パラグアイ4日目

朝、雨が降り、今日の活動はどうなるかと思っていたら出かける頃には晴れていました。

 ここはパラグアイの南の端、目の前にアルゼンチンが拡がる国境の街、エンカルナシオンです。そこから50キロ離れたヘレラル・アルティーガスにクルマを飛ばして、渥美翔さんに逢いに行きました。かれは青年海外協力隊、畜産隊員としてこの地に赴任して1年が過ぎています。
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 出身校、帯広畜産大学が続けている6年プログラムの真ん中を担当する彼は、15頭以下の牛を飼う小規模農家の指導という仕事を担当して、市役所の中に部屋を持っていました。

 でも渥美さんは最初に疑問を持ちました。

「みんな確かに知識が足りなかったり、工夫が足りなかったりして、収量が低い状態になっているのは見えた。でも、ゆっくりとした時の中で、ゆったりと暮らしている。そんな中に僕が入って忙しくさせたり、大切な余暇の時間をなくさせてしまうような”指導”をするべきなのだろうか。」

 と。とても素直で純粋な心の持ち主だと思いました。そして実際に担当する小規模農家の皆さんと会い、その疑問はなかなか解決しませんでした。でも、1年が過ぎた今、渥美さんはこんな思いになりました。
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(エレナさんに水分が足りているかのサインを伝える渥美さん)
 

「みんな牛を放牧している。それは確かに気持ちよさそうだ。日本のように牛舎に入れて狭いところで飼料を与えられ、搾乳されている姿から見れば、このパラグアイの牛の方が自由で気持ちよく見えるかもしれない。

 でも、僕は思う。

 家畜は家畜として生まれ、いいお乳を出し、人がそれを高く評価して人と家畜の良い関係が生まれることが大切なことではないか、と。

 放し飼いにされると病気になりがちになったりとか、ダニなどがついて牛が苦しい思いをしてお乳の品質が下がってしまう。もちろん搾乳量も減ることが考えられる。
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(放し飼いの牛に近づく渥美さん~首にダニがびっしり)
 

 僕たちはこの牛たちをちゃんと”家畜”としての役割をしっかり果たさせてあげるような”支援”をするべきだ、と思う。

 この牛たちはペットやただの動物ではない。しっかりとした”家畜”なのだから。」

 とてもしっかりとした意見でした。悩みながら、苦しみながら渥美さんがこの地で出していったこの結論。こうして協力隊はいろんな思いを抱えながらも、自分として貫き通したい「たった一つの信念」を見つけて、今日も現場に向かうのです。

 さて、午後からはエンカルナシオンの日本語学校でした。ここには日系社会青年ボランティアの大島さんがいらっしゃいます。
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 名古屋出身で、中京地区に多い、ブラジル日系人の皆さんを支援するNGOや公的機関に長く勤め、その先に、

「日系人の現場をしっかりと見て、経験していかないと、日本における日系人支援博多手落ちになる」

 と考え、この地にやってきた青年です。
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 日本語学校の中にいたのが山本省吾くんです。彼は日系3世になりますが日本語は余り達者ではありません。エンカルナシオンは都会であり、たくさんの非日系人との接点があります。お父さんお母さんも普通にスペイン語で会話するので、省吾くんの日本語はどんどん落ちてきています。そこで省吾くんは思いました。

「もっとちゃんと日本語しゃべれるようになりたい。でないとおじいちゃんとも話せなくなるし、もしかして日本に行った時に全然だれとも話せない。」

 だから省吾くんは今この授業を頑張っています。大島さんがいいました。

「みんな顔立ちが日本人だから、当然日本語話せると思って話しかけてくる。他の非日系の子どもたちも省吾の顔立ちは日本人だから、しゃべれるんだろう?と思って接してくる。そのギャップを埋めたくて子どもたちは頑張ります。」

 そういった動機付けがある限り、難しくても子どもたちは日本語を勉強しようと、この学校にやってきます。

 遠いパラグアイの地にも、ぼくたちが当たり前にしゃべっている日本語を、我がものにしようと頑張る子どもたちがいます。

 さて、朝が来ました。

 今日は雷雨。これからイグアスに移動して協力隊、熊澤夢開(むかい)さんに逢います。訓練所からずっとFaceBookでつながっている夢開さん。どんな日々でしょうか。

桑山紀彦

パラグアイ4日目」への1件のフィードバック

  1. 日本式の物差し押し付けてはいけない~でも不合理を直したい。
    ではどうすべきか~日本では知りえない体験から引き出す貴重な
    答えが、活動する若者の将来への糧になるでしょう。

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