1月11日(日)に休んでから、1回も日曜日を休まないで来ましたが、特につかれもなく、イライラすることもなく過ごせているのはやはりステージと海外の活動で日曜日が埋まってきたからでしょうか。
今日は福島市で1日2公演でした。
「きらり健康生活協同組合」と、その組織体「せのうえ健康クリニック」という医療生協系の大きな医療系コンプレックスの「健康まつり」に呼ばれたものでしたが、せのうえ健康クリニックの院長先生の岸本先生は大阪生まれで、鳥取大学医学部の出身です。話を聞いてみると同期の医師に島根県益田市で開業しているものがいるという話になり、島根の山藤さん(つるつるのおじさん)に早速尋ねたら、
「うん、山尾先生は知ってるよ。」
と言うことで、妙に鳥取島根が近く感じた1日でした。
でもこんなふうに日曜日がふさがると、「閖上の記憶」の集いに出られなくなるという苦しさがあります。今日は閖上中学校遺族会のメンバー、佐々木さんが「語り部」としてデビューした日でした。
うちの担当の桑ちゃん曰く、
「本当に素晴らしかったです。緻密にちゃんと原稿も組み立てていらっしゃって…。残された自分がするべきことは伝えることであるとはっきり言ってくださいました。素晴らしい1日でした。」
こうして、ゆっくりとですが、ご遺族の皆さんが「語る」機会を得ていらっしゃいます。ますます「閖上の記憶」は大切。ずっとずっと長く続けていく必要があると、改めて確信した出来事でした。
桑山紀彦
5日ぶりでインターネットのが繋がりコメントできるようになりました。再開します。
急に思い出しましたが、歩さんの消防車は今どのような状態になっているのでしょうか?
閖上の消防署の奥に、ひっそりと安置されています。でも名取市は撤去して廃棄するつもりのようです。歩さんの長女のゆまさんに、知らせなければならないと思っています。