二十歳になったリサ

リサと初めて逢ったのは2006年のジャワ島中部大震災の時でした。

 テロン第一小学校の5年生だったリサ。家は全壊してテントで暮らしていました。しかしこの年のテロン第一小学校5年生はすごくまとまりが良く、校舎の瓦礫を使った大音楽会は感動の中に終わっていきました。

 そしてそれから一年間、活動はずっと続いて最後の演劇では国営放送が放映するほどの大規模なものとなりました。結局3回現場に入りましたが、リサたちの成長が目に見えて、

「やはり表現することが大切。」

「忘れるのを待つのではなく、きちんと向き合って乗り越えていくことが重要。」

 ということを確信する大きな出逢いとなりました。

 そして2009年、当時放映されていた「ポストマン」という番組で、「世界のどこかに届けたいものはないか」というテーマで、お笑いタレントの陣内智則くんが、リサにこのときの「アヨバンキット!」(さあ立ち上がれ!)」という曲のDVDを届けてもらったのがきっかけで、リサとの交流が再開しました。

 リサは、このとき陣内くんに、

「ドクトルKたちが来て、いろんなことをぜんぶはき出せたから、私たちはすごく早く元気になった!」

と語り、そのビデオを見た桑山は思わずスタジオで泣いてしまったという出来事がありました。

 そして2011年、津波の被災直後にリサに逢いに行き、「桜の国に住む人へ」の詩を即興で書いてくれたリサ。その時高校2年生でした。

 そして高校3年生の時、医学部受験をして、見事成績的にはガジャマダ大学医学部(日本で言うところの東大のような存在)に合格したのに、出資金という名目での入学金300万円(日本のお金に換算して、です)を要求され、「地球のステージ」内部でも真剣に話し合いましたが、それはまさに賄賂のようなものになるので、出資できないという結論となり、リサの「医師になる」という夢はついえてしまったのです。

 しかしリサは一念発起し、助産師になる目標を立てて同じ時期に難関の助産師学校も受験、見事に合格。桁が一つ違う助産師学校の入学金、授業料は「地球のステージ」が支援すると言うことで彼女は新しい人生を歩み始めたのです。

 それ以降「リサを助産師にするプロジェクト」が立ち上がり、これまで多くの皆さんに支援金を頂き、リサは順調に助産師学校に通っています。

 今日、そのリサの通う助産師学校に行ってきました。
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 Ummi Khasanah助産師学校。それはジャワ島中部大震災でも壊滅的な被害を受けたバントゥール県の中心に位置する立派な助産師学校でした。Esti先生とAri先生が流ちょうな英語で校内を案内してくださいました。
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(向かって左から、Ari先生、リサ、Esti先生)

 リサはこの12月7日でついに二十歳になったばかりですが、予想どおり、

「すばらしい成績を収めている一流の生徒です。」

 とEsti先生が太鼓判を押すほどの活躍ぶりでした。

 とにかくまじめに授業に取り組むリサ。経済的な問題で、隣の県であるデリンゴ県の自宅から毎日オートバイで1時間以上の時間をかけて通い続けているリサ。150センチの小さな身体の一体どこにそんなエネルギーがあるのかと、みんながびっくりするくらいの頑張り屋です。
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 本当はリサもちゃんと英語が理解できているのですが、少々恥ずかしがり屋で(それは出逢った12歳の時から変わりないですが)なかなか英語で話してはくれません。今日も相棒の通訳、ハーディさんが、

「ほらリサ、ちゃんと直接英語で話してよ。ちゃんとわかっているでしょ!」

 といっても照れくさそうにしているのがリサです。でも、その努力の様はみんなが大絶賛するほどのものなのです。
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 そんなリサがメッセージをくれました。後ほどYuTubeであげていきたいと思いますが、

「日本の皆さん、本当にいつも支援をありがとうございます。私は小さな村の貧しい家庭に生まれました。でも、地震に遭いそのおかげでドクトルKや「地球のステージ」を応援してくださっている人々と出逢うことができました。そして今は、普通では決して叶わない夢、助産師になるという夢を追いかけることができています。

 これからも一生懸命頑張りますので、どうかこれからも応援してください。」

 見事なビデオメッセージでした。それまでのちょっと恥ずかしがるような姿が一変して、強い意志を持つ芯の強さがにじみ出るようなコメントでした。

 お母さんが言いました。

「この子は実は3歳の時からひどい喘息で、8歳までずっと病院通いでした。そのために身体はなかなか大きくなりませんでした。けれど心はどんどん強くなり、病気で苦しむ人たちの心がよくわかるようになっていったと思います。

 そこへあの大地震が来たのです。リサも多くのものを失いましたが、たくさんの苦しむ人々の姿を目の当たりにして、いよいよ自分の夢を決めていったようです。それは”人のためになる仕事をしたい”という夢です。

 その夢に大きく近づいている今、私は病気や震災という苦難が、この子の心を大きくしてきたのだと確信するようになりました。」

 途上国と呼ばれる国。それは食べるのに必死で、人のことなど構っていられないのでは、と思う人もいるかもしれません。しかし現実は全く違います。苦悩や困難が多いからこそ、他人の苦しみや哀しみがよくわかる。そんな心を持つ人がたくさんいるのです。

 経済的には苦しい生活かもしれません。でもリサはちゃんと人のため(特に弱い立場にいる人たちのため)になる仕事を選ぶ高い精神性を持っています。

 リサに、これからもすばらしい人生が待っていますように。

 出逢って八年間、リサは大きく成長しています。
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 この良き先生たちに囲まれて、あと二年間勉強をし、助産師の国家資格を取得。実務経験を1年やってもう一回学校に入って1年勉強し、最上級資格を取得する予定で応援しています。
 また応援してください!

桑山紀彦

二十歳になったリサ」への2件のフィードバック

  1. ポストマン!思い出しましたw(°O°)wそうです☆彡
    私は末永蒼生先生の色彩学校の生徒でもあり、傷ついた心は、吐き出す表現ができてからのスタート…と、塗り絵や自由画、製作活動などのワークをしています。もっと、今の自分にできる行動をしていきたいです。
    ブログでいろいろ知らせていただきありがとうございます。

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