今日は、ラ・コルメラの日系人の皆さんとの熱い1日でした。
宿泊した「富士見ホテル」の三井家の皆さんは、実にこのラ・コルメラに入植した初代、三井波夫さんの家系でした。その娘にあたる三井幸江さん(旧姓:根岸)さんが長くその歴史を語って下さいました。
1936年、神戸港を出発する初代パラグアイ移住者のみなさま
幸江さんのご両親は群馬県前橋の出身、ご主人は長野県の富士見市の出身。だからこのホテルは「富士見旅館」と呼ばれているのです。ラ・コルメラの入植地は来年で80周年。実に1936年に初めての日本人がここに来て79年が過ぎているのです。今日はその4代目になる三井静昭くんのクラスにおじゃましました。
静昭くんは今小学校5年生ですが、日系4世にあたり、その名前を聞いた時、
「静昭の”しず”は、”静か”の静。で、”あき”は、”日”と”刀”と”口”です。」
と答えてくれました。一瞬わかりにくかったけれど、「昭」の漢字を3つに分解して説明してくれたのです。これが日系の4世。つまり漢字はなかなか書くのが難しいと言うことです。それでも三井家はこのラ・コルメラ入植地の創始家系として発展を遂げており、家の中でも積極的に日本語話して完全なバイリンガルを目指してきました。だから静昭くんも日本語をしゃべることは達者です。
今回日系人の皆さんと会って強く感じたことは、日本の古き良き文化をしっかりと保持していらっしゃると言うことです。例えば静昭くんの名前はおじいちゃんから1文字、お父さんから1文字もらって構成されているし、弟の波夫くんはなんとひいおじいちゃん(入植第一世)と同じ名前なのです。つまり先代や先々代の意志を継いでほしいという強い願いが名前に込められています。
そしてまずあいさつがしっかり出来る。ゲームやスマホとは縁がない。お手伝いを積極的に行う。食べののを残さないなど、非常に厳格に育てられています。だから背筋が伸びている。
そして極みは、将来何になりたい?と聞いた時、
「僕は、おじいちゃんとお父さんの跡を継いで農業をやりたいです。」
とはっきり答えることです。そして既にトウモロコシの苗の植え方をお父さんから学び、実践していることでした。
現代ニッポンが失ってしまっている、よき時代の日本文化がそこにありました。
しかし、どんどん日本語を話す環境は失われ、そういった日本文化も消えていこうとしています。そこで、JICAは「日系社会青年ボランティア」を送り、その文化の継承に手伝いをしているわけです。そこにはパラグアイに生きる日系人の強い意志を感じました。だからこれは、JICA側のニーズではなく、現場からのニーズにJICAが答えているわけです。
日系社会青年ボランティアの和田谷さん。
今日はコミュニティ開発の和田谷さんと、日本語教師の古賀さんの二人と活動しましたが、非常に大切な仕事をされていました。
午後1時から2時間半、十分な時間を頂き、風景構成法と「はりがねの人生」を「ラ・コルメラ日本語学校」の高学年15人と共に行いましたが、みんな今を生きる十分な心のエネルギーを持ち、夢や希望、哀しみや喜びを分かち合いながら日々を生きていました。
海を越え、地球の裏側に移住して80年の月日が流れようとしているパラグアイ。日系人という存在にまた国際協力の意味や方向性を再確認できたように思います。「日本移住機構」から始まったJICAですが、その時代の仕事の責任を今も果たしながら、強く活動を継続していました。
御年96歳でご健在の初代移住者、三井波夫さん。
桑山紀彦
必要不可欠な事が規則正しく引き継がれ、物質文明の弊害が無い国に純粋な日本が息づいている。
きっと、きれいな日本語を話していることでしょう。