今日は岩手県の沿岸。津波被害の大きかった陸前高田、大船渡のステージでした。
そこに住田町を入れて気仙広域連合をつくっていらっしゃいますが、その連合会が毎年呼んでくださっているステージです。
今年は3番ですが、毎年多くの皆さんが来て下さっています。今年は特にパレスチナ事業でお世話になってきた吉田真由美さんも来て下さいました。真由美さんは長らくパレスチナで活動されてきましたが、3月11日、故郷の陸前高田が壊滅状態となり戻ってこられました。ご実家は山の方で無事でしたが、故郷の惨状に自分の人生のこれからをかけようと活動されています。今は陸前高田のブランド米の販売などをされていますが、お元気そうで何よりでした。
そしてステージ終了後、物販売の場に驚くべきことが…。
ひとりの若い女性がやってきて言うのです。
「私は、甲府南中学校で「地球のステージ」を見ました。それがきっかけになり医療の道へ進みたいと思い、理学療法士になりました。そして今はこの陸前高田で訪問リハビリの仕事をしているんです。
「地球のステージ」との出逢いがなければ、私は今ここにはいないと思います。」
志村さんといいます。今日は3番。ちょうど自転車日本一周篇が出てくるそのバージョンでこの再会です。本当に嬉しい出来事でした。
1月15日の「地球のステージ」初演から19年が過ぎてついに20年目に入ります。それほど歌っていると、こんな嬉しい再会もあるんですね。
今は甲府はもちろん山梨県のステージは皆無になってしまいましたが、何かのきっかけでまた山梨県の公演が始まるといいと思いました。そのきっかけのようにも思いました。
さて、帰りに再び陸前高田を通りました。
10メートルを超えるかさ上げ工事のため、巨大な土砂を運ぶベルトコンベアーの橋ができており、驚くことばかりです。市の南にある山をすべて崩してその土砂をダンプではなく、このコンベアーで運ぶのです。まさに「復興とは破壊である」。
もう全く陸前高田の市街地の想い出などありません。すべてが巨大な土守の土砂の下に宇持ってしまっているのです。この大量の土砂の土盛りの上に街ができるのか…。どれだけの人が戻りたいと思うのか…。正直疑問です。
しかし、その2度にわたって失う哀しみを乗り越えて、新しい新生陸前高田に期待するべきなんでしょう。復興というものは、そんな深い心の動きと共に進んでいくものなのでしょう。
今の陸前高田に、ぜひ皆さん一度訪れるといいように思います。
桑山紀彦
新年早々嬉しい再会とは良かったですね。
それにしてもショックな絵ですね!
まるでレインボーブリッジのような光景が復興の手段とは~なんだか津波対策だけ拙速に考えた対策のようで、ちょっと???という割り切れなさを感じました。
復旧でなく復興が重要と言っていたのは何処へ行ってしまったのでしょう?
地球のステージを見た子どもたちも大きくなって世の中に出ているんですね。
ステージ効果でじわじわと心優しい大人が増えて来るんでしょうね。
すご~くうれしいです!
素晴らしい再会ですね。紀くんのやってきたことが、
多くの人に届いて花が咲いているように感じました。
志村さん頑張って下さい。