仏教寺院の存在

 今日はヤンゴンに戻り、孤児院を訪ねました。先日「首都ヤンゴン」と書きましたが、実は現在首都はネピドーという町に移り、ヤンゴンは最大都市ですが、首都ではありません。失礼しました。
 さて、このミャンマーという国はとてもお坊さんの力が強い。市内を走るクルマで黄色いナンバーは「お坊さんが乗っているクルマ」として、非常に優遇されています。市場に行けば子どものお坊さんや尼さんが大きな袋を持って市場を回ります。するとごく自然に人々はそこに余り物の野菜を入れていきます。「寄進」という、とても貴い行為ですが、お坊さんが信頼を集めている姿に良くふれることができます。
1:12-1.jpg
 あるお寺では全国の孤児となった子どもたちのための寄宿舎と学校を作り、子どもたちに日々勉強を教えています。みんな親を失ったり、生き別れになったり、親の養育能力が低くて行き場所を失ったりした子どもたちですが、お寺は自らの立場としてその子どもたちを引き取り、公立の学校と同じレベルの教育を提供しているのです。恐るべしミャンマーの仏教寺院。
1:12-2.jpg
 今日訪れたMyin Thar Myo Oo Monastic Education School and Child Development Centreは、直訳すると「ミン・ター・ミョー・オー仏教教育学校および児童生徒開発センター」となりますが、訪れてびっくり。全く公立の学校と同じレベルでの教育を提供し、男子生徒たちには寄宿舎を用意し、女子生徒には近くの下宿の世話をしているのです。そして実に800人以上の子どもたちの人生を支えていました。その資金の多くは海外からの支援金。日本のNGOもたくさん協力していました。
1:12-3.jpg
 食堂で出逢ったのはパラオ族出身のアントウェイ君(向かって右)とヤンナイ君(左横)、共に7歳で3年生です。アントウェイ君はパラオ族の名前を持っており、アナム君といいます。2人の将来の夢を聞くと、共に医師になりたいとはっきりと答えましたが、その理由は、
「村には全然医者がいない。みんな病気になると困る。だから自分たちが医者になって村に戻り人々を支えたい。」
昨日のイェイェさんと気持ちは同じです。
 2人ともここへ来た時は寂しくてよく泣いたけれど、すぐに友だちができてなじむことができて、今は毎日がとても楽しいといいます。
1:12-4.jpg
 そして通りがかったのがお坊様姿のティン・ソー君、15歳で中学校3年生です。彼は今仏門に入り4年間の修行に励んでいる見習い僧です。あと3年の修行がありますが、その後は「軍隊に入るのだ」といいます。そしてその理由は、
「祖国を守りたいから。」
いろんな人生があります。ちなみに彼はイェイェさんと同じパオ族です。中部のシャン州から来ました。みんないつの頃から、そうやって強い意志と将来の展望を持つようになっていくのでしょうか。
こうして、ミャンマーではお寺がまさにNGO(非政府組織)のような役割を果たしながら活発に活動しています。だから、もしもこの国で活動するとした場合、お寺との関係はとても大切です。イスラム圏でも宗教の力は強いですが、ここミャンマーでも仏教の存在は大きい。政府が果たせない役割をしっかりと担っているという点において、ミャンマーの底力だと思います。
僧院長に聞きました。
「心の傷やその後のPTSDを含む、心の問題はありますか?」
「いや、まず見たことがないですね。子どもたちは親がいなかったり、親元を離れたりして大変寂しい気持ちを抱きます。しかしここには仲間がたくさんいます。すぐになじんで友だちができて、彼らはここに自分の居場所を見つけていきます。
場合によっては心の傷を持っている子どももいるかもしれません。しかし不眠、不安、うつ気分のような心の病気に出逢ったことは一度もないのです。」
 う~ん、心療内科や精神科、心理社会的ケアの出る幕はなさそうな感じがしました。
 最後に、ここにいる多くの野良猫は僕たちが近寄っても逃げようともしません。撫でられるがまま、だっこされるがまま。それはここにいる子どもたちがこの小さな生きものをいじめないからだと思う。腹を立てたり、不安だったり、満たされていなかったりすると子どもたちはまず小さな弱いものをいじめ始めるものです。でもこの猫たちは非常に愛されている感じでした。
それはすなわちここに集う子どもたちが優しく思いやりを持って生きていることの一つの証しであるように思えました。猫の姿がここにいる子どもたちの心を写し出しているようです。
 ふと見れば最高学年の高校3年生たちが来たるべき受験に向けて猛勉強中でした。

机に並ぶ「傾向と対策」のプリントを受け取り、必死に勉強しています。この国も勉強して頑張っていけばチャンスをつかむことができるのでしょう。

 頑張るもの、あきらめないものがちゃんと幸せになる鍵をつかむことができる。そんな国であることが一つの豊かさの形かもしれません。ミャンマーの今年の大学入学試験は3月9日です。全国統一試験は6教科共通。600点満点でみんな500点以上を目指します。ここにも受験の苦しさがある。でもそれはみんなに与えられた平等の機会でもあるのです。
精一杯の自分の力を振り絞って、ミャンマーの高校生も必死です。
日本の受験生も、あと少しでセンター試験。
「結果がどうであれ、頑張ったものは評価される。」
そう信じて日々を過ごしていきましょう。ミャンマーの高校生もいまがんばり時です。
桑山紀彦

仏教寺院の存在」への3件のフィードバック

  1. やはり仏教の精神が人を許す寛大さを育んだ社会風土が出来上がっていますね・
    周辺諸国と比して悲惨な様子が感じられません。
    そう思うとスーチーさんの長期間にわたる軟禁もある限度を超えないものに思えます。

  2. 野良猫が警戒せずに安心しきっていられる居場所になっていると知って、温かい気持ちになりました。
    腹立たしさやさびしさ、自分の存在が認められないときに、小さな子に暴言を吐いたり思いのままに嫌なことをしてしまったり…
    そうではない豊かな心でいられるって幸せなことですね。
    たとえ家庭環境が厳しかったとしても、育ちゆく中の出逢いで、安心できる居場所ができて頑張っていけますね。よかった…

  3. 日本の一般的な仏教と違い、ミヤンマーは戒律が厳しい上座部仏教で、
    現在、お釈迦様の教えを一番守っているのがミヤンマーと言われているそうです。
    日本は家康が創設した寺子屋制度により、国のあらゆる児童は地方の僧侶の下で、
    読み書きを習うことを義務づけられ、日本国内に無数の寺子屋が設けられ、
    結果として、全国で同じような教育がなされ、日本の国民性を育てたのではと云われますが、
    ミヤンマーでも日本と同様に僧侶が子ども達の教育に深くかかわっているようですね。
    桑山さまの今回のレポートでミヤンマーの国民性を垣間見ることができたかもしれません。
    最初にほとんどごみが落ちていないとのレポートで、興味を持ちましたが、
    写真を見ると、ティン・ソー君の大鍋はとてもきれいでピカピカ状態。
    市場で売られている野菜類の扱いや周辺にはゴミらしいものも散乱していないし、
    人々の衣類からも感じ取れるように、とても綺麗好きな民族でしょう。
    また、大変真面目で、信仰心、向学心の厚い民族であることが写真からくみ取れました。
    ミヤンマーは今後ものすごいスピードで発展していく国ではないかと想像します。

コメントを残す

あなたのメールアドレスは公開されません。必須項目には印がついています *