1日が過ぎて

ダルウィーッシュが逝って1日が過ぎました。

 まだ実感がわかず、これは実は間違いなのではないか。どこかで生きていて、今回亡くなったのは別の人なのではないかと思おうとしている自分がいます。でも、その一方でこれは現実で、もう二度とダルウィーッシュに会うことができない、そのことが余りに辛くて、これは夢なのだと思いたいのだろうと冷静になったりもします。

 2003年にラファで出逢い、その生き様や勇気、誠実さに打たれ、

「この人を応援したい」

 という気持ちに従って、このパレスチナの事業が始まりました。

 もちろん、この12年の間に多くの人と出逢い、人の輪は拡がっていきました。でもその真ん中にいたのは常にダルウィーッシュでした。

 2006年にハマスににらまれて100日間投獄され、ようやく解放された時、迎えに出たのは僕でした。ガザの刑務所から、いつもの半分くらいの体重になってふらふらと出てきたダルウィーッシュをみて、ぼろぼろ泣いた時、

「これは政治的な迫害なのだ。自分は何も悪いことはしていない。その信念があったから何も辛くはなかった。泣くな。」

 と言われたこと。

 2009年の空爆の中、みんなで肩寄せ合ってその恐怖に耐えた日々。そんな中、

「何が食べたい?」

 と聞くので、

「シュワルマがいいなあ。」

 といったら、

「よし今から買いにいくぞ。」

 と爆撃の真っ最中にラファの町に出て行きました。

「空爆に当たらない?」

 と聞くと、

「俺たちはずっとここに暮らしている。危ない地域と安全な地域は完全にわかっている。オレを信じてついてこい。」

 というので、町へ出て行くと、あちらこちらに爆撃の雨が降っているのに、なぜかダルウィーッシュのクルマには当たりませんでした。そしてなんと無事シュワルマを買い、ダルウィーッシュと奥さんのワイダ、娘のヘバ、そしてまだ大学に入る前の次男、ムンザ、明ちゃんの6人で暖かいシュワルマを食べました。

 本物の家族でした。

 2015年2月。電気がなかなか来ない町で、僕の誕生日を祝おうとあるレストランにみんなで行きました。暖房もないそのレストランで、みんなが寒くて無言になってしまったのを察知したダルウィーッシュは、

「よし、今から椅子取りゲームをしよう」

 といって、椅子を一脚ずつ外して、ぐるぐるとその周りをみんなで走り競い合いました。
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 日本と同じ遊びがこのパレスチナにもあるのだと感心しながら、子どものようにはしゃいで走っていたら、確かに身体が暖かくなりました。

 いつもみんなのことを考え、アイディアと勇気で困難を切り抜けていく。世界で最も強い男。それがダルウィーッシュでした。

 どれほどのことを学んだのか、もう見当もつきません。

 もっと共に学び、高め合いたかった。

 彼が亡くなった一つの理由に、心臓の冠動脈が詰まった時、その状態のまま長時間治療が受けられなかったことがあげられると思います。それは、封鎖されたガザなのですぐにエレズの検問所を超えて適切な設備のある病院へ行けなかったということです。

 ここに、国と国が争い、勝手に線を引いて人を閉じ込めている「占領」の現実があります。

 もしも平和な世界に生きていたら、ダルウィーッシュは死ぬことはなかったに違いありません。でも、そこに国と国の争い、「紛争」が横たわっていたため治療が遅れ、彼の心筋は使命的な「壊死」を起こしていたのだと思います。

 ダルウィーッシュが亡くなった大きな理由の一つに、「紛争」がある。

 このことは忘れません。

 これから私たちは、一人でも人が死なないように工夫していかなければなりません。災害で死なないためには「防災」「減災」に取り組むことが大切。

 ダルウィーッシュのような死に方がなくなるために、僕たちは「平和」を求めなければなりません。余りにその課題が大きすぎて、どうしていいかわからなくなります。

 でも、あきらめるわけにはいかない。

 世界が少しでも良くなるために私たちが活動すれば、空に昇ったダルウィーッシュは微笑むはずです。

 そう信じていくしかない。

 ひたすら寂しい気持ちを抱えて、日々を生きています。

 でも、この哀しみはあの津波の日以来、多くの友人、同胞が感じてきたこと。だから今はその哀しみをかみしめながら、「それでも自分に何ができるのか」を考えながら、1日1日を送っていくしかないのでしょう。

 丹野さんの一言一言が、心を支えてくれます。

 全国の皆さんの一言一言がありがたくて、涙がこぼれます。

 世界が、少しでも良くなりますように。

桑山紀彦

1日が過ぎて」への6件のフィードバック

  1. 私たち(人類)はまだ学びの途中ではあり,
    きっとこれからも様々なことにぶつかりながらも
    一歩ずつ良い方向に歩んでいくと思います。
    いずれ人類は宇宙にも住むことになるでしょう。
    「知る力」,「記録する力」,「伝える力」を身に
    つけた人類はいつか『「戦争」ということが地球でかつて
    あったんだよ』と私たちの後輩たちに伝える日が来ると
    信じています。ダルウィーッシュのことも
    地球のステージのこともみんな記録され、後輩たちに
    伝わるでしょう。今日はジョンレノンの《イマジン》を
    聞きたいと思います。

  2. 地球のステージのおかげで、世界の色々なところに友達ができたような気持ちになって、
    友達がいるから気になるようになって、
    自分の足元を見つめ直す機会にもなって、
    家族が大好きになりました。
    実際に海外へ行って、わたしのことをゆりだと認識してくれる小さな友達もできました。
    地球のステージがなかったら、ありえなかったことばかりです。
    天国はきっと言葉の垣根もないでしょうから、公太君とダルウィーッシュさんが閖上を見下ろしながらおしゃべりをしているのではないでしょうか。

  3. 深い悲しみの中で、凛として語る桑山さんのご自分に対する戒めと平和への覚悟、胸にしみました。
    戦後の飢えと貧困の苦さを覚えている自分ですが、平和の有難さをわかっているいるつもりなのに、いつの間にか当たり前になっていることを反省させられました。
    黙祷・・・。

  4. 「小麦の種の一粒は、土に落ちて死なない限り、それはそのまま。だけれども、死ねばどっさり実を結ぶ。命にしがみつく者は、かえって命を落とすのだ。この世で命を棄てさる者は、いつでも明るく活き活きと生きる力をその身に受ける。」ダルウィーッシュさんが活きた力を受け継いでいきたいものです…。心から安息をお祈りいたします。桑山さん、また「落とされました」ね。「落とされた者」はそれ以前より強くなります。~祈りのうちに

  5. 「また会いたい」と人は望みます。その望みは実現します。強く望むことが実現しないとすれば、それは不条理というものです。ぼくらもこの世から旅立てば、必ず愛する人に会える! ずっと! 落胆はやがて希望に変わっていきます。~祈りのうちに

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