閖上中学校とのお別れの日が近づいています。
丹野さんたちが今日閖中につどい、皆さんなりのお別れをされていきました。
本当は遺してほしいという気持ちがどこかにありながらも、復興の妨げになってはならないという強い意志もお持ちで、その葛藤の中に日々生きていらっしゃるように見えますが、それでも前に進もうとする気持ちを感じました。
そんな中で、今日は許可を頂いて皆さん屋上に上っていらっしゃいました。
ドローンで追いかけましたが、考えてみればあの3月11日、この屋上に多くの人が避難して真っ黒な津波に沈んだ閖上の街を目撃してきた、その場所です。
いろんな痛みと、哀しみと、迷いの気持ちを抱えながらそこに上り、我が子に心の中で声をかけているであろう丹野さんの気持ちを考えると、その姿を少しでも記録しておくべきだと思ってドローンを飛ばしました。
この地を作り替えようとする首長や、その部下と呼ばれる人たちは、このご遺族の気持ちをどれだけ理解してこの「復興」を進めようとしているのか、正直不安です。
生き残った人たちの未来のことだけ考えて街づくりをしていいわけがありません。大切な人を失った人々の気持ちにもちゃんと配慮して、前に進んでほしいと思っています。
一つ一つ、大切なものが失われていく。
それも仕方ない、とどこかで踏ん切りをつけようとする人の切なさと哀しさを、私たちはしっかりと解ろうとするべきだと思います。その上で進めていく復興でなければ、絶対に社会には受け入れられないと思います。
桑山紀彦
記録と記憶と歴史を大切にする機運が強まる風潮の中で、被災地の行政は高度成長期の「何でも新しくしよう」ことを急ぎすぎて、みんなが生活するわが町作りを置き去りにしていくようで「それでいいのか!」と感じています。
この問題は実に複雑な様相を呈しているように思いますし、また、私の文章の理解力により、桑山さまがおっしゃりたいことと違ったコメントになるかもしれませんが、ご容赦ください。
この問題は「建物を取り壊す」、「取り壊さないで保存する」など、地域住民による投票の様なことを既に実施した上での結論でしょうか?
桑山さまのように、ご遺族の方達に寄り添って過ごされた方と、私の様に全くの第三者になると感覚が違ってくるのはごく自然なことと思います。行政が早く地域づくりを完了させたい気持ちも理解できるような気がします。
その私でも、過去に被災した方達が一時の感情で取り壊してしまい、後になって残しておけばよかったと、取り返しのつかない状況になった例も沢山有ることを考えますと、建物を取り壊すことは簡単ですが、一旦壊してしまったら、それを元の状態に戻すことは不可能であることを、地域住民と行政がお互いにしっかり確認することが必要ではないかと思います。もう既に確認済みなのでしょうか。
また、ご遺族の中に一人でも建物を残して欲しいという方がいらっしゃるのならば、もう少し時間をかけてじっくり話し合って、ご遺族の方達、また、後の世の人達のためにも、悔いを残さないようにすることが大切ではないかと思います。