午後からは国境に住む子どもたちとのワークショップでした。
彼らはいわゆる危険地帯に住んでいるので、この50日戦争の間は完全にもっと奥のラファ市内の親戚の元へ避難していたと思います。しかし、避難したラファ市内も空爆に曝されていて、「どこにも安全なところなどなかった」という言葉通り、不安な日々を過ごしていました。
まずは、「あの日、何を見たのか」というテーマで話を進めていきます。
かなりの子どもたちが人の遺体を見ています。その場に立ち会ったということです。たった7歳~12歳という年齢で、人の死に触れることは心に大きなダメージであり、しかもその死がひょっとしたら自分にも降りかかるかも知れないという「空爆の恐怖」であればなおのこと、子どもたちにとっては不安の元になります。
そんなみんなに問いかけました。
「みんな、”心”ってどこにあると思う?」
「ここだよ~」
みんな胸の部分を指します。ちゃんとわかってるんですね。
「じゃあ、みんなの心はどのくらいの重さを持っている?自分の体重と共に教えて。」
「僕の体重は45キロ。心の重さは3キロくらいだな。」
「私の体重は25キロだけど、心の重さは2キロくらいだなあ。」
みんな一生懸命考えます。
「そっか、結構軽いんだね。じゃあ、50日戦争の時はどうだった?」
「そりゃあもちろん、3000キロくらいになったよ!」
「私はもう計りきれないほどの重さになっちゃった~」
「そうだね。重くなっていたね。じゃあそんな戦争の時のことを話すと、心の重さはどうなる?」
「う~ん、重くなるなあ。」
「私も、重くなるよ。」
「そうだね、辛いことだから重くなるよね。じゃあ、ずっとそのままでいいのかな?」
するとうちのファシリテーターで家が半壊したアブ・ハッサンが言いました。
「今は語ると心が重くなるかも知れないけれど、心を閉じ込めておいた方がもっと重くなると思うよ。だからちゃんと語ることで、本当は心って軽くなっていくと思うよ。」
「そうだね、僕もそう思う。」
みんなに気づきがありました。
さて、ここでまた感情表現シートを使って、「あの日のこと」に付随する感情を語ってもらいます。もちろんその日の重い感情を吐露するわけですから辛いところもありますが、今回はみんな同じような経験をしたもの同士が集まる「心理社会的ケア」ですから、グループワークにして、自分の思いを語り、人の思いも受け止め、グループとしてしっかりと感情について語ってもらうことにしました。
ヤシーンは新進気鋭のファシリテーターです。彼のグループはふざけがちな男の子のチームですが、実に真剣に話し合いを行っていました。発表もこの16の感情の中から3つをグループとして選ぶのですが、3人が立ち上がりそれぞれの感情についてきちんと「なぜその感情なのか」を語りました。
最初に立ったのは、マフムードです。
(マフムード:見えた手の部分を説明しています)
「僕たちが選んだ3つのうちの一つは、”忘れられない”という感情。実際に僕が見たことを話すね。それはつぶれた家の瓦礫を救助隊の人が一生懸命どけていた時のことだった。一つのコンクリートの固まりをどけたら、そこに人の手が伸びていたんだ。急いで掘り起こしたけどもう亡くなっていた。他にもその瓦礫の中から女の人や子どもの遺体が出てきた。その光景が忘れられないから、僕たちはこの”忘れられない”を選んだんだ。」
2番目に立ったのはアフマッドです。
(アフマッドです。)
「僕たちが選んだ3つのうち2つめは”恐怖”という感情。僕はあの暗黒の金曜日、最初家にいたんだ。1回目の着弾が来て震えていたら2回目の着弾が来て突然足に痛みが走った。別に弾が当たったわけじゃない。とにかく足の痛みがひどくて歩けなくなってしまったんだ。このままじゃ、死んじゃうと思った時に”恐怖”が心を支配した。足をひきづりながら逃げていく中で、大家さんの遺体を見た。もう無我夢中で逃げることだけ考えていた。あの時の感情はまさに”恐怖”だった。」
3番目はサリームです。
(サリーム。賢い13歳です。)
