青森、そして御殿場へ

昨日は青森県のむつ市にある田名部高等学校、3年目のステージでした。
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 ここには協力隊のOV、南澤先生がいらっしゃりこうして毎年呼んでくださっています。
 田名部高等学校の生徒さんは進学校らしく、礼儀正しくきちんと聞いてくれるのですが、何より凄いのはステージ直後の質問コーナーで、ものすごい数の手が挙がることです。
 これは同じ青森県の八戸北高等学校にも見られることで、どうも青森県人というのは、非常に積極的かつ啓けていらっしゃいます。それが既に高校生の時代から現れているとは、恐るべし青森県、そして田名部高等学校。
 最近流行になっているステージアとの座談会でも生徒さんは非常に真摯に、でもユーモアを交えて話し合いを盛り上げてくれます。
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 昨年は座談会に参加した生徒さんが見事弘前大学医学部に入り、「地域で活躍できる医者になりたい」と言っているとのこと。
 「地球のステージ」を見て世界で活動できる医師に・・・、というのはありますが逆に「地域に根ざした医師になりたい」と思ってくれるというのもまた嬉しいものです。
 朝一番の飛行機で羽田に飛び、レンタカーでそのまま御殿場に入りました。
 ここも毎年呼んでくださっている御殿場市印野小学校と青少年育成協議会の皆さんと会うことができました。今日はあいにくの雨で富士山は全く見えませんでしたが、富士の裾野らしい落ち着いた地域です。ここはいつも小学校1年生から6年生まで全学年が聴くのと同時に地域の皆様が後ろでそれを見守るという、大変理想的な形でステージを開いてくださっていますが、凄いのは小学校1年生でもちゃんとステージの2番についてきてくれるということです。
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 今年度からステージの内容見直しに伴い、ステージ2からは「カンボジア篇」が抜けて代わりに「東ティモール篇~アカペト版」が入っています。曲はもちろん「燃える街の灯」。2000年制作の「地球のステージ」にとって初めてのオリジナル曲です。
 実はこれは京都でいつもステージを呼んでくださっている熱い中学校教師、中江淳子先生が常にリクエストくださっているので「没」にするのはもったいないし、10年が過ぎて新しく制作し直したものです。映像もすべてフルハイビジョンですが、あえて1999年9月の騒乱当時の映像も交え、劇的なものにしています。
 それでもステージ2番は100分と長いため、小学校1年生にはどうかなあ、と思っていましたが印野小学校の子どもたちは見事なものでした。
 地域が支えている小学校。だから子どもたちも落ち着いて聴く力を持っているように思います。
 家庭内の教育力がどんどん落ちている今、学校への期待は大きいけれど、学校にも限界があります。だからこそ地域の人々が積極的に関わる「地域力」が大切。印野地区はそういったことに非常にすばらしい取り組みをしていると思いました。
 願わくば3番、4番と進んでほしいですが、小学生でもある程度聴ける3番、4番の変更が急務ですね。
 激動のパレスチナの仕事が終わりいつものステージ遠征の日々が始まりました。
 次は7月末のラオスです。JICAの仕事で出かけますが、また多くの出逢いがありますように。62カ国目の渡航になります。
桑山紀彦

青森、そして御殿場へ」への3件のフィードバック

  1. 「地域で活躍できる医者」も「世界で活動できる医師」も変わらないことがあります。
    目の前の人に、真っ直ぐ向き合うこと。愛を注ぐこと。
    素敵なドクターが増えそうですね。
    今更ですが、東京FMで2013年09月に放送された「未来授業」を聴いてみました。
    ダン先生の生き様が伝わってきました。

  2. お疲れなのに、富士の裾野まで、来て頂いて、有り難うございました(*^.^*)
    久しぶりに、桑山ワールドに触れる事ができ、温かい気持ちになりました。
    また、講演終了後、お忙しいのに、父の事など、話を聞いてくださり、嬉しかったです。 落としたパソコン大丈夫でしたか?
    次回7月4日は、富士山が顔を出してくれると良いですね(*^.^*)

  3. 田名部高校や印野小学校のようなステージを通じた地域環境つくりが隣町へ隣町へと浸透していくといいですね・・・。
    心が洗われます。

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