港屋のおばちゃん、再会!

昨日は愛媛県松山のステージでした。
11:4-1.jpg
 JICA四国支部と、「愛媛県青年海外協力隊を育てる会」が設立25周年と言うことで呼んでくださいました。
 現在の支部長水谷さんは、JICA二本松訓練所の所長をされたあと、四国支部長になられましたが、とにかく水谷さんのおかげで四国のステージが増え続けています。ありがたいことです。加えて現在の高知県における推進員は杉尾さんといって、NICCOのヨルダン事業でいっしょに働いていた仲間です。
 今年も学校をベースに呼ぼうとしてくださいましたが、日程が合わず来年となりました。是非、四国4県、増えていくといいなあ、と思います。
 ところで、愛媛県と言えば、桑山が自転車日本一周の時にとても大切なことを教えてもらった「民宿港屋」があった県です。そこで出逢った「港屋のおばちゃん」からは大切な言葉をたくさんもらいました。
「楽しい時や、嬉しい時は、港屋、おばちゃんのこと忘れてていいよ。苦しくて、哀しくて、どうしようもなくなったら港屋に戻ってきなね!」
 その言葉に励まされそれからの旅、それは常に自分探しの旅でしたが、全然不安がなくなっていきました。以来「民宿港屋」という曲をつくり、ステージの4番では必ずこの「自転車日本一周篇」を語り、「民宿港屋」を歌ってきました。
 そんなおばちゃんが、昨日は元気な顔を見せてくれたのです。
11:4-2.png
(明ちゃんの横がおばちゃん)
 お歳は73歳。とっても元気です。「民宿港屋」の歌詞に出てくる娘さんたちも来て下さいました。
 いつまでのおばちゃんが元気でいてくれることを願っています。それは、自分にとっての旅の原点。自分探しの方向付けをしてくれた恩ある人だから。
 これからも、愛媛県公演がある旅に逢いに行ければと思います。
 ところで、民宿港屋があった「佐田岬半島」ですが、その突端に三崎の街があり「民宿港屋」がありました。その少し手前、4キロほどのところに「名取」という集落があります。実はそれは私たちが今住むこの宮城県名取の町から、いにしえの伊達潘時代に「岬守(みさきもり)」の人々が移住したために、その町は「名取」になったとのこと。
 何というつながりでしょう。
 お互い海が目の前ですから!
 そんな強いつながりを感じながら、松山公演が終わっていきました。
 おばちゃん、いつまでも元気で!
桑山紀彦
 

港屋のおばちゃん、再会!」への1件のフィードバック

  1. 時を経ても初心と変わりなく再会できる関係って素晴らしいですね。
    改めて地図をみたら細長くのびる針のような最先端の岬でよくぞここまで行ったなあ~と感心しました。

コメントを残す

あなたのメールアドレスは公開されません。必須項目には印がついています *