「3つめの感情は”悲しみ”。僕たちはクルマに乗って逃げていた。そしたら突然前のクルマが直撃を受けて吹き飛んだんだ。前に乗っていた人は知っている人だった。たぶん助からなかったと思う。悲しかった。避難した先ではとにかく水がなくて苦労したんだ。水がないとすごく辛い。何でこんな思いをしなければならないのかなと思うと、本当に悲しかったんだ。」
みんな考えられないような体験をしています。
それでも今日ここで集い、こんな話ができたことがとても重要だと思いました。
ファシリテーターのヤシーンが締めくくりました。
「みんな、大変な思いをしている。けれどこうして生き残り今日ここに集えた。その命を大切にしよう。そしてきちんと語って、世界の人々の、本当のことを伝えよう。」
今はまずここまでです。絵を描いてもらうにもまだ早い。「ついこの間の体験」であるが故にゆっくりと心のケアを進めていかなければなりません。しかしハーマン理論に基づいて考えれば、「第一段階~安全の確保」はとりあえず達成しているので、心のケアは進めていっていいレベルにあります。未だに空爆や戦争の恐怖が存在する時は、心のケアはできません。まずは停戦しているから第一段階クリア。それに基づき第二段階「語りと服喪追悼」の段階に入って行きます。
(ミサイル攻撃で2人が即死したクルマ。子どもたちに食事を持って行こうとしたご夫婦でした。)
(子どもたちは屈託がありません。あまりくよくよしない。瓦礫も遊び場になっています。)
図らずも今年2月から始めていた「心理社会的ケア」。それは今回の50日戦争を経験するにあたって心をより一層強くするための前哨戦だったのかも知れません。だから非常にいいタイミングで心のケアが進められています。
それは逆説的に言えば、この50日戦争を予測していたかのように「心のケア」が進んできたことで、より一層「心理社会的ケア」はこのガザ地区で意味のあるものになっています。しかしダルウィーッシュが言いました。
「今回の50日戦争は尋常ではなかった。50日間不安、恐怖、死と隣り合わせだった。だからガザ地区に住むすべての人に”心のケア”が必要なレベルになっている。これは緊急事態なのだ。」
「地球のステージ」が展開している心のケアの事業はその対象がたった120人の子どもたちです。
そのノウハウをもっと展開することが急務ですが、相変わらずこのガザでは人材不足であり、人々の興味と関心を留めきれない状況にあります。それでも、広汎的に効果があることは、
「私たちは一人ではない。」
「私たちには多くの理解者がいる」
という思いです。「心のケア」が実際的に行われていなくても、「孤立していない」という思いがあれば心の”ある部分”は支えられます。
支援する皆さんの、
「心配しているよ」
という気持ちがどれほど心の支えになったか。津波で被災した時に心に沁みて知っています。だから今こそガザの人々に、「みんなが見守っているよ」というメッセージを出すことが、心を支える一つの力になり得ます。
是非、いろんなメッセージをお寄せ下さい。皆さんの代弁者として「地球のステージ」はガザの人々にそれを伝えます。
「募金だけでも300万円以上集まったんだよ。」
と伝えたら、みんな泣きそうなくらいに喜んでいました。それは、そのお金がどうなるかというものではなく、日本の人々がそういう気持ちでいてくれることに感謝しての涙なのです。
最後に残念なことを一つ。
うちのファシリテーターは必ず質問の一つに、
「イスラエル軍に対して言いたいことは?」
と聞きます。すると子どもたちはその多くがこう答えます。
「私たちの子どもを殺したのだから、向こうの子どもたちにも死を!」
たった10歳前後の子どもたちがそう答えます。
僕たちは言葉を失う。
「そんなことを聞くな」
といえない。でも、
「その答えでいいのか?」
といつか問い直さなければならい。でも今は無理・・・。無力感が僕を支配します。
今は相手に対する怒りがこみ上げても当然。それをまずははき出してもらうことが大切と考え、この問いと答えをまずは受容しています。
「心のケア」の一つの課題です。
活動も3日目に入っていきます。
桑山紀彦