今日のワークショップは、サナブリ校のいつもの図書室を使いましたが、停電なので室内は暗く、少々重い雰囲気の中で始まりました。
でもこれがガザ地区の現状。停電は当たり前で電気が来るのは1日約6時間程度です。でも、生きていられるだけ幸せという感覚がありますから、いいのかも知れません。
そんなワークショップで、ファラッハ、9歳に再会しました。
2009年のガザ危機の時お母さんが撃たれて亡くなったファラッハ。今9歳ですからたった4歳の時の出来事でした。そして9歳の今、また戦争に苦しんでいます。
5年ごとに恐怖の空爆と戦争に巻き込まれる人生。どれほどのストレスかと思います。
でも今日もファラッハはまっすぐな瞳で、息せき切ったように話し始めました。
「隣の家が空爆されるかもってずっと聞いてた。とても怖かった。結局隣の家にミサイルが着弾した時、すごい瓦礫が降ってきて、その時は毛布にくるまっていたから、それをかぶせて何とかしのいだよ。
通りからはいろんな人の叫び声や怒鳴り声が聞こえてきた。何が起きたかすぐにはわからなかったけれど、でもしっかりしなきゃって思ってた。」
そんなファラッハに聞きました。
「50日戦争の毎日、どうやって気持ちを支えていたの?」
「いつか、パレスチナの軍隊が、敵をやっつけて私たちを解放してくれるって、そう思いながら過ごしていたよ。」
やっぱり戦争は勝った負けたなんでしょうか。ファラッハまでもがそう思っています。
そんなファラッハにもう一つだけ聞きました。
「将来は何になりたい?」
「私?私はお医者さんになりたいんだ。」
「どうして?」
「お金がなくてちゃんと診てもらえない人がたくさんいるから。だから私は無料で診察してあげられるような、そんな医師になりたいんだ。」
戦争がファラッハの心の中の「夢」に火をつけてくれています。
(ミュージシャンでもあるヤシーンが、音楽で気分をほぐします。)
ワークショップ後の反省会でファシリテーターのアブハッサンが言いました。
「僕たちは子どもたちの”怒り”の感情を引っ張り出そうとしている。だからイスラエル軍憎し!というメッセージはありだと思う。でも僕たちはテロリストではない。だから決して子どもたちに復讐をあおったりはしない。」
またアーベッドが言いました。
「パレスチナの子どもたちはいつもいつも厳しい現実ばかりだ。本当は子どもたちは楽しみや夢、希望といったものにあふれているべきだと思う。なのにこのガザの子どもたちはそれがないように思う。それで本当に子どもたちの健全な成長と言えるだろうか。」
そんなアーベッドに答えました。
「厳しい現実を知ることで、本当の夢や希望が見えてくる。だから何も心配いらない。パレスチナ子どもたちは厳しい現実の上に確固たる夢や希望を組み立てていくだろう。
逆に安定しきった日本の中で一体どれくらいの子どもたちが、本当にわくわくするよう夢や希望を持てているだろうか。夢や希望は実は逆境の中に見えてくる一筋の、けれど強い光のようなものだと思う。だから、子どもたちを取り巻く環境のみで、子どもの成長が歪むなどと言うことはない。
ただ大切なことは”語っていいい””表現していい””創り出してもいい”という保証をどうやって提供するかが大切だと思う。」
本音で語らせてもらいました。
こうして、ガザ地区ラファの街を対象とした「心理社会的ワークショップ」は続いていくのです。
桑山紀彦
ファラッハの夢が叶うように応援したいです。勉強が思い切りできる環境を整えてあげたいですね。
瓦礫の写真を見てたちまち昭和20年終戦直後の殺伐たる焼け野原が蘇りました。あの時の餓えは酷いものでした。
それにしても事前警告してから破壊する?~おかしな戦争のルールでとても理解できるものではありません。安易に武力に訴えるイスラエルの論理になぜ世界は黙っているのでしょうか?
豊かな社会より、厳しい逆境にこそ夢や希望が見えるとは、おっしゃる通りと思いますが、果てることなく年中行事みたいな空爆で、幼い子供たちが挫けしまうことがないか気がかりです。
こんな惨状の中での活動はただただ敬服するのみですが、今日もイスラエル側にロケット弾が撃ち込まれたニュースがあり、停戦が崩れるのではないか心配になりました。
活動の無事を願っています。