行って、余川さんを呼び出してもらいました。お願いしたのは大向さんでした。大向さんが、
「桑山くん、何でそんな赤い顔してるの?」
と聞いてきたことを良く覚えています。
そして出てきた余川さん。ぼくがしでかしたことを全部知っていたんでしょうね、醒めた目で、
「桑山くん、あなたは甘いのよ!」
と一言残して去って行きました。
全然意味がわかりませんでした。
「甘い?・・・。砂糖じゃないし。」
本当にその「人格が甘い」の意味がわからなかったのです。でも同じ歳の余川さんはそれを見抜き、まっすぐに指摘してきたのです。
あとは、彼女が転校するまで全く会ってもらえませんでした。
哀しみを抱えて、僕は3月末、彼女が転校すると言い残した「伊勢高校」に一人で電車を乗り継いで出かけていきました。中学校3年生が「国鉄(当時はJRではありませんでした)」を4時間乗って名古屋駅に行き、そこから名鉄、近鉄と乗り継いでやっとの思いで伊勢市駅につき、そこからバスに乗って皇學館大学横の伊勢高校にたどり着いた時には夕方だったように思います。春休み中で人気のいない伊勢高校の門は閉まっていて中にも入れず、ただそこを外から見て夜に高山までとぼとぼ帰っていきました。
この情けなくも恥ずかしい中学校の卒業式の出来事は、その後ただの一度も余川さんと会うことも言葉を交わすこともなく長い時間の中で深い「後悔」として刻まれてきました。
だからいつか余川さんに会ったら、あの時
「あなたは甘いのよ。」
と言ってくれたことへの感謝を伝えたいと思ってきました。甘ったれた性格、人の迷惑を顧みず、自分のことばかり考えていた未熟な自分を痛切に指摘してくれたことを、ずっと感謝してきましたが、未だその「ありがとう」は伝えられていないままです。
今日、「地球のステージ」で初めて伊勢市に行くことが出来たのですが、既に38年が経っている今、余川さんの消息を知る人などいるわけもありませんでしたが、伊勢の皆さんは笑いととにこの未熟な独りよがりの事件を受け止めてくださり、笑いと共に、
「調べておきますよ。」
と言ってくださいました。また来年伊勢に戻っていきたいです。
自分勝手な願いではありますが、やはりこの「ありがとう」は自分の人生にとって、どうしても果たしておくべき言葉だと思うのです。
余川文子さんのお父さんは高山の拘置所の所長でした。転勤で次は伊勢の拘置所の所長さんになられたのだと思いますが通常は3年での全国転勤なので、余川さんも伊勢高校の3年のあとは別の地に移られているのではないか、と思ってきました。
「余川文子」「よかわふみこ」とFacebookに入れてもヒットしません。
今更、彼女は僕になんて会いたくはないと思うのですが、それでも、
「厳しいけれど、本当のことをちゃんと伝えてくれてありがとう。”甘ったれた性格”でない自分になりたいと強く願う、最大のきっかけになりました。今でもまだまだ”甘い自分”だけど、少なくとも”甘ったれた人間”という意味はちゃんとわかるようになりました。」
と伝えたい。
伊勢は、そんなほろ苦い想いと共に、僕を38年ぶりに迎え入れてくれたのでした。
余川さんに逢える日が来ることを願って…。
桑山紀彦
お疲れさまです。余川さん、珍しいお名前だから、たどり着きそうですよね❗
伊勢のステージが続くといいなぁ。
人と人との「めぐり逢ひ」というものは、摩訶不思議なものです。私が今「姉弟」付き合いをしている元NHKディレクターの池田さんとの「めぐり逢ひ」も劇的なものであったことは、奇しくも仲立ち役を務めてくれたあなたが一番よくご存じのはずです。あなたが北海道にいる我が一族を突き止めたバイタリティーを今一度発揮されるなら必ずや再会は叶うことでありましょう。そして、あなたは余川さんを探し出して、逢うべきです。
淡い思春期の思いもあった時代の事を褪せることなくここまで赤裸々に語れ、
しかも貴重な教えと受け止められたのは、それだけ桑山さん大きくなった証です。
素晴らしい人間性だと思いますよ。
大切な素敵な(ごめんなさい…そう思います!!)思い出をこんな風に表して伝えていただいて、なんだかとても嬉しいです*
それは、この先、余川文子さんと再会されたときの、わくわくo(^-^)oが私の中にあるからでしょう!!