4年目の3月11日

4年目の慰霊祭、「追悼の集い」が終わりました。

 朝からすさまじい風で、色んなものが吹き飛んでいきそうでした。空撮の準備を進めていたのですが、最新鋭機はあえなく風にあおられて着地に失敗。羽を3枚折って換えがなくなり、飛行不可能となりました。

 それでも準備は着々と進んでいきます。

 閖上中学校遺族会の皆さんも早くから集まって下さり、ゆっくりと気持ちが空に向かっていくのを感じていました。

 4年目になる今日、昨年よりも人が減ってしまうかも知れないという危惧がありましたが、実際には400人近い参列の皆さんが集まり、報道各社も昨年と同じくらいたくさん集まって下さいました。

 14時20分、式典が始まりました。

 丹野さん、やっぱり今年も心に沁みる、本当に素晴らしい挨拶を頂きました。そして櫻井さん、大川さん、佐々木さん、菊地さん。みんなが4年の思いを込めたその気持ちをきちんと語って下さいました。
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 特に口べただといつも言っている菊地さんがちゃんと心の内を語られ、この哀しみを少しでも乗り越えていこうとする意志を感じました。そして、皆さん一様に、息子さんや娘さんがいま生きていたら何歳になっており、何をしているだろうか、と思いを馳せていらっしゃる本音が語られていました。

 それはある意味、「向こうの世界で生きている」という強い思いに支えられているものでした。だから、やがて自分たちが空に登っていった時、我が子に会えるというお気持ちを大切にされていることがひしひしと伝わってきました。

 

 そして午後2時46分。丹野さんの、「黙祷!」という合図と共に大音量のサイレンが鳴りました。一気にあの日の思いがこみ上げてきて涙が止まりませんでした。今年も、そんなふうに心の底から泣くことができて、大切な1日になったと感じました。でも、だからこそ、まだ泣けていない人、まだこの地に来られていない人のことが気になります。少しでも多くの人があの日に向き合って、前に向かってゆっくりとでいいので進んでいってほしいと思いました。

 鳩風船は350羽を超える数となり強風の中、どうなるかと思っていました。
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 しかし2時45分、その一分前、風はとても柔らかなものとなり、空は真っ青に晴れ、それまでの強風と雲が一気に消え去る、まさに「不思議な現象」が起きたのです。

 そう、空にいる大切な人たちが力を合わせて、僕たちの願いに応えてくれたのです。
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 こんな奇跡がありうるでしょうか。

 4年連続で「晴れ」です。そして「風は良好」。絶対に見守られている、そう感じるには十分な奇跡が、今日も起きました。

 こうして、4年目の3月11日、空にいる大切な人たちと、心のつながった交流が出来、また次の1年が始まっていきました。

 来年はこの閖上中学校前ではできないと思いますが、新しく移ったその「日和山のふもと」で来年もこの「追悼の集い」を行います。

 来年3月11日は金曜日。運命の日です。

 この1年を見ていていただきたいことと、来年もまた皆さんと「現場」でお逢いしたいと思っています。

桑山紀彦

4年目の3月11日」への7件のフィードバック

  1. 場所は離れていても、その現実をよく知らなくとも、他人事とは思わずに、しっかりと人の思いに耳を傾け、自分のことのように真剣に考え、多くのことを感じている子達がいます。
    自分が生まれて、今ここにいること…亡くなられて会えない方も見守っていてくださること…などに、思いは繋がっていきました。また、このブログで知らせていただいたことを伝えます。「愛と想像力」で、周りの友達を理解しようとし、支え、一緒に頑張ることのできる子ども達です。

  2. 昨日は 4年間の想いが叶い 慰霊祭に参加し鳩の風船を大空に・・・震災を機に知り合えた方々と会ってお話できたこと、人と人との繋がる縁の不思議さをも 実感できたすばらしい日でした。丹野さん 私は親孝行出来てなかったかも??ですが両親 二人とも90歳で見送る事できたから・・・・・孝行したかな? 今日12日は母の命日です。今回 母も一緒に連れてきました。

  3. 桑山先生を始め地球のステージスタッフの皆様。
    地球のステージ会員の皆様。
    そして私達閖上中学校遺族会を暖かく見守って下さる大勢の皆様。
    本当にありがとうございました。
    今頃、天国に沢山のメッセージが届いている事でしょう。
    子供達の笑顔が目に浮かびます。

  4. 昨日はぎっくり腰になり慰霊祭を欠席してしまいましたが、遠く関西にいる友人から毎年電話をくださいます。
    「TVで見てますが心が痛くなりますが一日中かじりついてみています。皆さんの気持ちを思うと涙が出てきます」現場にこれなくても思いは同じのようです。と震災時はたくさんの支援も下さった全国の皆様にも感謝です。

  5. 3月8日放映、NNNドキュメントの丹野さんを見ながらその時間を迎えました。
    (自分で撮った映像を4年目にしてようやく見られるようになった人)(東電の補償金が多額な故に働く気力を削がれたことを笑いながら語る人)そして(4年経っても自分だけが生き残った罪悪感に苛まれて苦しんでいる人の多いこと)~そう言えば丹野さんも工事で我が家の跡が判別出来なくなり悲しんでおられましたね。
    まだたったの4年、心の復興はまだまださきだなぁ~【わ・す・れ・な・い】と戒めた一日でした。

  6. 私は一日震災のことを思いながら
    過ごしました。
    私たちと同世代の方々が命失うという現実。
    4年が経ち今も考えます。
    私も弟がいるのですが絶対に震災を忘れてはいけない、命を大切にしなければならないと伝え続けます。

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