20年前の1996年1月15日、山形市にある「サンセット・スタジオ」の小さなホールを借りて試作品としての「地球のステージ」第1回公演を行いました。
サンセットの社長は早坂実さんといい、旧知の友だちでこのホールを無償で貸してくれました。音響もサンセットの遠藤さんという方がやってくれて、それから2~3年くらいは遠藤さんが山形県内の現場で音を出してくれていました。
集まってくれたのは山形市内のマスコミ関係者の皆さん。
当時山形放送でラジオ番組に出演していた僕はマスコミの皆さんとつながりがあり、この日集まっていただきました。その中にいたのが当時のNHK山形放送局のアナウンサー荷方賢二さんでした。ステージは「アメージング・グレイス」で始まり、カンボジア篇で「メモリー」、ソマリア篇で「春夏秋冬」、故郷篇で「赤とんぼ」を歌いました。そう、全てが人の曲でした。今のように全曲オリジナルにはほど遠い、「試みの時代」だったのです。
終わったあと荷方さんが声をかけてくれて、
「これいいですよ。絶対にウケると思う。是非続けて下さい!」
嬉しかったですね。それから5ヶ月後荷方さんはNHK帯広放送局内で自死されますが、今でも「続けて下さい」は、遺言のように思っています。
それから20年。あの頃の曲で歌い続けている曲は「アメージング・グレイス」のみになりましたが、これからも「アメグレ」は人の曲だけど歌い続けていきたいと思っています。
たった3篇だった初演から20年、純粋に数えるとステージのシリーズでも1番から6番までの6部作。変遷を重ねて実に50篇を超える作品を創ってきました。もちろん中には3回しか公演していない「ヨコハマ篇」や既にお蔵入りになっている「湾岸戦争篇」「ヴェトナム篇」などもあります。
いつか復刻版として公演してみたいと思っています。
さて、今日は2年目の福島県郡山市の郡山ザベリオ学園、小学校、中学校での公演でした。
ステージの2番ですが、ザベリオ学園は小学校1,2年生でもびし~っと聴いてくれるので、通常の語りのままで2番を公演しました(通常は小学校低学年用に語りや内容を変更することが多いです)。
本当に20周年のその日のステージをいい形で彩ってくれたなあ、と子どもたち、先生方、保護者の皆さんに感謝です。
例年にない雪不足、暖冬の冬ではありますが、まぶしい午後の光を感じながら明ちゃん、優子ちゃんとステージを終えて名取に戻っていくと、何とも言えない満ち足りた気持ちになりました。ようやく20年となりました。
でも今日は「始まりの日」。次の10年の始まり。今年は本当にいろんなことがあると思うけれど、いつも思うように「人とのつながりが一番大切」と言うことを肝に銘じながら日々歩いて行きたいと思います。
皆様、これからも変わらないご支援をよろしくお願いいたします。
すると夕方、八王子の赤木さん(弾丸さん)と富山県砺波市の柳瀬恵子さんから花束が~。そんな大きなことではないと思っているので、お気遣いなく~でもありがとう~!
桑山紀彦
地道だけれどもしっかりと地に足の着いた幸先良い20年目の再スタートが切れたような感じがします。
20周年おめでとうございます。20年前からだったんですね~また、これからの活動が楽しみです☆彡
ブログ、公演で知ったことを、たくさん話していきたいです(*^_^*)
成人式おめでとうございます、ミャンマー、わたしも、シッテイル方が何人かいるので、地球のステージが、関わって行くのかと思うとうれしいです。
郡山ザベリオ学園での20周年のステージお疲れ様でした。
郡山ザベリオ学園では小学校の1、2年でもビシッとしているとのことで調べてみました。
「教育概念」、「教育精神」読めば読むほど、今回の20周年のステージに相応しかった学校。
このように素晴らしい学校で、記念となる20周年のステージを開催できたことを喜ばしく思いました。
20年おめでとうございます。ただただ、君やスタッフの皆さんの
大切なものを続けていく力に感動しています。次の20年も
微力ですが応援していきます!