僕が茨城県を好きなのは、教育に関係する大人の皆さんがとても熱い心を持って日々の活動に取り組んでいるからです。特にお母さんたちだけでなく、お父さんたちの頑張ろうとする姿を良く目にすることも好印象。ジェンダー・バランスがとれている県だと思います。
そんな茨城の今日は土浦第一中学校での公演でした。
人口約14万人の土浦の真ん中、亀城(きじょう)に接し、土浦の看板たる第一中学校は、待ち時間に物音一つ立てず、静かに次の段取りを待つことのできる優しい中学生の集まりでした。体育座りでおしりも痛く寒い中での公演でしたが、空気はきわめて澄んでおり「聴いている」という空気の透明さが伝わってくる立派な中学校でした。
担当された先生が、
「むかし、荒れていた時代は本当に大変でした。でもようやくここまで来られました。」
と、感慨深げです。まさに中学生は生きている。いろんな時代を経ながら町の「呼吸」の代名詞として中学校は存在しているのでしょう。
今日も飯野さん、さつきさん、川野辺さんがしっかりと支援に入って下さって、やっぱり茨城はいいなあ、と思いながら「上野東京ライン」に変わった特急に乗って帰路につきました。
そして夜のニュース。
「閖上小学校にあった流されたランドセルや写真、引き取り手がいないのでついに破棄」
その理由として、
「もう見たくない、関わりたくないという気持ちが強いんでしょうね。誰も見に来なくなりましたので、破棄します。」
なるほどそれはそうだし、ランドセルについては新しいものをみんな買ってもらっているので、わざわざ津波に使ったランドセルを引き取りに来ない親御さんの気持ちもわかるところです。
写真についても、「もういいや」という気持ちになっているといわれれば、そうかもしれません。
だから、そんな引き取り手のないものは「遺構」として、行政が立ち上がり「残す」~「遺す」ことがその責務なのではないでしょうか。おびただしい砂まみれのランドセルは確実に津波の恐ろしさを伝えるものとして後世に残すべきです。
個人が引き取りに来ないから「捨てる」のではなく、個人に帰属するものではなくなったのだからみんなでそれを展示して津波の恐ろしさや日常の生活や命の大切さを伝えるために「活用する」ことが、今求められているのではないでしょうか。
この地域の行政は全くその点において機能していません。
過去と決別し、あの時のことは”昔のこと”とラベルを貼り、土を盛って新しい町をつくることだけに気持ちを向けることがいかに視野狭窄か、全然気づいていません。
そして被災者の7割近くの人々は「思い出すのがイヤ」といって、自らの過酷な体験を「なかったこと」~忘却の彼方に消し去ろうとしています。でも結局消し去ることなどできなくて、苦しみだしています。
どうしてこの国の人々はこんなに向き合えないのだろう。
暗たんたる思いでこのランドセル破棄のニュースを見ていました。
私たちの運営する「閖上の記憶」に来てみれば、「遺すことの大切さ」が伝わるはずだし、それが決して苦しいだけのものではないとすぐに気づくことができるのに…。
丹野さんは今回長崎に講演に行き、雲仙普賢岳の火砕流で土砂に埋まった家屋が屋根付きでそのままそっくり遺されていることにがく然としてきたのです。
我が下増田の鈴木英二さんの半壊自宅は、そのままで放置されています。個人の想いで残した大切な津波の遺構を、行政はただ放置しているだけです。
もう我慢の限界。
こんなことが許されていいのでしょうか。
きちんと津波復興祈念資料館、それが「伝承の館」という名前でも何でもいいですが、それを作るというならばこの砂にまみれたランドセルを展示用に使うべきでしょう。
いつになったらきちんと向き合うことができるようになるのか、この町の将来を案じながら暗たんたる思いでニュースを見ていました。
桑山紀彦
大きなことは言えませんが、昨日の大臣辞任追及に対する首相は何が起きようと押し通す先を急ぐばかりの饒舌な詭弁に近い答弁で国家を論じる場の格式を疑いたくなるものでした。
お役所には決まられたことを実行する、明治以来の「お上(おかみ)」根性が根強く残っていて、大儀のためには形に見えない気持ちを慮る心が無視されることが多く、多数決でなんでも決待ってしまう風土に不安を感じます。
一個人を大切にすることが本当の民主主義の原点だと思いますが・・・。
本当にそうです!!
そんな社会にいいようにされ、その中にいることが耐えがたいです。
最近、身近なところでの教育事情にも納得できず、いろいろ考えていました…