藤村先生の語り

昨日は藤村先生の語り部の会でした。
10:12-1.jpg

 藤村先生はあの3月11日、閖上中学校の2年1組の担任としてとても辛い思いをされました。そして教師として、一人の人間として極限に近い経験を重ねながら、いつも子どもたちに寄り添ってきた勇気の先生です。

 最初から見て見ぬふりは出来ない、本当に心ある先生だと感じ、ずっとつながってきました。それはある意味学校の先生らしくない、本当に型にはまらない心の豊かな先生です。

 そんな藤村先生が4年半の月日を経てついに「閖上の記憶」で語って下さいました。

 全ての話しが真実で、人の生と死をきちんと見つめた素晴らしい語りでした。あっという間に70分が過ぎていて、藤村先生の子どもたちを思う気持ちがストレートに伝わってきました。
10:12-2.jpg

 マスコミも各社来て下さり、このテーマの重要さに皆さん取り組もうとされています。それは、「あの日、あの時先生たちはどうしていたのか。どんな気持ちであったのか。」

 というとても大切なテーマです。

 学校の先生という職業は、その「学校」を聖域視しすぎる余り、先生自身が語らなかったり、心の中に閉じ込める傾向が強いように思います。それはきっと、

「子どもたちの前で弱音は吐けない。」

「子どもたちを動揺させてはならない。」

 という職業意識から来るもののように思いますが、この3月11日という尋常ではない巨大災害を経験したのだから、先生たちもきちんと語らなければならないと思います。

 かえって、そういう先生たちの「素」のままの姿や、「本音」を子どもたちが受け止めることで、子どもたちはより一層強くなれるのだと思います。

 だから、藤村先生のこの勇気に心から感謝しています。

 語りが終わり、質疑応答になりました。
 参加者の女性が、

「後ろ向きなことばかりの話しでしたが、未来に向けて前向きなことは考えていないのでしょうか。」

 と、おそらくその場にいた全ての人が「はあ??」と思うような勘違いな質問をしたにもかかわらず、藤村先生は優しく、諭すように答えていました。
10:12-3.jpg

 4年の月日を経てあの時のことを真剣に話した人に、何故後ろ向きな話ばかりでしたが・・・という言葉を発することができるのか、そういう人がその場にいたことも驚きですが、逆にそういった見方をする人間もいるから気をつけなければならないということを知りました。

 つまり「あの日のこと」に目を向け、物語として語ることが実はとても「未来に向けて大切である」ことを今一度、みんなで確認していく必要があると言うことです。

 その日のことに向き合うことが、すなわち未来へ向き合うことであると藤村先生の語りを聴いていても思いました。しかし、理解の浅い人は、「いつまでもあの日のことにとらわれている」と捉える場合もあると言うことがその変な質問でよくわかりました。それが、

「いつまでも津波のことにとらわれないで、街づくりに一生懸命になりましょう。」

 と立場のある人が言う、その「かん違い」とよく似たタイプのものであることも感じました。私たちは、その大いなる勘違いを吹き飛ばしていかなければなりません。

 「あの日に向き合ってこそ、未来が構築できる」のですから。

 これからも、この語り部の会はゆっくりと、確実に発展していくべきだと強く思いました。「閖上の記憶」は大切な役割を担っています。

 来年以降、ほとんどの公的補助金がなくなります。

 皆様と一緒に、「市民活動」としてこの「閖上の記憶」を運営していきたいと思います。是非変わらない応援を!

桑山紀彦

藤村先生の語り」への2件のフィードバック

  1. 何故か眠れずに、起き上がってPCを立ち上げてしまいました。
    昨日のブログにコメントしたことが気になったのかもしれません。
    そして、桑山さまの新たな「藤村先生の語り」の文章を拝読し、少し安心しました。
    「閖上の記憶」は「藤村先生の語り」と「閖上中学校」を残すことで、より一層人々の記憶に鮮明に残るのではないかと思います。

  2. あの日の事に正面から向き合っていくことが大きな教訓になることが
    お判りにならないとは困ったものです。
    心を置き去りにしない復興で無ければいけないのに・・・。
    被害が甚大だからと言って形だけ急ぐ人が多いのも気色悪いですね。
    「閖上の記憶」の新聞記事見ました。

コメントを残す

あなたのメールアドレスは公開されません。必須項目には印がついています *