真夜中の銃声とコーラン

真夜中の銃声とコーラン

 激動の1日目が終わり事務所に戻ると、7時間の時差のせいで猛烈に眠くなります。

 幸い途中で電気が来たのでシャワー用湯沸かし器「ギザ」にスイッチを入れてお湯のシャワー。でもいつ切れるかわからないので、洗うも半端に終わらせてデスク仕事していると、いつの間にか寝ていました。21時くらいでしょうか。

 そして銃声で目が覚めました。

 マシンガンと単発の銃。国境線の街ラファはエジプト国境が荒れている今、頻繁に銃声が聞こえてきます。戦っているのはエジプト軍と自称「イスラム国」系のゲリラ。今こちらでは何でもかんでも「イスラム国」を名乗って体制を揺るがそうとする者たちがでています。

 しばらくするとその銃声も止み、また静かになります。どう考えてもイスラエルがその内側を管理しているこのパレスチナ自治州にはそういったゲリラは入ってこられません。全く不安なく、いつものように銃声を聞いていますが、少しすると大音量でコーランが響いてきました。朝4時のコーランです。

 その美しい旋律と、直前の銃声を頭の中で混ぜながら思いました。

「なぜ、イスラム教を語り、暴力が派生するのか。」

 アフリカのボコ・ハラムも、フィリピンの南部の紛争も、イスラム国も、アルカイダも、みんなイスラム教を悪用しているように思います。

 イスラム教はとても深い教えがありますが、その根本にあるものは人間の弱さを規定しているものです。人間は本来弱く、もろい存在である。だから神の言葉を聞き、信心深くその教えに従いなさいという教え。その部分が悪用されがちなのだと。

 つまり、目の前の人間は弱い存在だから神の名の下に殺すと…。

 決してそんなことを神もイスラム教も許していないのですが、この部分がゆがめられて悪用されているように思います。

 人間は弱い存在だけれど、協力し合ったり、成長すれば強い存在になれるという、本来の教えの部分が抜け落ちて、

「人間は弱い。だからオレが(神に代わって)裁きを下す。」

と。

 そしてさらに復讐法が定められていますが、本来それは、

「人を殺すようなことをしたら、あなたも殺されることになる。だからそういったことを絶対にしないように。」

 という意味なのに、

「(アメリカ人に)やられた。だから奴らにやり返す。」

 ということにまたゆがめられている。イスラム教を語りゲリラと化している人々は、こうして殺人を平然と行う精神状態になっていると思うのです。

 銃声とコーランが街に響き渡ったこの夜。本来は銃声をかき消すためにあるイスラム教やコーランの教えが正しく世界の人々に伝わるといいと思いました。

 朝が明けてきました。
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 ひんやりとして気持ちのいい朝です。
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 うちの事務所にはトースターがないので、ガスコンロでパンを焼きます。なんだか、バックパッカーの時代に戻ったような懐かしさがありました。

桑山紀彦

真夜中の銃声とコーラン」への3件のフィードバック

  1. 人の温かな想いはつながって、力になっていきますね。ひとりひとりとの繋がりです。今日の私の1日は、たくさんの温かい心に触れ、感謝の気持ちでいっぱいになり、何か自分にできることを少しでも!と、また動き出すエネルギーとなりました。空を見上げて、いろんな想いが込み上げてきました…

  2. 日本の報道を、なんでもかんでも「イスラム国」と呼ぶのは自粛しようとする動きがありますが、多分無視されるでしょう。
    日本のテレビや新聞で語られる内容と、現地のなまの様子、声、生活などが余りにも違うのは、悲しい残念なことです。
    桑山さんに、是非、本来の人たち、子供たちの様子を教えてほしいです。お気を付けて。

  3. 反米、反体制のためにテロに走る多国籍の傭兵集団は憎悪だけが目的化しているように思えてなりません。
    本来、心の安寧のための宗教がこんな無茶苦茶を許さないのは自明の理ですが、早くもヘイトスピーチまがいの嫌がらせが各国で起きていることや、米国などが報復すると言っており事態が拡がるのが心配です。
    せめて冷静な眼で毅然と事態を見守る気持ちです。

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