今日は「閖上の記憶」で語り部講話でした。
先日「地球のステージ」の50畳ホールで語りをされた、閖上中学校遺族会の大川ゆかりさんが語りをされました。ゆかりさんは、当時閖上中学校の2年生だった駿君を津波で失っていらっしゃいます。
そんな大川さん、一般の皆様の前で語られるのは初めてになります。
以下、うちの担当、桑島愛希子の報告です。
予定通り「語り部」開催しました。
東日本放送が取材(明日のお昼のニュースで流れる予定)。参加者は6-7名でした。
緊張しているー!とのことでしたが、ゆっくりと、そして時系列にきちんと考えてきてくださって、お話くださいました。震災前、震災当日、1日後、2日後、3日後、1週間後、そのあとのこと、しばらく経って生き残った息子さんから聴いたこと、今のお気持ちや想い。途中涙もされながら、とってもいい時間でした。
特に心に残ったのは、絶望の中にいたときに丹野さんにから慰霊碑建立の話をいただき、すぐに賛同したこと。その後の遺族会の集まりでたわいない会話もできたことが心の支えになったこと(終了後おっしゃっていましたが、遺族会の集まりがないとおそらく閖上には足が向かなかっただろうとのこと)。毎年ハト風船にメッセージを書くことで、心の整理がされてきたんだ、と4年経って実感していること。自分の中で、気持ちが変わってきたことを感じること。人生で悲しいことや辛いことがあっても、必ず助けてくれる人たちがいるということを実感していること。今は何か恩返しに、自分にできることをしたい、という気持ち。
駿くんは震災当日、地震のときはちゃんと机の下にもぐって命を守ったそうです(長男から聴いたそう)。わたしたちは地震訓練はしていて、地震から身を守ることは知っていた。でも、津波訓練はしていなかった。もし津波訓練もしていたら、助かっていたかもしれないことが残念なこと。だから伝えたいとおっしゃいました。
終わったあと、またお願いしてもいいですか?とお聞きしたら、是非、とおっしゃっていました。震災学習で中学生や小学生に語り部として伝えるプログラムもあるのですが、中学生の前だと辛いでしょうか?と聴くと、大丈夫とのことでした。なかなか自分からはこうしたいと言い出せないので、声をかけてください、とのことでした。(桑島愛希子)
桑山紀彦
4年かかってここまで心の復旧・・・思わず涙ぐんでしまいました。
病が治ったと言うよりも、気持ちでもとに戻す気力が帰ってきたと言えるのでしょうか。
こちらの気持ち云々は失礼になるので、これからも見守っていきたい心境です。