今日は国連防災世界会議でした。
名取市の代表として「閖上の記憶」の取り組みを話しました。
各国から要人が来ているということで、物々しい警備がひかれた仙台市でしたが、私たちの発表ブースはオープンスペースで、気軽に参加できるような感じでした。
15分、逐次通訳付きの話しを桑山が行って、そのあと小齋正義館長が、自らの経験を語り、そして「案内人」として復活していった様子を語ってくださいました。やはり正義さんは迫力があります。
「語ることで重荷を下ろしていった」
その言葉が、とても素晴らしく、国産防災世界会議の会場にこだましていました。
今日はダルウィーッシュの形見となったあのセーターを着て臨みました。
最初にダルウィーッシュのことを会場の皆さんに伝えると、一部から拍手がきました。嬉しいものです。
そして終わった時、けんけんの顔が見えました。そのけんけんの顔に涙を見た時、あふれていたものが一気に出てきて、号泣しました。
まさに会場の隅で男2人が抱き合って泣き、一人(それは僕ですが)、人目もはばからずしゃくり上げて泣いていました。もう人目なんて気にしない、心の底からダルウィーッシュのことを持って泣きました。
けんけんは強く強く抱きしめてくれて、ずっとそのままにしていてくれました。
津波の日からちょうど1年が過ぎた2年目の3月11日、慰霊碑の除幕式の時、副代表の櫻井さんが僕に抱かれてワンワン泣かれました。僕は、一生懸命抱きしめていたことを思い出します。
男が男に抱かれてワンワン泣く姿。とても大切な時間だったと思っています。
それが今度は、自分が泣かせてもらえました。
ダルウィーッシュへを失った心の空洞は当面埋まりそうにないけれど、ひとまずこうして心の底から泣けたことが救いでした。
良き仲間を得てきたのだと感謝しました。
僕がひとしきり泣いて少し落ち着いた時、けんけんは照れくさそうにしていました。でも、彼との信頼関係はますます深まり、今は別の道を歩いているけれど、やがてまた同じ道に戻るだろうと確信しました。
ありがとうけんけん。
19日には那美子さんが帰ってきます。
ダルウィーッシュの最期を看取った唯一の存在。どれほど心に負担になっているか。今度は那美子さんが思いの丈、泣く時が来るべきです。
泣くと心が少しだけ軽くなった感じになりますが、脱水で頭が痛くなります。今日はそのあとずっと頭痛でしたが、ダルウィーッシュへの思いは少し方向性を得たように感じました。
桑山紀彦
先生、涙は決して枯れる事がないのです…
でも、泣けるのは生きている証。
泣きましょう。
友に。共に。
語るも涙も何物にも替え難い生きるための妙薬だということを
鮮明に感じました。
今日のブログは桑山さんの気持ちが真直ぐに出ていました。