夕方にモハマッドと、アッラーの家を訪ねました。
二人の家は国境線目の前です。でも今回は南部国境ではなく東部国境線がひどく破壊されたラファ市なので、モハマッドの家の被害は最小限でした。でも、8月8日に始まった暗黒の金曜日以降3週間はずっと親戚の家に避難していました。
モハマッドと始めて出逢ったのは、彼が14歳の時。2009年の空爆の年でした。
(モハマッド、14歳)
「空爆の様子をきちんと描こう」というワークショップの時、モハマッドはその様子をリアルに描きながらも色を塗りませんでした。
「なぜ色を塗らないの?」
「僕たちの街は空爆に曝されているんだ。そんなひどい目に遭っている街に色なんてものは無いんだよ。」
まっすぐな主張をしてくる14歳でした。
15歳になった時、将来の夢を聞いたら、
「僕は絶対にジャーナリストになる!」
といいます。
「ジャーナリストになって、このガザで起きていることを世界に伝えたい。そして世界のことをガザの人たちに伝えたい。そうやってガザが孤立していないことをちゃんと伝えられるような仕事がしたいんだ。」
すばらしい夢でした。
それから3年間、ずっと見守ってきました。ラファに行けば必ずモハマッドの家に行き、今のこと、成績のこと、将来のことを語ってきました。
(モハマッド、18歳~今日)
妹のアッラーは2歳年下ですが、利発で英語が得意。将来は学校の先生になるという堅い夢を持っている目鼻立ちのはっきりしている少女です。今「地球のステージ」が販売している絵はがきの中にも黒い衣装に紫の刺繍が映える出で立ちで、青空をバックに微笑んでいるのがアッラーです。
(アッラー、14歳~3年前)
この二人の兄妹とずっと付き合ってきて、いつかこの二人に日本を見せたいと思ってきました。そんなモハマッドがついに大学入試を突破し、ガザ市のイスラム大学のマルチメディア科に合格したのです。これは新進気鋭のジャーナリストたちが授業を行い、最も有名な科です。
モハマッドは着実に夢をかなえるべく、前に進んでいたのです。
そしてなんとパスポートも取り、いつでも日本に行ける準備をしていました。
このひどいガザの状況の中で、それにめげないで確実に夢を実現しようとする少年がいることの喜び。モハマッドはいつものようにまっすぐな瞳で、
「ジャーナリストの夢に近づいたよ。でもいろんなことをやりたい。まずはドキュメンタリー映画の制作手法を学んで、このガザの様子を内部から伝えられるようになりたいんだ。」
「外から伝える自分」と「中から伝える自分」の両方が大事であることをよく知っているモハマッドですが、まずは中から外へ伝えるために頑張ろうとしています。
すばらしい成長を遂げていくモハマッドに、ただただ感動していました。
そしてアッラーが語りました。
「今回の戦争は本当にひどかったよ。8月8日の暗黒の金曜日以降は家にも帰られず苦しい日々だった。でもね、必至で持って出たカバンの中にたった1本の鉛筆があったの。避難生活の中で私はこのことを伝えるべきだと思って、一生懸命その鉛筆を使って、空爆の様子を描いていたんだ。
忘れちゃいけないと思うし、これをちゃんと伝えなきゃと思っていたの。
色鉛筆なんて無いから、たった1本の鉛筆だけの絵になっちゃったけれど、これを受け取ってくれる?」
「え?もらってもいいの?」
「うん、ケイたちが来たら渡そうと思っていたから。」
「大事なものだよ。」
「だからこそ、日本に持って帰って、みんなに見てもらえると嬉しいな。」
(アッラーの描いた50日戦争)
かつてヒロシマに原爆が落とされた時、カメラもなにもなかったが故に人々は「絵」を使ってその時の様子を伝えようとしてきました。アッラーは自らその「伝えることの大切さ」を感じ、たった1本の鉛筆でこの絵を描いていてくれたのです。
「苦しかった。でも生きていられて、本当に良かった。」
「アッラーのこれからの願いは?」
「もちろん!兄のモハマッドといっしょに日本に行くことだよ!」
17歳のアッラーが日本に来た時、日本の子どもたちが自殺で自らの命を絶ったり、人の命を奪ったりする現実を聞いてどう思うでしょうか。
願わくば、アッラーやモハマッドのように苦しい中を生き抜いているからこそ、命や生きることの大切さを強く感じているこの二人から、日本の子どもたちへメッセージをもらいたいと思います。
「あきらめないで、夢と願いを持って生きろ!」
と。
桑山紀彦
雄々しくたくましい若者になった兄妹。
地球のステージの足跡そのもので眩しいくらい。
桑山さん!きっと嬉しさがこみ上げているんでしょうね?
緊張したガザに明るい灯りが見えてほっとした気持ちになりました。