今日、現地時間の朝、盟友ダルウィーッシュが亡くなりました。
現地より那美子さんが泣きながら電話をしてきました。ちょうど岐阜のステージが終わり撤収が完了したその時でした。
一度は心筋梗塞から回復していたダルウィーッシュですが、働きづくめで生きてきた人ですから、少しでも良くなるとベット上でバリバリ仕事を始めていました。そして、一度は死にかけた命を神様が救って来れたことへのあまりの感謝により、病院中に寄進をしていました。お金のない患者さんにはどんどん寄付をして、毎日が幸せそうでした。
イスラム教は、本当に神様が近い。だから生死をさまよったダルウィーッシュは余計に神様の意志に従おうと、慈愛を持ち、寄進を続けていました。
そんな中、数日前にまた心停止が来ました。
心臓は動いているけれど、心筋はもうぼろぼろだったのだと思います。それでも懸命に生きようとしていましたがついに、今日また心臓が止まってしまったのでしょう。明日、ペースメーカーを入れる予定だったようです。間に合いませんでした。
死の瞬間を看取った那美子さんの哀しみと苦しみは計り知れないものがあります。
私たちもこの訃報を聞いて、当面立ち上がれないと思いました。
みんなが号泣しています。
しかし、思うのです。
彼の遺志をつながなければならない、と。彼は平和を愛した。仲間を愛した。郷土を、パレスチナを愛した。そして何より、日本人の私たちに大きな期待をしていました。
「何があっても、ずっとこの地と関わってくれ。」
「ケイ、おまえたちがいることが、パレスチナ人の誇りであり、願いだ。」
そう言い残してこの世を去りました。
涙を流しながらですが、彼の遺志に応えていかなければなりません。
半端なことをしていたら、空間移動が自由になったダルウィーッシュは容赦なく、怒ってくるでしょう。
いつも彼が見守っているという想いを胸に、これからもパレスチナ事業を進めていく必要があります。
残念なことにエレズの入域許可が全てのスタッフの中で切れており、誰も現地に入れません。国家間の厚い壁が僕たちを遠ざけ、ダルウィーッシュの最後の姿を遠ざけてしまいました。だから、「地球のステージ」は自分たちでもダルウィーッシュのお葬式をあげます。
彼の遺影を飾り、遺品を展示し、イスラムの司祭に来ていただき、しっかりと弔います。
そしてまた、私たちは立ち上がり、人類が延々と続けている憎しみと怒りの連鎖に対して、何ができるのかの大いなる試みを続けていきます。
それはまさにダルウィーッシュへの弔いになると思うのです。
彼にはアレキサンドリア大学(エジプト)医学部の2年生と4年生に息子がいます。ジハードとムンザといいます。娘のヘバは今ラファにおり、彼が総裁を務めてきたエル・アマル校の運営補佐をしてきました。これからヘバが中心となり、エル・アマルを盛り上げてくれるといいのですが。そして願わくば息子たちがしっかりと職を持ち、ダルウィーッシュの遺志を継ぐべく学業を継続できますように。
でれば、一度、彼と僕たちの国、日本を歩きたかった。彼にこの国を見てもらい、厳しい意見を聞かせてほしかった。
叶わぬ夢ではあるけれど、第二、第三のダルウィーッシュをこの国へ誘い、日本とパレスチナの友好が盛んになりますように。
ダルウィーッシュ。
あなたはいつも僕の支えでした。
あなたが亡き今、僕は立ち尽くしている。
けれど、あなたに背中を押されていることも感じている。
ありがとう。
そして、向こうの世界では余りたばこを吸わないように。甘いものを余り食べすぎないように。
ダルウィーッシュは永遠になりました。
桑山紀彦
今頃天国で公太や閖上の人々に逢えているでしょうか?
来年は鳩風船1つ多く飛ばします。
どうか安らかに。
自分も西の空に向かって手を合わせます。
地球のステージの皆さんからダルウィーシュを知り
生きる尊さを知りました。ありがとうございました。